空中軍艦対陸上要塞
第二空中戦隊の森下信衛は、同期の有賀の連絡に異議も申さず従った。〈浅間〉以下の四隻が離れていく。
大型機用発動機である金星を更に拡大強化した火星発動機の爆音が、左舷破孔から響き渡る。有賀は損傷を確認しに来ていた。
火星発動機は航空機用のエンジンのためこの巨体には非力だが、転針する場合にはとても重宝する。片舷六基のうちひとつでも壊れれば操舵に影響してしまうのだ。
被弾した装甲は醜くねじ切られ、木材と鉄骨で応急処置されていた。
破損した兵員室は黒く焦げ付き、太い綱で身体を固定した兵士が修繕や廃棄を行っていた。
応急班の指揮を執っていた大尉がこちらに気がつき敬礼する。有賀も答礼し、
「具合はどうだ?」
と周囲を見回しながら聞いた。
「戦闘に耐え得るかどうか、気になってな」
「もちろんです。消火も早かったおかげで延焼も抑えられましたから。左舷高角砲も逸れましたし。それに兵員室までで爆発も止まったおかげで機関部は無事です。ここの乗員にゃ悪いですがね」
大尉は炭になった何かを片付ける部下を見つつ、苦笑して状況を述べた。
破孔から吹き込む風も少なく、通路として使用に耐え得るものだと確認した有賀は満足し艦橋へ戻る。
ダグラス・マッカーサーはフィリピンの全連合軍の指揮権を持っていたが、上申してくるのは後退ばかりであった。
上陸地点への急襲で水際防御を行うはずだったフィリピン軍とアメリカ軍であったが、初動で航空戦力を潰され上陸地点への艦砲射撃によりその意図は挫かれた。
本来バターン半島で長期防衛を行うのがマッカーサーや在フィリピン陸軍の考えであったが、陸軍参謀本部は日本軍をフィリピンへ一歩も入れたくなかったらしい。航空機の増派と海軍の強化の代わりに、ルソン島完全防御を命じてきた。
マッカーサーもフィリピンを寸土でも占領されるのは我慢ならないが、現実問題として少々の増援ではフィリピンを守り切ることはできないのだ。
かくしてM3戦車をすべて投入した迎撃戦は勃発、連合軍は撤退を繰り返す羽目になった。艦砲射撃と日本軍の自走砲を甘く見ていた結果でもあったが、やはり無理のある作戦だったのだ。
作戦の責任を大統領府に負わせるべく、マッカーサーは皮肉たっぷりの電信を本国へ送ったが、それに対する返答はない。マニラ湾のキンメル中将も増援を要求しているようだが、やり方が悪いのか逆に補助艦艇を引き抜かれる始末だ。
マニラが無防備都市宣言を行う前に、ルソン島北部の兵力をバターン半島に移動せねばならない。コレヒドール島の司令部では、半島内の各陣地に移動させる部隊への指示で混乱していた。
バターン半島に達しつつある日本軍の報告に不機嫌になったマッカーサーの下へ、副官のリチャード・サザーランドが飛び込んできた。
「これ以上悪い状況があるというなら教えてもらいたいものだね」
様子から吉報でないことを感じたマッカーサーは、コーンパイプを咥えながら嘆息した。
「マニラ湾が空爆を受け、アジア艦隊が壊滅したと」
マッカーサーは驚いて立ち上がると、汚らしいスラングを連呼しながら当り散らした。
「海軍には戦争中という意識はないようだな!」
昨晩から一睡もしていないサザーランドは早口で海軍からの電文を読む。
「日本軍は夜間爆撃と同時に空中軍艦を多数投入した突入作戦を行いました。近距離から撃たれたため、壊滅はあっという間だったそうです。海軍は反撃にある程度成功し、敵艦に損傷を与えました。空中軍艦はマニラ湾東から侵入し、コレヒドール島を迂回する見込みです」
時計を確認したサザーランドは、要塞の外では日が出ている時刻であることに気がついた。
「海上を巡航速度で進んでいた場合、あと一時間でコレヒドール島を攻撃範囲に収めます」
「ボーイズに伝えろ、空に不審な影を見つけたら直ちに報告しろとな」
再び書類に目を落としたマッカーサーと退出しようとしたサザーランドの頭上から警報が鳴り響く。
「何事だ!」
マッカーサーが怒鳴ると、伝令が転がり込んでくる。
「空中軍艦四隻接近!針路コレヒドール島!」
マッカーサーは即断した。
「対空中艦用意!一四インチの射程に入り次第打て!」
「ありゃ本当に戦艦だな……」
草鹿がぼやく。有賀も内心同意していた。
地図上ではおたまじゃくしのような形だったが、実際に目にするとそれは巨大な超弩級戦艦の碇泊地を彷彿とさせるものだった。
一四インチの連装砲を空中軍艦を使いさらに空輸したと聞いていたが、どうやら旧式戦艦から取り外したもののようだ。おたまじゃくしの頭に当たる場所に陸に上がった戦艦かと思わせる建造物が鎮座する。観測用の鉄塔を挟んで配置された旋回砲塔、そこに搭載された一四インチはまっすぐこちらを睨んでいるのだ。
各所に陣地化された巨大な砲台があるらしいが、やはり一四インチを使った陣地が目立つ。一四インチカノン砲もあるのだが、連装砲塔と観測所を設けた「戦艦コレヒドール」には見劣りする。
「敵艦……敵要塞、発砲!」
「さすがに遠いな」
草鹿が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
ふらふらと風に流される空中軍艦、波に揺られる水上艦に比べ、陸上要塞は安定性で有利だ。
「発砲炎一〇門!」
「内二つは連装砲だから、一二門か」
こちらは四一センチが八門、一四インチが二七門と圧倒している。ここは数で押すべき状況だ。
「ここは丁字を描くべきか?」
草鹿の冗談はコレヒドールの威容に呑まれつつあった艦橋の空気を換えた。
草鹿も微笑みつつ、真面目な口調で、
「では二五〇〇〇で二三〇度へ変針し〈松島〉以下は先程の砲炎を目標に射撃。〈筑紫〉はあの戦艦をまず撃破する」
戦艦のために用意された徹甲弾が、陸上要塞めがけて放たれようとしている。榴弾ではあの厚いべトンの壁を貫通できないと判断したからだ。
再び島が火を噴く。一二発の砲弾が空の軍艦を叩き落とさんと、轟音を引き連れ迫る。
しかし三五ノットの最大戦速で風を切る〈筑紫〉をかすりもしない。
距離二五〇〇〇メートルの報告で取舵の命令。慣性で引きずられる艦体が悲鳴を上げるが、プロペラが強引に進行方向を変える。
後続も軋みを上げながらも旋回。戦列が整うと草鹿の裂帛の声が響いた。
「撃ち方始め!」
揺れる艦橋内に砲炎の光が差し込み、乗員の全身を濡れ雑巾で引っ叩いたような衝撃が襲う。まだこれでも斉射よりはましなのだ。
着弾までの間に、再びコレヒドール島が発砲する。しかし閃光は四箇所、しかも斉射とは言い難い撃ち方だった。
やはり、と有賀の脳裏に思い浮かんだものがあった。
「長官。どうやら各砲台は連装砲を除き、射撃管制がなされていないようです」
「ふむ」
頷く草鹿だが戦闘に入った以上出来ることはない。
しかしコレヒドール全ての砲台を相手にしている重圧感は緩和された。浮き足立つこともなかろう。草鹿は冷静に考えて、次の着弾に備えた。
<筑紫>着弾まで少しという時、島の一番高い場所から砲炎とは異なる火柱が立ち昇った。
「<厳島>が命中弾を出しました!砲台燃焼中!」
歓声をあげようとした乗員が気を緩めた瞬間、<筑紫>は大きく身を揺すった。
「状況知らせ!」
「艦底部に被弾二!現在損害確認中で……」
再び揺れ動いた艦に言葉を切る伝令と有賀には見えなかったが、右手のコレヒドールを見据えていた草鹿には、<筑紫>の艦首付近に突き刺さる瞬間を目撃した。
艦首付近に配置されていた火星エンジンを細切れに吹き飛ばした一四インチの砲弾は、艦首砲の真下で炸裂。艦首一二.七センチ高角砲をただの鉄屑へと変貌させた。
<筑紫>以前の空中軍艦ではこの場所に二〇センチ強、つまり重巡洋艦の主砲と同様のものが備え付けられていた。防御もそれ相応のものだったため、戦艦級と砲戦を行う<筑紫>以後の艦では対空兵装の強化に当てられたが、もしこれが<浅間>型と同じ装備であったなら誘爆もあり得ただろう。
「艦首に被弾、一番高角砲損壊!」
艦首からの報告を聞き一安心するも、艦底部からの続報が来ない。
焦りが顔に出る幕僚に草鹿は怒鳴りつけた。
「慌てるな!応急班を信じられんのか!」
静かになった艦橋に響き渡る足音。それは階下から階段を駆け上がると、艦橋へ転がり込んできた。
顔を煤だらけにした応急班員は、黒くなった顔に対してやけに目立つ目を輝かせながら報告した。
「艦底部の損害、右舷火星機関一基と機銃一基の損害!火災発生するも消火に成功しました!」
艦底部に命中した砲弾は二五ミリ機銃や二〇ミリ機銃を吹き飛ばし、機関部装甲に衝突していた。爆風は自らが通ってきた破孔や艦内通路を乗員を巻き込みながら広がった。
もう一発はその至近に命中し、怪我人も死体も区別なく砕いた。鉄屑となった装甲やリベットが外へぱらぱらと落下していく。
艦内は怪我人の呻き声や立ち込める煙に満たされた。応急班は消火班と収容班に分かれて動き出した。
破孔に木材で橋を架けると、放水銃を抱えてそこを渡る。燃えにくいはずの塗料が燃焼する高熱の中、消火班は顔を赤く炙られながら消火作業に奔走していた。
収容班は床に倒れ伏す乗員の生死を判断して、生きている者から安全な後方まで引き摺っていった。腕がありえない角度に曲がっている者、背中の部分が真っ黒に火傷している者などが医務室へ担ぎ込まれていく。
三基の機銃と二〇名の命が失われた。しかし主砲はそれを意に介さず砲弾を送り込み続けていた。
有賀の睨む先では、六箇所から煙や炎を上げるコレヒドール島があった。
残る一四インチ砲は単装二門。そして戦艦コレヒドールだけだ。
被弾が重なり命中精度の低下もあるが、<筑紫>は六斉射分の砲弾を外していた。<松島>らは既に各艦二発の命中弾を出しているにも関わらずだ。
草鹿の様子は変わらないがこのまま外していたならば、彼の怒号が飛ぶのは間違いない。
四〇発目が着弾すると有賀はぐっと拳を握りしめた。
「命中!」
「よく耐えた。次より斉射」
草鹿は軽く微笑み、止めを差すべく指示をした。
砲撃止めが命じられた時にはコレヒドール島から噴き上げる砲炎はなくなり、島内各所から立ち昇る煙ばかりになった。
巡洋戦艦によく似た性質を持った<筑紫>は一撃離脱戦法を取る前提の空中軍艦だ。滞空しての戦闘はなるだけ避けるよう、藤本以下造艦士官からは釘を刺されていた。
今回のコレヒドール島襲撃も、陸上火砲が追いつかない速度での一撃離脱にすべきだったかもしれない。
有賀の思案顔をちらりと見た草鹿は、頃合いを見計らって指示を下した。
「台南飛行場に帰還する。針路……」




