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空中軍艦  作者: ミルクレ
13/41

設計者たちの戦場

 平賀譲の引退後、水上艦の設計は江崎岩吉や福田啓二の主導の下に戦時建艦体制を整えていた。

〈占守〉型から始まった海防艦の建造は、その主任務が海域防衛から船団護衛へと変化したことでその増産が本格化する。

 船団護衛の要として建造された〈御蔵〉型は一二〇もの対潜爆雷を積み、通商破壊という日本の弱点への備えとした。

〈御蔵〉型の建造期間短縮を狙った〈日振〉型を含めた一六隻は一九四〇年には建造が完了し第四艦隊へ編入、更に二〇隻の建造が開始されていた。

 汎用性と数を求めた〈松〉を始めとする丁型駆逐艦もまた、更に量産性を重視し工程を減らして、さらには防空性能を向上させた〈橘〉型へとシフトしつつあった。昭和九年に決定した駆逐艦の主砲高角砲の統一により、〈松〉型〈橘〉型共に五〇口径の両用砲を搭載していたため、甲型艦隊型駆逐艦の代理としても用いることにもなっていた。

 艦隊型駆逐艦というのは砲雷戦を主眼とした駆逐艦で、最新鋭の甲型〈陽炎〉は三基六門の両用砲、二基八門の魚雷発射管と再装填装置という重装備であった。特型駆逐艦と呼ばれる前級の艦隊型駆逐艦と共に各艦隊に配され、その重装備で主力を守ることが期待された。

 これらの計画は四一年の開戦のための準備であり、マル四計画に対応してマル臨計画と呼ばれた。


「それでは脆弱なままではないか、と言ってるんだ!」

 一九三九年から始まる建造計画、通称マル四計画。それは戦争を目前とした海軍にとって、最も重要な計画であった。

 航空主兵へと転換した海軍はこの計画で、

〈翔鶴〉型空母二隻

 中型空母二隻

 装甲空母一隻

 大型巡洋艦四隻

 その他多くの補助艦艇を建造する予定であった。しかし目玉である装甲空母に待ったがかけられたのだ。

 開戦となった現状、計画が改定されるのは仕方がないが、主力艦艇が削減されるのでは後々に響く。

「五〇番(五〇〇キロ爆弾)に耐えられる装甲を施した場合、排水量は四〇〇〇〇を軽く超えます。他の建造艦に支障をきたすのが目に見えている以上、中止せざるを得ません!」

 比較的若い、しかし敏腕と評判の設計士である牧野茂は反論した。その視線の先には大西瀧二郎がいた。

「空母が被弾したら戦えんことぐらい、しっとるだろうが!それを防がにゃならんのじゃ!設計は設計だけしとればええ!」

「そんな無責任なこと、平賀先生だって許しはしませんよ!」

 周囲は二人の剣幕に近寄ることもできない。大西は軍刀に手をかけ、今にも牧野を斬らんとする勢いであった。

 このようなことは以前にも戦艦派閥によってあったが、その時は福田がその場を抑えた。結果として巡洋戦艦〈天城〉型が建造されることになったが。

 しかしこの場には福田も江崎もいない。どうしたものかと周囲は慌てるばかりであった。

「オウ、どうした。騒がしいな」

 扉を開けて入ってきたのは海軍大臣の山本五十六、その人であった。

 きっと睨みつけた大西も新手かと身構えた牧野も、呆気に取られた表情で固まってしまった。

「あ、え、その……」

「大西大佐は装甲空母廃案に異議があると」

「貴様!」

 牧野がしれっとした表情で目線を逸らす。

「まあまあ、落ち着け大西君。廃案は僕が決めたようなものだから、文句は僕に言いなさい」

「ならば言わせてもらいますが大臣!現状では空母が足りません!航空主兵にするとおっしゃったのは大臣自身じゃァありませんか。それなのに空母を減らすなんて……」

 ふむ、と頷く山本。しかしニヤリと笑うと牧野へ向き直った。

「キミ、W一〇二の設計には関わっているかね?」

「え?あ、はい。福田所長から任されています」

「ホウ!ではキミが牧野君か。じゃあ話が早い」

 大西に再度向き直った山本は、わざとらしく咳払いをするとこう続けた。

「大西君。W一〇二は廃案じゃないのさ。大型空母として建造するんだ」

 途端に大西の顔が輝いた。

 W一〇二と呼ばれた空母は三〇〇〇〇トン規模の空母であった。これは現在主力の〈翔鶴〉型を凌ぎ〈加賀〉〈赤城〉に次ぐ排水量だ。〈加賀〉〈赤城〉が戦艦から空母へ改装されたことを考えれば、空母としては最大である。また三〇〇〇〇トンならばどうにか元から使用する予定だったドックでも建造可能であった。

 牧野が補足する。

「艦載機は一〇〇機程になる予定です。艦載機の大型化を前提にして、です」

「どうだ大西君。艦に爆弾を落とされるより、大量の艦載機で先に落とした方がよいと思わないか」

 大西は牧野に向き直ると、突然頭を下げた。

「すまなかった!」

 上官である大西が頭を下げたため、牧野は大慌てだ。

 この度の混乱は収まったが、たまたま近くに来ていた山本をこの場に連れてきたのが、空中軍艦の大家となった藤本喜久雄であったことはほとんど知られていない。


 騒動を見届けた藤本は自らの仕事に戻った。

 山本が設計所を訪れていたのは、藤本に相談があったからだった。

 その相談を受けた藤本は、すでにそれを試していること、結果無理ではないが現在の日本では不可能なことを伝えた。

〈相模〉の大改装により本来二番艦の〈筑紫〉が先に実戦配備された空中戦艦も、現在計画中の巡空艦も決定的な技術革新は導入されていない。これまでの空中軍艦と陸続きの設計なのだ。

 山本は残念そうな顔であったが、今ある手札で戦うのが軍人である、と気持ちを入れ替えたようだった。

「しかし」

 それでもぼそりと呟く。

「見てみたいものだ。空中軍艦で航空母艦」



 各地の航空機メーカーはどの工場もフル回転であった。

 三菱航空機では堀越二郎主導のチームが発奮していた。

 フィリピンで圧倒的な戦闘能力をみせつけた零式艦上戦闘機、通称零戦だったが、弱点も多い。

 まず防弾性能。その身軽さや航続距離のために軽量化した機体は、防弾性を切り捨てた結果生まれたものだった。現にフィリピンで不覚を取った零戦は、アメリカの一二.七ミリ機銃を受けあっという間に燃え上がったという。

 そして急降下性能。これも同じく軽量化を図った結果であった。アメリカ機の動力降下に付いていくと、機体がバラバラになってしまうのだ。そのせいで追尾を諦めた搭乗員も多いとは、フィリピン空爆を行った海南島基地からの伝聞だ。

 これを防ぐにはどうするか。装甲を付ければいい。至極単純な解答だ。しかしそれでは零戦の速度や旋回性能が急落する。馬力が足りないせいだ。

 ならば発動機を換えればいい。しかし強い発動機になればなるほどサイズも燃料消費も大きくなる。航続距離に影響するし、重たければ旋回性能にも影響するだろう。

 堀越らはその妥協点を探すべく日夜奮闘していた。

 そして当時九九式艦爆に搭載されていた金星発動機、その新型を載せることになった。一三〇〇馬力の新型発動機により二一型と比べて五三三キロから五五二キロと高速化、降下制限速度も六二九キロから七二〇キロへと変化していた。

 この新型零戦は三三型として採用が決定し主に陸上基地で運用されたが、少数は空母でも運用され「サンサン」の愛称で親しまれた。


 三三型はゼロ戦の派生であるのに対し、中島飛行機では陸上戦闘機として高速かつ重防御による迎撃機を製作していた。

 小山悌らが設計した戦闘機は、ヨーロッパ戦線では重戦闘機と呼ばれる類であった。一撃離脱戦法を主眼とした速度と防御を備えた戦闘機である。

 三菱重工製の爆撃機用発動機である火星を装備し、その高出力を速度に変換するために、急激に絞り込まれた胴体や小さな主翼という特徴を持っていた。

 高翼面荷重、つまり主翼にかかる重圧の比率が高いこの機体は、着陸時の速度がどうしても速くなりがちで、巨大な発動機も相まって離着陸が難しい機体であった。

 しかし試験飛行を行った搭乗員は、その速度や頑丈な機体にほれ込み「我が軍の搭乗員が皆この機体を使いこなせれば、世界最強の航空戦力となるに違いない」と太鼓判を押した。

 設計班の一員であった糸川英夫は後に空中軍艦にも関わり、さらには宇宙開発の権威となるのだが、この頃にはすでに才能を開花させていた。彼が考え付いた「ブランコ理論」に基づき、この戦闘機の垂直尾翼はずいぶん後方に配置され、投射面積が減るのを防ぐために大型なものとなった。

 この「ブランコ理論」の効果はすばらしく、二〇ミリ四門を斉射しても安定性が抜群であった。

 最高速度は高度五〇〇〇メートルで六〇二キロと零戦を上回り、降下制限は八五〇キロと大きく引き離していた。

 この機体は一九四二年に正式採用され、その突っ込みの良さから関取の名前を取って「雷電」という愛称が付けられることになる。

 性能的には零戦三三型を上回る雷電であったが、既存の生産ラインを利用できる三三型に対して新規で作らねばならない雷電は生産が遅延したため、三三型の生産が終わるのは四三年頃であった。


 これらはあくまで例であり、愛知航空機ではドイツのハインケル社の招聘、川西航空機では大型水上飛行艇の生産、川崎重工では一式双発襲撃機屠龍の生産や陸上戦闘機などの設計の仕事をしている。当然のことながら三菱も中島も他の航空機を設計製造していた。

 ただし開戦によって実現性の低いものや重複する用途のものは仕分けられ、無期限停止などの措置が取られた。中島の六発大型爆撃機や川崎の軽爆撃機などがそれに該当する。

 戦前の高度成長による工業力の底上げでも、アメリカという大国を相手にするには雀の涙程度の差でしかない。そのように軍部は考えていたのだった。



 藤本はひとり、艦政本部第八部の机で設計図を前にして思案していた。

 超甲型巡洋艦と呼ばれる三三ノットを出す高速艦がマル四計画で建造されることになったのだが、その主砲である三一センチ五〇口径を利用した巡空艦を作れとの命令が下った。

 マル五計画と呼ばれるこの計画では、損耗が予想される駆逐艦や巡洋艦の補充と航空戦力の拡充を目的とされた。巡空艦は艦隊附属の護衛として建造される予定であった。

 藤本もこれまでの延長線上として設計したが、ルソン島での戦闘を思い出して手が止まってしまった。

 コレヒドール島を砲撃した際、艦隊は島を回るように旋回した。しかしその敵前回頭直後は大きく速度が削られた。そのために命中弾が集中したらしい。

 回頭半径を減らすためには減速せざるを得ないが、減速すれば命中弾も多く出る。速度を維持したまま回頭する方法を考え、藤本はここ数日間悩み続けていたのだ。

 ドイツとの技術交換により新型発動機や電探を得た日本だが、空中軍艦においてはあまり得られたものは多くなかった。つまり藤本は技術革新を己がしなければならないのだ。

 ふと窓の外を見ると、雀が羽ばたいていた。空を飛ぶものといえば鳥だ。しかし彼らの大部分は翼であり、そこに重武装という余計なものは付かない。

 しかし空中軍艦に翼を付けるのはどうだろうか。巨大な翼、舵翼とでも呼ぶか、その舵翼を使い旋回するのだ。ちらりと思いついた舵翼を付けた素案を書き殴る。なるほど旋回性はよさそうだが、強度的にも射界を邪魔する点でも落第点だ。

 そこから数日さらに悩み続けた藤本は、恩師である平賀譲の元を訪ねた。

 体調の優れない平賀を見舞うという理由ではあったが、造船の専門家である平賀の知恵を借りたいという思惑もなかったわけではない。

「おお、藤本君。元気でやっとるかね」

 頑固者で有名な平賀は、その頑固さを感じさせない柔らかな声で藤本を出迎えた。

 しばし日頃の愚痴や近所の子どもたちの様子、庭の植物の話などに花を咲かせた二人であった。平賀は体調が戻れば艦政本部に戻るつもりのようで、古巣の四部のことを聞きたがった。牧野の大立ち回りや福田と江崎の双璧、平賀が設計した艦の改装状況などを話すと彼は熱心に聞き入っていた。

 その話のついでにと、藤本は鞄から製図用紙を取り出した。そこには空中軍艦の落書きが描かれている。大型爆撃機のような形状や、ドイツ式の草鞋型などが鉛筆で所狭しと積み込まれたそれを見て、平賀は往年のように辛口な品評を始めた。

「なんだ、これは。軍艦らしくない上に貧弱な形だ。それにこれはなんだ?速度より防御を優先した点は評価するが、あまりにも不細工だな。これでは安定性が低かろう……」

 生き生きと罵倒する平賀を見て藤本は笑顔がこぼれた。平賀先生はこういう人だ。先程の人の良い老人は先生らしくない。

 次々と没を宣言する平賀だったが、とある一枚で手が止まる。そしてこちらを睨みつけた。

「藤本君。これは鯨かね」

 平賀の手にある紙を覗き込むと、そこには戦艦が巨大な舵翼をぶら下げた姿があった。

「このひれは大きすぎるし、これでは安定が失われる。推進プロペラの真後ろの舵もいらんだろう。だが」

 にやりと笑う平賀。

「要は飛行船なのだ。水上艦とは違う。飛行船のように紡錘型にし、この翼を小さくすれば良い」

「………!」

 藤本は声にならない驚愕の声を上げ、平賀に礼を述べると急いで平賀邸を辞した。

 彼の頭の中に次々と設計図が浮かぶ。紡錘の後端部に推進プロペラをつけその前方に十字の舵を付ける。舵翼は鯨のひれの如く装備し大きさを抑える。旋回用発動機の数も減らせるので整備の手間も軽減できる。藤本は車を呼ぶと鞄を机にして素案を纏め始めた。


 平賀邸では平賀が近所の子どもたちと戯れていた。

「平賀のおじいちゃんはこういうのを作ってるの?」

 ひとりの子どもが雑誌を示すと、平賀はにこにこと笑いながら首を振った。

「わしはもっと普通の軍艦ばかり作っとったよ。こういうのは、わしの教え子の領分じゃ」

 子どもが開いている頁には『未来みらい軍艦ぐんかん空中戦艦くうちゅうせんかんのひみつ』と書かれており、空中軍艦〈筑紫〉や空中軍艦の未来予想図が大きく載せられていた。そしてそこには機械化された鯨のようなイラストが描かれていたのだった。


 藤本式空中艦と呼ばれる空中軍艦はこの時生まれた。藤本本人は「これは平賀先生のおかげで分かったのだから、平賀モデルと呼ぶべきだ」と言い続けていた。

 大きな翼のように伸びた舵により旋回能力を高めた上、艦尾に付けられた推進軸に備え付けた巨大なプロペラは最高速度を下げず、予備推進器との併用ではこれまで以上の速度を出せる計算だった。

 さらには飛行船を彷彿とさせる形状のおかげで、上面に配された主砲塔も俯角を大きく取れる上、副砲の干渉が最小限に抑えられたことで実質的な攻撃力は増大していた。

 この設計図には山本も驚き、重要機密として保護することになった。戦場に姿を現すのは一九四三年を見込んでいた。



 一式陸攻が一機、羽田の滑走路に降り立った。護衛の零戦は十機以上。二機が先だって着陸したが、八機は続けて警戒飛行をしている。

 すぐさま送迎車が近付くと、一式陸攻の搭乗口から長身の男性が降りてきた。その欧米的な顔立ちをした男性は、黒く大きなサングラスに日光を反射させながら周囲をゆっくり見渡した。

「マッカーサー将軍、車へどうぞ」

 護衛兼通訳の西竹一が促すと、ダグラス・マッカーサー大将は露骨に嫌な顔をした。

「私が帰国してここを爆撃するときの情報を集めているのだ。邪魔しないでくれたまえ!」

「熱心なことで……」

 コーンパイプこそ没収したが、サングラス姿を見る限り捕虜に見える要素はほとんどない。何故なら彼の強弁に司令部が根負けし、大幅な自由を許したからである。

 マッカーサーを厚遇するのは終戦への布石でもあり、彼を利用してアメリカ世論へ訴えかけるつもりだったが、彼を御せる力が大本営にあるとは思えない西であった。


「陸軍大臣、永田鉄山であります」

「海軍大臣、山本五十六です」

 送迎車の前では陸海軍の大臣が並んでいた。

 あまり仲が良くないと言われる二人がマッカーサーを待っている間、警備の兵はさぞ生きた心地がしなかったろう。西は気の毒に思った。

「ほう、私が沈めた空中艦と私が潰滅させた師団のボスかね。何の用だ。私は忙しい身なのでな」

 マッカーサーの態度は尊大極まるもので山本は眉を顰めた。しかし謀略戦に長けた永田は眉ひとつ動かさずマッカーサーの言葉を受け止めた。

「将軍殿の指揮は類稀なるものであり、我々の軍も大きな損害を蒙りました。しかしこの戦いも無駄ではありませんでした。貴殿をこうして羽田までお連れできたのですから」

 言外にあなたは敗北したのだと突きつける言葉に、マッカーサーは苛立たしげに鼻を鳴らした。


 車は大きめに作られていたため、マッカーサーは座席に深々と座り込むことができた。一式陸攻での移動は決して快適ではなかったのだった。

「それで。合衆国と馬鹿げた戦争を始めた君達は何を要求するのかね」

「戦争の早期終結」

 山本が短く、しかし力強い声で言い放った。

 マッカーサーはそれを小ばかにしたように口角を上げた。

「合衆国の敵となったものには敗北しかない。つまり君達は負けを認めるのかね」

「必要とあらば」

 マッカーサーの表情が変わる。

 日本の軍部、そのトップに座る彼が出任せで敗戦を嘯く人間でないことは理解している。その上ここにいるのは陸海両方のトップだ。

 合衆国が求めた条件はマーシャル諸島、中国各地の租借地、海南島などの放棄。次に台湾、朝鮮、マリアナ諸島の非武装化と即時独立。最後に軍縮条約への参加であった。

 日本はすべて拒否したが、この二人の口ぶりからして、大部分で譲歩するつもりなのだろう。

「現在封鎖されている対ソ支援に関しても、わが国を経由するルートもございます」

 そう言いながら永田は英語で書かれた書類を取り出した。

 そこには津軽海峡や間宮海峡の測量地図、その付近の港湾についての情報が記載されていた。重要な部分はさすがに黒く塗りつぶされていたが、大西洋での武器貸与法レンドリースが滞っている今、太平洋を使ったルートはソ連にとっては大きく期待するところだろう。

 また書類には日本国内の市場開放に関して記載されたものもあった。

 マッカーサーは息を呑んだ。なんと日本政府は財閥の解散すら行うつもりらしい。今回の戦争の一因が経済摩擦とはいえ、最悪国内の経済が崩壊する可能性すらある荒療治を日本政府は行うつもりらしい。

 それによりできた経済的空白を合衆国の企業が埋めれば、日本は合衆国に経済的従属を強いられるだろう。そう簡単にいくはずはないが、列強に伍する国力の日本の市場規模は魅力的だ。

「……そこまでして、国益はどうなるのかね」

「合衆国とわが国、両者が手を取り合う方が国益に適う……我々はそう考えております」

 山本の言葉に押し黙ったマッカーサー。

 車は帝都を走り続けていた。


「ハインケル先生!」

 愛知航空機の工場でドイツから来た設計士は、手元の図面から顔を上げる。息を切らせて駆け寄ってきたのは、もんぺ姿の女性であった。

「やあ、元気そうだね」

 愛知・ハインケル航空機会社としてこの東海地方に工場を建てて既に一〇年が経つ。創業以来愛知航空機の出資によりハインケル社は命を繋いできた。本国でヒトラー率いる国家社会主義党が躍進すると、彼等を批判し続けていたハインケルは会社を部下に任せこの日本に移ってきた。

 現在は液冷発動機を使った艦上機の設計を行っているが、軍は液冷の整備が比較的難しいことなどを理由に採用を渋っている。

 その鬱憤を晴らすべく今日はこの工場に隣接する滑走路で、軍の高官を呼んでの飛行試験を行うのだ。

 彼が祖国を飛び出してこの新興の島国に来た時、技術力の高さに驚くと同時に、その無計画さに失望した。なるほど自分の設計した航空機を作ることはできる。しかし量産するのは不可能だ。これでは工場というより芸術家のアトリエである。

 彼は自分が母国で「生産性に難あり」と評価されていたのを思い出しつつ、この国の工業を育てる決意をした。困難は予想されたが同志は多く、陸海軍だけでなく政財界や中小企業でさえ協力してくれた。

 彼らの働きとハインケルのおかげで、現在この工場は稼動しているのであった。

「いよいよですね、先生!」

 可愛らしいえくぼを浮かべながら笑う少女と言っていい年齢の彼女は、この工場で一番の設計士の卵だ。女子教育にそこまで詳しくないハインケルであったが、

「資源の少ない国にとっての一番の資源は人間だ。そこに性別やら人種やらとやかく言うべきではない」

 そう言って彼を説得したのは、女子教育の先駆者であった女性であった。

 以後彼は空襲の目標となりやすい工場は避けつつも、設計所や経理などの事務所で女性を採用することになった。


 ハインケルの目の前で思案する彼の様子を不思議そうに見ている少女は、今日飛ばす試作機の設計に携わっている。この試作機は海軍航空技術廠主導ではあるが、細かい部分は民間会社であるハインケル・愛知航空機にも任されていたのだ。

 彼女の腕はすでにハインケルがドイツから連れてきた男たちより上かもしれない。何せ彼女は風洞模型を見ただけで欠点や特性を言い当てたのだ。

 陸海軍の無理難題をゼロ戦に昇華させた堀越二郎も、頭の中で設計図面の航空機を飛ばして欠点をあらうことができるという。

 彼女こそこの会社の未来なのだ。

「先生?どうかしましたか?」

「ナイン……なにもないよ。少し考えてただけだ。滑走路に行こう」


 その日の午後、少女の涙ぐむ姿にハインケルは慌てながらも必死に励ましていた。

 海軍大佐曰く「液冷式発動機は複雑な機構故に、航空母艦での運用に向かない。その欠点を補うほどの性能を、この航空機からは感じられない」と。

 ハインケルたちはすでに前線での液冷式エンジンを積んだ機体運用は、陸軍機で実証済みだと反論した。しかしその上層部は意見を変えず、ついには試作艦上爆撃機は試作のままになった。


 この三日ほど後、少女は再び落涙した。今度はハインケルも慌てずにすんだが。

 少数運用に限れば艦上機として運用できると判断した上層部から、艦上偵察機として採用するとの通達があったのだ。

「二式艦偵」として採用されたこの機体は愛知航空機の工場が生産を担当した。この機体はやがてその性能から、二式艦上爆撃機「彗星」として陸海問わず運用されることになる。

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