会敵
「航跡見ゆ、右三〇度!戦艦六、空母二、駆逐艦多数。極東艦隊に違いありません!」
第一次攻撃隊の指揮官である奥宮正武少佐の座る偵察員席から、操縦席の藤田信雄一等飛行兵曹の声が響いた。
第一攻撃隊は各空母から護衛の零式艦上戦闘機八機、二五番(二五〇キロ爆弾)を吊った九九式艦上爆撃機が一〇機、八〇〇キロの魚雷を抱えた九七式艦上攻撃機が七機が飛び立つ。四空母合わせて一〇〇機もの軍勢だ。
航空機のみで戦艦が沈められるか。その議論は奥宮には関係ない。しかし否が応でも、航空主兵に舵をきった日本帝国海軍の行く末を意識せざるを得なかった。
「敵直掩がいるはずだ。注意しろ」
激しい雨音のような音と共に、各小隊の長から元気の良い返答がある。
右手に位置する直掩機が激しく翼を振っている。
『直掩より各、各。フルマーを発見。二個小隊を以って殲滅する』
直掩隊隊長の岡嶋清熊大尉の声が、通信機を通して響く。
各隊長のみが使う周波数の雑音は、先ほどの共通周波数に比べ、かなり抑えられている。慣れ親しんだ手旗信号ではないことから、少なくとも彼らの零戦に搭載した通信機も評価は上々らしい。
「金剛一、了解」
返答するや否や、岡嶋の零戦を含めた八機が攻撃隊から離れる。零戦の翼が翻る。
岡嶋の光像式照準器はすでに蛇の目をあしらった機体を捉えていた。
本隊を見つけたのかゆったりと翼を翻す英国軍機は、フェアリーフルマー複座戦闘機だ。爆撃機から派生したためか戦闘機らしからぬフォルムであったが、イギリスの艦載機の主力らしい。
岡嶋は素早く咽頭式マイクのスイッチを入れた。
「ハナ一より各、各。敵はフェアリーフルマーが一四機。第一、第二小隊が最後尾からかく乱、第三と第四は撃ち漏らしを頼む。以上」
がりがりと耳触りな音の中に、列機の返答が聞こえた。さすがはドイツの製品だ。昔のとは大違いだ。
つまみを切り替え一言、
「いくぞ」
と列機に伝える。
スロットルを開き増速。時速四〇〇キロを超え、フルマーの下方から急接近し七.七ミリ機銃の引き金を引いた。
フルマーは急降下しようとするが、二番機の銃弾がとどめを差した。急降下とは明らかに違う動きで、バランスを崩したフルマーは群青色の海へ引っ張られていった。
「次!」
今ので敵も気がついただろう。しかし立て直す隙は与えないつもりだった。
先ほど撃墜したフルマーの列機を狙い一連射。手応えは感じたが、撃墜したかどうかは確認せずにそのまま上昇。翼を翻しながら次の目標を見定める。
フルマーは急降下に入る機体が多かった。しかし零戦から逃げるには遅すぎる。
左右に機を揺らしながら退避するフルマーめがけて岡嶋は急降下、五〇〇キロを超えたあたりで二〇ミリ翼内機銃を短く射撃した。
手の届きそうなほど近距離で放たれた二〇ミリ機銃は、フルマーの主翼と胴体に命中。何発か発動機を破損させたのか、黒い煙を上げながらフルマーは急降下し、そのまま機首を上げずに海へ墜ちた。
次の目標を、と考えた岡嶋であったが、その必要はなかった。
『隊長、フルマー全機撃墜を確認。第四小隊が見回ってますが、付近にはいないそうです』
「了解」
後はあんたらの仕事だぞ、奥宮少佐。黒煙に塗れた攻撃隊を見守るように、岡嶋は愛機を大きく旋回させた。
英国戦艦群は〈ネルソン〉級を先頭に三隻ずつの複縦陣を敷き、その後ろを空母が追いかける形だった。
駆逐艦多数との報告だったが、数えたところ一〇隻程度しかいないことが分かった。
「コン一より各。空母は降爆(急降下爆撃)隊に任せ、雷撃隊は戦艦を仕留める」
各空母で一個の隊なので、このままでは無傷の戦艦が最低二隻残るが、そちらは第二攻撃隊に任せるつもりだった。
戦艦も恐ろしいが、それ以上に敵の航空隊が怖い。防空において最も効果があるのは戦闘機によるものであると、これまでの訓練から身に染みているからだ。
二隻の中型空母に四〇機の降爆だ。少なくとも航空機の運用能力は失うだろう。
「トツレ」
短く命令すると、九七艦攻は海面に触れるほどの高さまで降下する。
奥宮は指揮官とは別の任務、統一雷撃の指示へと移った。
標的は先陣を切る〈ネルソン〉級を選んだ。右舷に回り込み、雷撃高度へ降下する。
「ちょい右、ちょい右……宜候」
上空から見れば見事な斜線を描いた梯形陣になっている。そして先頭の指揮機の投雷に合わせて、隷下の各機も魚雷を落とすのだ。
「距離一〇〇(一〇〇〇〇メートル)、高度二○」
「もっと下げろ!三〇で投下する。復唱!」
「了解!距離三〇で投下!」
英国艦隊の対空砲火は、予想以上に凄まじいものだった。訓練では高度二〇メートルでも十分だったが、奥宮は高度をもっと下げさせた。
「八〇……七五……」
徐々に距離が詰まり、藤田が五〇と伝声管に怒鳴ったところで、後ろを警戒する通信手席の畑中二飛曹が悲痛な声をあげた。
「ご、五番機被弾!」
「……!宜候」
五番機を操縦する島田二飛曹は配属されたばかりで、恐らく高度を下げきれなかったのだろう。
悔しいがどうすることもできない。奥宮はネルソン級戦艦を睨みつけた。必ず命中させてやる。
距離を読み上げる藤田の声が震える。戦艦に衝突するのではないか、という不安すら感じているのだろう。
「四〇……!三五!」
藤田の投下索を握る手に力が籠る。
「三○!」
「てー!」
機体が八〇〇キロの重量物を切り離した反動で、ふわりと上昇しそうになる。それをどうにか抑え込みつつ右旋回、艦首側を通りぬけた。
「全機、投雷成功セリ!」
畑中が投雷に成功した機は九機と叫んだ。何発命中するだろうか。
安全圏に脱したのを確認し上昇しようとしたところで、畑中の叫び声が再び響く。
「敵〈ネルソン〉級に命中!水柱が立ってます!」
「数は?」
「……見た限りは一本です。……あっ」
「どうした!」
「反対側の〈ネルソン〉級にも命中三です!空母も二隻とも炎上中!」
「よし!」
撃沈はならないだろうが、最大の懸案だった一六インチ砲搭載艦両方に命中させたことは大きい。命中一発のみの方は分からないが、少なくとも三発命中ならば撃破は確実、砲戦は行えないだろう。
それに空母を撃沈できたならば、今後の航空戦では優位に立てることは間違いない。
奥宮は通信を全機に向けて発した。
「攻撃終了。集マレ、集マレ」
イギリスの繰り出したZ艦隊はその日、三回延べ三〇〇機以上の襲来を受けた。
第一次空襲で多数の二五〇キロ爆弾が命中した〈アーガス〉は大破炎上。第二次空襲の最中、弾薬庫に火が回ったのか大爆発を起こし沈没した。
〈アーク・ロイヤル〉も四発の被爆により発着艦能力を喪失、第二次及び第三次空襲では九七艦攻による八〇〇キロ爆弾の水平爆撃により、主装甲が貫通された。その後三時間にわたり炎上していたが、イギリス駆逐艦により雷撃処分された。
第一次で〈ロドネー〉に三本、〈ネルソン〉に一本の魚雷が命中した。〈ネルソン〉はどうにか増設したバルジが受け止めたが、〈ロドネー〉はほぼ同時に三元中央艦橋の直下に三発が命中。その結果左舷より大量に浸水したため二〇度まで艦が傾いていた。
〈ネルソン〉はその後の空襲で四発の二五〇キロ爆弾を受けたが、いずれも主砲や主装甲部の防御により被害は僅小だった。
トーマス・フィリップス提督は第一次空襲後〈ロドネー〉のシンガポールへの帰還を命じたが、離れる前に第二次攻撃を受け二発の被雷。「出し得る艦速五ノット」と報告していた。帰路で哨戒中だった伊号潜水艦により発見され、伊号は雷撃を敢行。〈ロドネー〉は必死に回避しようとしたが、五ノットしかでなくてはどうしようもない。二発の被雷により浸水が悪化、沈没した。
第一次空襲では無傷だったR級戦艦四隻も、その後の空襲で多数の命中弾、至近弾を食らっていた。
〈リベンジ〉は右舷に三発の命中弾により副砲が炎上。艦首への被雷も相まって応急修理無しには戦闘に耐えうる状態ではなかった。
〈レゾリューション〉も右舷に被爆した影響で右舷副砲が全損。魚雷は命中しなかったが、至近弾多数により艦底部から浸水していた。
〈ラミリーズ〉には二五〇キロ爆弾三発、八〇〇キロ爆弾が二発命中した。艦橋基部に命中した八〇〇キロ爆弾は司令塔を爆砕、艦長以下指揮系統を混乱させた上に特徴的な三本マストを倒壊させた。
R級では〈ロイヤル・ソブリン〉はもっとも被害が大きく、二五〇キロ爆弾六発と魚雷二発が命中。弾薬庫もすでに注水され〈ロイヤル・ソブリン〉は大破し戦闘能力を喪失した。〈ロイヤル・ソブリン〉は〈ロドネー〉と共に退避しようとしたが転覆した。〈ロイヤル・ソブリン〉は「航空攻撃のみで撃沈された最初の戦艦」という記録を残し、多くの乗員と共にマレー沖に沈んでいった。
出撃時では六隻もいた戦艦が、航空攻撃のみで二隻まで弱体化してしまった。日没により空襲は収まったが、とても砲戦に持ち込んでも勝てる状況ではなくなった。
フィリップスは午後八時頃に艦隊を反転する命令を出し、シンガポールへ帰還することを決定した。後方に下げた〈ロドネー〉が撃沈されたと、護衛に分派した駆逐艦〈ヴァンパイア〉からの連絡を受けたからであった。
このまま砲撃戦へ突入しても、シンガポールが丸裸にされてしまう。だがこの命令は遅きに逸したというほかなかった。
〈ネルソン〉に搭載された初期のレーダーは空襲時には故障していたが、午前三時に修理が完了した。修理が完了したのを確認するために起動させたところ、北から大規模な反応が出たため、その報告は急いで司令部に届けられた。
フィリップスは夜間戦闘の準備に入った。日本帝国海軍第二艦隊の本領、夜間戦闘の開始だった。
「司令長官、敵艦隊を捕捉いたしました。距離約四〇〇(四〇〇〇〇メートル)」
〈天城〉艦上では三〇ノット以上の速度が引き起こす風が、艦橋の窓を震わせていた。
第三艦隊司令長官小澤冶三郎中将は航空攻撃で敵艦隊を半壊させたが、Z艦隊のとどめを砲戦で差すことを決めていた。ここで残存艦を出すと後の南方作戦で支障をきたす可能性があったからであった。
アメリカ艦隊迎撃のために第一艦隊へと抽出された第二水雷戦隊(旗艦〈神通〉)があれば、と思う気持ちもあった。しかし第五艦隊としてフィリピンを制圧中の第四水雷戦隊(旗艦〈大井〉)や仏南制圧を任された第四艦隊を危険に晒す可能性がある以上、ここで決する必要があったのだ。
雲量も少なく、月光が海面を照らしていた。夜間視力に優れた見張員には良い条件だったのだろう、四〇〇〇〇で敵艦隊を見つける僥倖を成し遂げた。
夜間観測機を発艦する命令を出し、小澤は単縦陣を敷いた。戦艦と重巡合計八隻の列はイギリス艦隊めがけて接近していた。
吊光弾が投下され、艦隊が露わになる。
「敵、戦艦四、駆逐艦一〇!」
短く、しかし重要な伝令が走りこんできた。
「戦艦では同数、巡洋艦と駆逐艦では有利ですな」
参謀長の大西瀧治郎少将は唸る。
「やはり一六インチが気がかりか」
小澤は大西の考えていることについて推測した。
こちらは四五口径一四インチ三連装四基を搭載した高速戦艦だ。同等の排水量で四一センチ連装搭載も可能であったが、ワシントン軍縮条約を遵守するという決定により、現在の形になった。防御も一四インチに則した防御だが、損害制御を念頭に入れた設計となっている。
また大和型戦艦のテストベッドとしても建造された結果、集中防御方式が取られ、戦闘に支障をきたさない区画は防御を減らしてある。これによりどうにか〈天城〉型は最高三三ノットの高速を手に入れたのだ。
対する〈ネルソン〉級だが、あちらもワシントン軍縮条約や実験艦的側面を持つ。一六インチ搭載艦は栄えあるロイヤル・ネイヴィーでも〈ネルソン〉と〈ロドネー〉の二隻のみだ。
三連装主砲塔をすべて艦橋の前部に配置した結果、特異な印象を感じさせる艦影となった。
また防御においても〈天城〉型と同様に集中防御方式を採用してるとの噂もあった。つまり〈天城〉型の主砲では、主装甲部を撃ち抜けない可能性が高い。
随伴するR級も全艦が一五インチ連装を四基備えている。
単純にすれば、こちら側は攻撃力では劣るのだ。
「あ、いえ。ただ……」
大西は言葉を濁すと、にやりと悪戯小僧のように笑った。
「航空機で全て沈められたなら、と」
大西は戦艦不要論や戦闘機無用論など、現在の航空主兵主義へと変化した海軍になる前から、いろいろと毀誉褒貶の激しい人物であった。航空機製造会社とも個人的な人脈を持つなど、軍政でも暗躍しているという。
その彼にとって、六隻の戦艦が四隻の空母に敗北するというのは、とてもうれしいことなのだろう。
「総力戦研究所も、消耗戦になれば必敗と言ってますからね」
総力戦研究所というのは、内閣総理大臣直属として設置された、国家総力戦における各戦略を研究する機関である。そこでは文官武官問わず有望な若手を集め、国力を総動員した戦争における国防と経済の方向性を探っていた。机上演習では日本の敗北は不可避と判断したこともある。現在の所長は岡新海軍少将。大西の同期にあたる人物だ。
「短期決戦に持ち込む上でも、艦が損耗するのを防ぎたいと思いまして」
「残念だが、二〇〇機では六隻全てを沈めるのは無理だったな」
小澤はこの戦争が短期決戦になるとは思わなかった。最低でも前世界大戦と同様五年はかかるに違いない。
上層部は速攻によりアメリカをハワイ以東に引きこもらせれば講和がなる、と考えているようだ。しかし南方資源地帯を奪取し長期持久体制を保つべきなのではないだろうか。
小澤の長期戦への懸念は現実化するのだが、同様の持久体制を唱える者が他にもいた。
山本五十六の懐刀である樋端久利雄中佐や、連合艦隊司令長官嶋田繁太郎大将などだ。
樋端は連合国の捕虜を厚遇し、連合国将兵や国民の敵愾心を削る戦略を立てた。そのためには捕虜収容所の拡充や待遇を現状から大きく変える必要があったが、山本の力添えもあり断行した。そしてその効果が出るには、総力戦研究所によれば三年から五年が必要であったのだ。
嶋田は大艦巨砲主義に傾倒していたためか、別の観点から長期戦を考えていた。戦艦が一年以上かけて建造されるのに対し、航空機は搭乗員を除けば数日で戦術単位ができる。艦隊を撃ち破れば年単位の労力を費やしてようやく回復するが、航空戦では消耗も早いが回復も圧倒的に早いのだ。主流が航空主兵へ移行した以上、その損耗の回復が多くの航空戦を引き起こすに違いない、と嶋田は考えたのだった。
「距離、約四〇〇!」
夜間戦闘では命中率が著しく低下する。まだ砲撃するには遠すぎる。敵も同様……そのはずだった。
徐々に狭まる距離に過ぎる時間。航空に明るい大西などは特に苛立つだろう。まだかまだかと暗闇を睨みつけている。
大西だけではない。艦橋に詰めている全員が緊張した表情を見せていた。
「距離三五〇!」
「敵先頭艦、発砲!」
ざわつく司令部を眼で制すると、小澤は大きく息を吸うと呟いた。
「電探射撃、か?」
二分ほどが過ぎただろうか、と大西が時計に目を向けた瞬間だった。〈天城〉から一〇〇メートルほど離れた海面に、突如巨大な水柱がそそり立った。
「全弾遠弾!」
「長官……!」
小澤を振り向いた大西の顔は驚愕していた。
〈天城〉を狙った三つの水柱の下手人は〈ネルソン〉級に違いない。しかし夜間にこの距離で左舷に一右舷に二の水柱、つまり挟叉したのだ。
常識的には考えられない精度だ。偶然の可能性も高いが、小澤の勘はこれが必然であると告げていた。
「電探だ」
実際には電探はこの時期、最先端を行く英国ですら射撃用として運用できるほどの精度は持ち合わせていなかった。
しかしフィリップスは一計を案じていた。先頭の〈ネルソン〉と最後尾の〈ラミリーズ〉に搭載されたレーダーを使い、〈天城〉の正確な位置を割り出したのだ。
「速力そのまま。左一〇度、同航戦に入る」
南東へ避退するZ艦隊をほぼ真北から追いかけていた第二艦隊がその優速を以ってZ艦隊の前へ出る形だったが、これをZ艦隊へ切り込む作戦へ切り替えた。
「水雷隊、敵艦隊と会敵します!」
五水戦と六水戦が敵護衛との戦闘に入った。
「二〇で砲撃開始せよ」
現在の距離は約三〇から三二の間。砲戦距離に入るまでに被弾するかもしれない。
しかし命令を下した以上、小澤はただ耐えることだけしかできないのだった。




