産声
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準備は着々と進んでいた。その艦種は国内では初めての建造にも関わらず、進捗具合は順調であることを確かめた藤本喜久雄造船大佐は、ほっと息を吐いた。
「やはり、緊張しますな」
藤本が艦から目を放し振り返ると、そこにいたのは山本五十六大佐であった。
「おや、山本さん。こんなところにいていいのですか。式典の方に行かなくては」
「気になってしょうがないのですよ。このフネがどう動くか、近くで見たくて…」
子どものような好奇心を顔に浮かべながら山本は艨艟を見つめている。
「式が始まるまでは動きませんぞ。ここでは最終点検を行うのがわかるぐらいです」
「分かっています。しかしもう待ちくたびれてしまった。早くこいつが動くところが見たい。見たくてたまらない」
藤本は山本の気持ちがよく理解できた。この艦がここにあるのは、山本やその一派が主導した結果だからである。噂によると、原敬総理大臣までも関わっているらしい。軍拡に熱心な軍部の要求が過熱し、肯定派であった原ですら眉を顰める規模になったため、大蔵大臣である高橋是清と共に軍縮を計画している。軍部からの批判を避けるためのえさが、この鋼鉄の城とのことだ。
藤本と並び見上げている海軍大佐は内閣の思惑を知ってか知らずか、この艦の建造を主張した。近々行われるという国際軍縮会議に反対する立場である彼は、会議の前に艦を完成させることに固執した。設計者の藤本の元へ足しげく通い、まだかまだかと急かしているうちに、二人は意気投合するようになった。
「山本さんは急ぎ過ぎです。少将に任じられるらしいんでしょう?もっとどっしりと構えてなくちゃ」
山本は少し照れながらも反論する。
「いやいや。これからは航空機の時代が来る。そしたら五分や十分の遅れが命取りになるやもしれんぞ」
「それでも彼女は逃げやしません。それに今は式の前の、いわばお色直しの時です。山本さんが見てちゃあいけませんよ」
藤本の言葉に笑いながらそれもそうだなと、山本はドックから名残惜しそうに出ていった。
半刻後、全ての準備が整った。藤本が式典会場に向かうと、そこにはそうそうたる面々が集まっていた。内閣総理大臣原敬や日本海海戦の軍神東郷平八郎を始めとする、大日本帝国や海軍を代表する人物たちであった。
式は粛々と執り行われた。何も問題がなく進行していった。不安さえ覚えるほどであった。藤本はそう回想している。気が付けば進んでいる、という具合であったとも述べているが、それは彼の疲労によるものではないかと今日言われている。
だが彼の眠気は吹き飛んだ。鉄錆臭い風が噴きつけ、詰めかけた記者や観覧にきた人々のどよめきが広がる。藤本はにんまりと笑い、その様子を見た当時の海軍大臣である加藤友三郎は「驚く人々をよそに、まるで悪戯を成功させた悪餓鬼のような」と後に語った。
人間のことなど気にも留めずに、その軍艦は動きだした。艦首がゆっくりと持ち上がり、軋みを上げながら艦尾にかけてを晒した。なにものの支えも無くその鉄塊は空中へと浮いていた。腹に響く重低音に小さな子どもが泣きだした。まったく揺れを感じさせなかった。空の雲のように悠然とそこにあるのが当然だ、と言っているようだった。
「この艦を、相模と命名する!」
1921年横須賀にて、初の国産である空中戦艦「相模」はここに誕生した。