ニューギニア不沈空母戦
第三艦隊の主力は、勿論六隻もの空母だ。
艦載機は四〇〇機ほど。敵艦隊を圧倒している。
しかし基地航空と合わされば、此方が数の上では劣勢に転がり落ちる。五〇〇程度と見積もられるポートモレスビーは、井上成美の言を借りれば、第三艦隊を上回る不沈空母なのだ。
どちらか一方に目標を絞る。ならばどちらを叩くべきか。塚原二四三は決断した。
「ポートモレスビー空襲はラエに任せる。我々第三艦隊は、敵艦隊の捕捉を第一とする」
連絡将校として再びラエに向かった城英一郎を欠いた幕僚たちは頷き、各々の職務に専念した。
「航空参謀」
塚原が源田実を呼ぶ。
搭乗員を激励しようと艦橋を退出しようとしていた彼は、踵を返して塚原に駆け寄る。
「主席参謀には言ってあるが、ラエと第三艦隊は歩調を合わせる必要がある。ラエが危険なときは救援に行くし、逆に艦隊に危機が迫れば躊躇なく助けを求める。場合によっては機体や搭乗員の融通すらするつもりだ」
「空地分離ですか。長官。私は空地分離の推進派ですよ?喜んで協力致します」
空地分離とは、搭乗員と機体の所属を航空隊単位として、基地所属にしないことで迅速な移動を可能とするものだ。空母は練度の関係で導入が難しいが、塚原は無理を通すつもりであった。
にやりと笑う源田の背後で、通信参謀が息を切らせながら艦橋へ駆け込んできた。
「ラエ基地より入電!我敵襲を受く。迎撃に成功せり。被害僅少、以上!」
「ポートモレスビーは完全復活したか」
「ラエからも反撃が始まるはずです。続報を待ちましょう」
「ツカハラの艦隊は追いかけてきているか?」
〈エンタープライズ〉艦橋で、ウィリアム・ハルゼーは誰となく呼びかけた。
参謀長のマイルズ・ブローニングが答える。
「潜水艦はこちらに向かって高速で航行する艦隊を確認しています。追いかけてきているのは、ほぼ確実です」
鼻を鳴らすハルゼー。
「あとは陸軍が職務を全うしてくれればいいがな。ラエを無力化してくれりゃあ、俺は安心してツカハラと殴り合いが出来る……」
常用二四二機と補用九〇機機。搭載機数が比較的少なめであるジャップの空母が相手だと考えると、勝てない数字ではない。
しかしラエには推定五〇〇もの戦力が控えている。司令官は航空基地のパイオニアだ。手堅い運用をしてくるだろう。
ツカハラに対しアメリカ海軍上層部は、ハルゼーから見て甘過ぎる認識しかしていない。
奇襲に成功したにも関わらず、空母二隻の撃沈しか出来なかったというのが、彼等の言い分だ。
しかしジャップの航空機の性能も、パイロットの練度もこちらを遥かに上回っていた。戦闘機など軽量級のボクサーのように、ワイルドキャットの背後を取っていた。
上が見ていたのはそれだけだ。たったそれだけ。あの一気呵成に攻め立てる闘志は、ツカハラの恐ろしさだ。
「マダンは潰したし、バークが補給してやったんだ。頼むぜ」
ポートモレスビーの歩兵の内、四分の三はオーストラリア軍であった。オーストラリア陸軍は現在、北アフリカにてカンガルー部隊と呼ばれる少数精鋭の一撃離脱攻撃で、ドイツの補給線を痛撃している。
しかしここにいるのは戦闘無経験の新兵ばかりで、アメリカ陸軍第一軍団のロバート・アイケルバーガー少将は憂鬱な日々を過ごしていた。
航空隊はそのほとんどがアメリカ陸軍であるため、その苦戦は漏れ伝わっている。そのお陰か第一軍団には、進軍してくるかもしれない帝国陸軍に、備える心構えが出来てきていた。
それに比べてオーストラリア軍は、その真剣味に欠けているように感じた。ポートモレスビー司令官からして、シドニー・ラウェル中将が激戦続くニューブリテン島に異動し、少将のバジル・モリスが着任した。連合軍はニューブリテン島を起点に反撃するらしいが、ラバウルの航空基地は小規模ながら協力で、兵数による力押しは難しい。
こんな時にダグラス・マッカーサー大将がいれば、彼の強いリーダーシップが発揮されたはずだが、彼はフィリピンで捕虜になってしまった。
オーウェンスタンレー山脈を盾にして、日本軍の侵略は抑えてきた。向こうから来ることはないが、しかし逆襲も同様に不可能。
アイケルバーガーは毒吐く。
「いつまで耐え忍べばいいんだ」
そう感じていたアイケルバーガーの元に、航空隊トップのルイス・ブレリートン少将から急な電話が入る。
聞けばハルゼー提督のTF39が捕捉されたため、提督は珊瑚海まで後退して敵艦隊を釣り上げるつもりらしい。
その際にラエからの攻撃を受ける可能性が高いため、ポートモレスビーからラエに牽制してほしいそうだ。
なるほど、滑走路が騒がしいのはそのせいか。
現在のポートモレスビーに溜め込まれた戦力はP-40が二〇九、P-36が一〇、P-39が二〇、P-38が一二一、B-17が一〇〇丁度。やって勝てない数字ではない。
電話を切ると司令官として職務を果たすべく、伝令を走らせる。
「ウォッチタワー達に連絡。航空戦だ、厳重警戒!」
「おうおう、大漁だぞ!」
通信機から楽しそうな声が響いた。
「こら菅野。遊びじゃないんだぞ」
屠龍二型に座乗する美濃部正は、部下の菅野直を注意する。が、その声は楽しそうだ。
「大尉。菅野はこの鴛淵孝が責任を持って守りますんで、ご安心を」
一番機の鴛淵孝の台詞に、声を出して笑う美濃部。
鴛淵小隊は美濃部の屠龍と回線が開かれている。鴛淵小隊以外に五つの分隊、合計一二機の航空隊が鴛淵の指揮下にあった。
ラエでは色々な戦術が試されていた。そのひとつが陸軍航空隊トップ、有末次による空中統制機だ。
本来ならば大型爆撃機を改造した統制機か空中軍艦を使うはずであったが、邀撃戦においては高速で展開出来る単発か双発を使うことが決まっていた。
屠龍や一〇〇式司偵が代役を務めているが、二式艦偵を改造した機体までの繋ぎらしい。
統制機を含む一三機の中隊は、第一〇航空団の内五つの戦闘機中隊、ラエ航空戦隊では一つの戦闘機中隊が出来ている。
いかんせん統制機には「戦闘に参加しない自制心」「狙われた際に逃げ切る腕」「僚機に的確な指示を行う戦術眼」が必要で、最後のひとつを偵察員席の人物に任せたとしても、前者のふたつも戦闘機乗りには難しい。
美濃部以外の統制機搭乗員は、偵察機上がりか陸攻上がりばかりだ。
「気張り過ぎないのはいいが、そろそろペロハチが来るぞ。気をつけろ」
「宜候」「宜候!」
雷電がバンクする。麾下全機に摘みを変えると、美濃部はゆっくりとした声で告げた。
「上方から爆撃機を襲え。突撃せよ」
菅野は一番機の鴛淵を追いかける。
「先頭を叩くぞ!」
「了解!」
墜落するよりも速く、二機の雷電は飛び込んだ。
同じ雷電でも無理に突っ込んだり角度が浅過ぎると、この加速は発揮出来ない。
速度は八〇〇を超えたところで見るのを止めた。どうせ雷電なら一〇〇〇キロ超えたって壊れはしない。
目標が弾をばら撒くが、すべて頭上を流れていく。速度を見誤っているか、動きに追従出来ていないのだ。
照準器をはみ出すほどB-17に近付くと、鴛淵が二〇ミリの雨を放った。
頃合いか。菅野を射柄を握り締めた。
「落ちろ、この野郎!」
主翼の前を掠めるように避けた菅野に、鴛淵から声が掛けられた。
「近過ぎるぞ、菅野!真似するジャクが出たらどうする!」
「そんな奴がいたら自分の僚機にしてやりますよ!」
主翼を叩き折られたB-17を避けながら近付くと、鴛淵は黙ってしまった。苦笑しているに違いない。
そして無言のまま、再び上昇し始める。二機目を喰うためだ。
その目の前に、眩しい銀色の機体が立ち塞がる。
「落としてから行くか……」
菅野が旋回して射線を外すと、美濃部から声がかかる。
「…ラの一番、トラの一番!ペロハチの相手は零戦がやる。避けていけ!」
美濃部が言うや否や、ライトニングの背後に忍び寄る零戦。ライトニングの搭乗員は気が付いていないのか、こちらに向かってくる。
「チェックシックス、だぜ。馬鹿野郎」
ライトニングは最後まで零戦に気が付かずに撃墜された。直進は狙ってくれと言わんばかりだった。ジャクだったのだろう。
周囲を警戒しつつ、高度四五〇〇まで緩々と登る。B-17は高度四〇〇〇まで降りている。よく見ればささくれ立った表面の機体が半数近くで、プロペラが停止しているものもいる。
落とされた機体の中に指揮官機がいたようで、梯団は梯団というより団子という有様だ。突撃する雷電や忍び寄る零戦が交差する度、煙が増える。
だが無傷とはいかないのが戦争だ。
無理な旋回で速度を殺してしまった雷電が、B-17の弾幕に捉われ、機体全体が槌で潰されたようになる。
搭乗員を射殺され、旋回を掛けたまま密林目掛けて落下していく雷電もいる。
避け損ねたのか、翼端を吹き飛ばされた零戦。鈍った機動性では集中する銃火を躱すことは出来ず、翼内弾薬やガソリンに引火して木っ端微塵になってしまった。
しかし大半の零戦はP-38を翻弄し、雷電はB-17を地面に叩きつけた。
菅野が三回、動力降下を繰り返し、P-38を追い掛け回したところで、銃弾が尽きる。
「敵編隊反転!敵編隊反転!カクトラ、集まれ」
集まった機体は一二機。トラ中隊は全てが無事だったようだ。めでたい。
「菅野、菅野。単独でB-17を落としたな」
鴛淵が嬉しそうに伝えてきた。
「鴛淵さんだって一機落としたじゃないですか。正面から撃ち合って……」
「お前の性格がうつったのかもな」
二人には笑い合う余裕があった。
「襲来は一〇〇機以上。うちB-17は半数ほどでした。撃墜はB-17一五機、P-38二〇機。被撃墜は零戦一九機、雷電が七機です。搭乗員は九名救出。損傷し放棄されたのは零戦一〇機、雷電二機。以上が第一次空襲の結果です」
陸軍航空団長の有末次が報告すると、井上は頷き、
「基地への空襲を防いだ事、被撃墜の搭乗員を救出出来た事は喜ばしい。敵に大打撃を与えた事もだ」
と続けた。
有馬正文は特に嬉しげだ。統制機を配した中隊が、邀撃機の中でも特に戦果を挙げたからだ。
司令部の誰もが満足そうな表情を浮かべる中、井上は厳しい声で命じた。
「まだ戦いが終わった訳ではないぞ!次の空襲が来る前に一式陸攻と深山を飛ばす。飛ばさなかった機を用意しろ。空中退避した機はそのまま待機。戦闘機は零戦の補給を優先。かかれ!」
野中五郎が一式陸攻の機長席で発破を掛ける。
「野中組にカチコミかけようったァ、不逞ぇ奴らだ!この借りは百倍にして返すぞ、お前ェら!」
清水次郎長や国定忠治を彷彿とさせる侠客めいた遣り取りから、周囲や当人から野中組と称されている。
彼独特の纏め方は、元々無頼じみた所があった陸攻乗りにとって合っていたようで、野中組の陸攻隊は一番の戦果を挙げていた。
今回、野中は中隊長として一一機の子分を連れていた。その他に一式陸攻が二四機と深山が三六機。直衛隊は零戦が四〇機。合計一一二機でポートモレスビーを叩く。
一式陸攻がほぼ全力なのに対して深山が半数ほどの出撃なのは、空中退避した機体と索敵に当てられた機体が多かったからだ。
五〇〇機に対して余りにも少ないが、あくまで本隊が一〇〇機なのであって、彼等の前方では一五〇機ほどの戦闘機部隊が先だってオーウェンスタンレー山脈を越えていた。
戦闘機による掃討が成功し、野中達の到着した時には味方のみ、というのが理想だ。しかし現実的に考えて、そんな都合のいいことはないだろう。
事実、野中組がポートモレスビー上空に近付くと、羽虫のような黒点が、基地の周囲で乱舞していた。
「藤堂のイチより近藤全機!藤堂のイチより近藤全機!」
制空隊の隊長機から爆撃隊の全機への連絡だ。
「階段落ちは未了、敵機が多過ぎる!対空砲には手が出せてない。爆撃は少し待て!」
野中は通信に割り込む。
「近藤のサンより藤堂、こちとら命知らずの陸攻隊よ!敵機が近付けなけりゃあそれでいい。野中組は滑走路を潰しにいく!」
「土方より藤堂。なるだけ守るが期待はするな。乱戦状態だからな!」
護衛の零戦は陸軍所属の三三型だ。乱戦に加わらず守りに徹してくれるのは、脆弱な陸攻にはありがたい。
「任せたぞっと!」
操縦桿を握り直す野中。乱戦を避けるように機首を下げる。B-17なら跨ぐように進めるが、一式陸攻は簡単には高度を上げられない。
低空に降りたため視界は狭まり、地上すら見えない密林ばかりが見渡せる。
深山も濃緑の機体を密林に馴染ませて、野中組を追い掛ける。
不意に右を守る零戦がバンクを繰り返した後、上昇を開始した。逆落としで襲い掛かる銀色の影、カーチスP-40ウォーホークだ。
鋭敏なデザインが優位から襲撃してくる。副操縦士は首を竦めるが、野中は動揺すら見せない。
零戦はウォーホークの射線を外しつつ、舞い踊るように旋回した。その鼻先には先ほどのウォーホーク。細めの曳光弾がウォーホークの操縦席を貫くと、硝子を煌めかせながら墜落していった。
他の零戦は三三型の馬力を活かして、降下するP-40の群れを追い抜き、逆に被さる。
初手で一式陸攻か深山を狙う機体目掛けて、旋回機銃の引き鉄が絞られる。
深山のエンジンから煙が吹き出すが、仕返しとばかりに二〇ミリ機関砲がウォーホークのプロペラを吹き飛ばす。被弾した深山は爆弾を投棄したが、そのまま位置を変えていない。僚機を守るために機銃弾をばら撒いていた。
しかし四発重爆の深山ほどの強靭さを持たない一式陸攻は、エンジンの被弾やインテグラルタンクと呼ばれる翼内燃料槽に被弾すれば、松明のように燃え盛り落ちていく。
野中の右後ろから追従していた近藤二番中隊、その最後尾が被弾する。
恐れていたように、主翼から噴出した炎はやがて主翼全体へ、最終的には胴体までも燃やしながら密林に滑り込んだ。
他人ばかりに気を取られてはいけない。正面からはベルP-39エアラコブラが襲い掛かる。零戦に対していいところがなかったため、ここ暫く戦場では見ていなかったが、陸攻相手なら勝てると踏んだようだ。
しかしそうは問屋が卸さない。零戦がウォーホークを撃退し、再び爆撃機の直衛に戻ってきたのだ。
速度や頑丈さで勝るウォーホークに対し、エアラコブラは頑丈さと攻撃力が売りだ。だが零戦は「鰹節」と呼ぶエアラコブラを好餌としていた。
低進性の悪い三七ミリ機関砲は零戦を捉えられず、同じく低進性の悪い二〇ミリ機関砲は至近からの射撃で命中。主翼を吹き飛ばされたエアラコブラはもんどり打って、深い森の中へ消えた。
火の輪潜りのように機体を操る野口の目に、コンクリートの人工物が飛び込んできた。
「ポートモレスビーを視認!」
気の早い対空砲が野口達を狙って火を噴く。黒い煙が花開き、高角砲弾が炸裂した。
ポートモレスビーにある滑走路は二箇所。主に爆撃機用の大型なものと、V字に作られた戦闘機用のものだ。
野中組の目標は後者。しかし離陸作業中だった場合などは、前者への攻撃が許可されている。
悠長に観察している暇はないが、無駄弾は許されない。滑走路はどちらのものか。
「しめた!」
野中が見つけた滑走路は二本。格納庫の屋根側で繋がっていた。
距離は余りない。急ぎ支度をしなければならない。
「全機、斜行陣で進入!」
対空砲火の中に飛び込むと、擦り弾や高角砲の破片が機体を軋ませる。
爆風に翻弄される機体を従わせ、野中は滑走路から目を離さない。
「ちょい右!もうちょい、ちょい……良し!このまま直進!」
観測手が最後の微調整を行う。後続は追随して爆弾を投下するだけだ。
「爆弾槽扉開け。開放確認宜候。投下よおーい……」
精密機械を覗く観測手の手が、爆弾の投下索を握り締める。
「……………………てえ!」
ぐいと引かれる投下索。急に軽くなった機体は、野中の操縦に逆らい上昇しようとする。操縦桿を押し込み、不意に上昇し目標になることを防ぐ。
野中の中隊は高い技量をもって、その動きに追従できた。しかし他の隊ではそうもいかず、急上昇で鈍った動きを対空砲に捉われる機体もあった。
不運な深山が高角砲の直撃を受け、主翼より前が消失する。
尾翼を吹き飛ばされ、錐揉みに入りながら落ちていく一式陸攻もある。
更なる被害が出る前に、滑走路に爆弾が炸裂した。
深山が投下した〈長門〉型の砲弾と同威力の一〇〇番爆弾は、一トンの自重で滑走路の地中深くに潜り込み、巨大な噴火口を思わせる穴を作る。そこにあった土砂は、離れた位置の対空砲陣地にまで飛び散った。
一式陸攻の運んできた二五番は一〇〇番の四分の一の重さだが、対地目標には十分な威力を持つ。
滑走路を連続して襲った二五番は、戦車用待避壕並みの大穴を、滑走路を横断するように穿っていく。
滑走路だけでなく、周囲の建築物も目標であった。
蒲鉾のような建築物は、大型なものが格納庫で小型なものが兵士達の暮らす兵舎だ。
重点目標は格納庫だが、外れ弾が時折兵舎を爆砕する。
格納庫の屋根は薄いトタン板で、投下された最小の六〇キロ爆弾でさえ、紙を裂くように容易く貫通した。
整備中のP-36やP-39が爆風に巻き上げられ、ジュラルミンの襤褸へと変わる。B-17の主翼を押し曲げた爆弾は、エンジンオイルを発火させ黒い煙が発生する。
中には空襲対策にコンクリート造りの格納庫もある。それらに命中した二五番は表面を削る程度で、中には損害らしい損害を与えなかった。
建屋内には空襲で逃げてきた整備兵達が、肩を寄せ合い縮こまっていた。ここなら安心だと逃げてきたが、着弾する度に地面は揺れていた。
深山の小隊が目敏く対爆格納庫を視認した。彼等の乗る深山の腹には一〇〇番が抱かれており、戦艦の装甲すら突き破る破壊力に耐えられるほど、コンクリート造りの格納庫は硬くない。
遅延信管が働く前に、コンクリートの天井は砕けた。降り注ぐコンクリート片に四肢を押し潰された兵士の絶叫は、爆発の熱風に掻き消された。
それまで頼もしかったコンクリートの守りは、脱出を妨げる檻へと変わる。内部で炸裂したエネルギーは一部を入射孔から飛び散り、大半が建物内を暴れ回った。
野中が見る限り、滑走路には爆撃機が離着陸する空間は無い。着陸したところで再整備や爆装するための格納庫も、今ではただのあばら家だ。
通信機から耳障りな音が響いた。
「近藤イチより新撰組、近藤イチより新撰組。目標滑走路は壊滅。再攻撃の要無し。以上」
アイケルバーガーが空襲を終えて去る戦闘機を見送る。彼の周囲には航空機だった黒炭が、人だった黒炭が転がっていた。
「ファイタースイープとは……やりますね、ラエの司令官は」
参謀が駆け寄ってくると、苦々しい表情を浮かべている。アイケルバーガーは励ますように、参謀へ向き直って微笑んだ。
「だが事前情報のみに頼ったのが、奴の失敗だ。第二ラウンドは向こうが優勢だが、第三ラウンドではノックダウンしてやるさ」
戦闘機用滑走路とされていた航空基地は、幅が倍に、全長も大きく伸ばされていた。
駐機しているB-17は六〇機ほどが暖機中で、離陸しようとしているP-38が同様に六〇機程度。更には一〇〇機以上のP-40が控えていた。
ファイタースイープするには足りないが、二〇〇機を超える攻撃を受ければ、敵基地に打撃を与える事は可能だ。ケアンズからの補給も継続しており、オーストラリアには二〇〇機のB-17が待っている。
第二次攻撃隊の隊長機が離陸し、爆音を残して上昇していった。
「乙飛行場が拡張されていたのは……」
有馬が悔しげに呟く。有末は不在だが、似たような報告を受け似たような表情をしているに違いない。
空襲を手控えた三日程度で、滑走路を拡張する能力に、井上は改めてアメリカの強大さを実感していた。
ラエ基地では、大型滑走路を潰したことで油断し、邀撃機を上げるのが遅れた。
ラエ基地には滑走路が三本あり、三角形の各辺を構成している。第二次空襲はその内の二本を破壊した。
駐機中の深山が一〇機ほどが破壊され、迎撃機にも多くの被害が出てしまった。
制空隊は零戦が一〇〇機中一四機、雷電が四二機中八機が撃墜された。
攻撃隊は一式陸攻三六機中七機、深山三六機中四機、零戦三〇機中四機が撃墜。
更には第二次空襲の結果、邀撃した雷電一二機中四機、零戦四一機中一二機が撃墜され、地上で雷電一四機と零戦一九機、一式陸攻は九機、深山が一〇機破壊された。
一〇五機の損失は、今次戦争で最大の被害だ。しかもこれから増加する可能性が高い。
井上の表情から内心は窺い知れない。しかし相当悩んでるのではないか。有馬も不安なのだから。
滑走路に落ちた瓦礫の除去が終わったと報告が来た時、井上は言い放った。
「第二次攻撃隊を編成せよ。時間は午後五時まで。以上」
「長官!」
有馬は余りの衝撃に声がひっくり返った。
航空消耗戦に陥れば、補給の難しいこちらが不利だ。にも関わらず、司令長官たる井上は泥沼の戦場に引き摺り込もうとしている。
井上は有馬を睨み付けた。
「早くしたまえ。ここで休ませれば先に持ち直すのは向こうだ。無力化を持続させなければ、ここばかりでなく第三艦隊を襲うかもしれない」
そのためならラエ基地を磨り潰すつもりだ。言外に彼は言い放った。
有馬は井上が剃刀に例えられる理由を思い知った。長官が決定したのだ。戦隊司令官に過ぎない彼は、それに従うほかない。
「直衛だけじゃありませんでした?俺たち」
「使えるなら親でも使えってことだ」
菅野と鴛淵の会話を聞きながら、美濃部は肩を鳴らす。一日で三度目の出撃は、身体に大きな負担をもたらす。
爆撃機は深山が多く、一式陸攻は一個中隊程度しかない。防弾性能の優劣が、そのまま生存率に比例したのだろう。
雷電も零戦に比べ防弾性能は高いが、それでも一二.七ミリを雨霰と喰らえば、主翼や胴体からばらばらに砕け散る。
美濃部中隊は三機の損害と引き換えに、二七機の撃墜を記録していた。美濃部自身も乱戦に引き込まれ、P-40を撃墜している。
中でも菅野の活躍は目覚しく、これまでで五機を撃墜し撃墜王となった。鴛淵の掩護も冴えており、被弾らしい被弾もしていない。
無傷の機体が多い美濃部中隊は、第二次攻撃隊に配属された。急ぎ反撃する必要があったため、整備の手間がほとんどいらない彼等が選ばれたのだった。
出撃したのは二〇機の雷電、三〇機の零戦、一二機の一式陸攻、二四機の深山だ。
少ない。美濃部の心に不安が渦巻いていた。四分の一を失い、滑走路までも損傷した司令部は、半ば自棄で攻撃隊を送り出したのではないか。
「機影見ゆ!六時方向!」
菅野が大きな声で警告する。美濃部は後席の若林貞信に確認した。
「機数は?」
「あの、ええっと……」
煮え切らない返答をする若林に、美濃部が大声で聞き直す寸前、
「後方の機影は敵機に非ず!」
と菅野が叫んだ。
どういうことかわからない。美濃部が菅野を呼び出す。
「後方の機影はなんだ?偵察機か、機位を失った攻撃隊か?」
「九九双爆です!九九襲撃機と零戦も確認、陸軍の攻撃隊ですよ!」
後方から近付く機体は、ラエ陸軍航空隊の残存する攻撃機であった。
九九双爆が三六機、九九襲撃機が二〇機、雷電が一四機。合計七〇機は陸軍が出せる攻撃隊の全てであった。残りの零戦はラエの防空に出撃しており、攻撃隊は破壊された滑走路の一本を、穴や瓦礫を避けるようにして離陸してきたのだ。




