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甘いキスの目撃者

07

 次に睡蓮が目覚めたときは、母親の腕の中だった。

 安堵のあまり泣きそうになりながら、母にしがみつく。

 「あらあら、睡蓮は甘えん坊ね」と笑うその人に、迷子になっていたのだ、と、心細くて怖かったのだ、と、知らない人に助けてもらったのだ、と、必死に訴えたが、夢を見ていたのだと一笑に付されてしまった。

 

 母によると睡蓮は、花見の宴の一番端の桜の木の下で、うたたねしていたのだという。

 この桜の森に、宴のやぐらが見えない場所はない。

 酔いに任せて森に迷い込んだ客人が、いざという時に道しるべにするために立てているものなのだ。死角があれば役に立たない。

 それに、宴の最中に雨は一滴も落ちなかった。

 遊び疲れて眠っているうちに夢を見ていたのだと、優しく言い含められる。

 

 しかし、睡蓮には、あの温かな背中が夢だとは思えなかった。

 乱暴に頭を撫でた大きな手のひら、少し掠れた歌声。

 夢だなんて思いたくなかった。

 どうしても、もう一度会いたかった。

 ずっと、探して続けていたのだ。その人を。

 

 だから。

 その夜に限って眠れなかったのも、儀式の間は蟄居を言いつけられているのに、朧月の美しさに誘われて、ふらふらと部屋から出てしまったのも、すべて運命のせいかもしれない。

 普段は厳重に閉められている隠し門から入ってくる物々しい姿の雷神の姿を遠くに見つけた睡蓮は、慌てて隠れようとして…そのまま動けなくなった。

 雷神の後ろから入ってきた人の姿に目が釘付けになる。

 

「あ……」

 

 小さく声を上げ、じっとその人を見つめる。

 すらりとした長身の美丈夫、切れ長の眼差し、きっちりと結い上げられた黒髪。

 紫紺の豪奢な衣装に身を包んだ…刻守の王。

 きりりと口を引き結んだ精悍な顔を食い入るように見る。

 苦しいほど動悸が激しくなる。

 

「あの…」

 

 場所もわきまえず刻守の王に駆け寄ろうとした睡蓮は、儀式の警護をしていた屋敷の従者に寸前のところで取り押さえられた。

 

「姫! 何をしておられるのです。今日が何の日かお忘れか!」

「ごめんなさ…。あの、違うの、私」

「ささ、こちらへ早く。儀式を汚してはなりませぬ」

「や、待って、ちょっとだけでいいから!」

「なりません!」

 

 抵抗もむなしく睡蓮は従者に抱えられて部屋に連れ戻された。

 くれぐれも儀式の間は部屋から出ることなきよう、と言い置いて従者が去る。

 障子を閉めた後も庭から人の気配が消えないところを見ると、無鉄砲なお姫様がこれ以上失態を犯さないように、部屋の前で見張るつもりらしい。

 

「あーあ」

 

(もう一度ちゃんとお顔を見たかったのにぃ)

 

 ほてった頬に春の夜気で冷たくなった両手を当てる。

 

(だって…)

 

 まだ心臓が早鐘を打っている。

 初めて見た刻守の王の姿。

 それは間違いなく…。

 

「あの方、だよ、ね」

 

 睡蓮がずっと探していた人。

 桜の森で睡蓮を助けてくれた…。

 青年だったあの時の幼さは払拭されているが、面影ははっきり残っていた。

 甘く優しい響きが耳に甦り、動悸が更に激しくなる。

 

(絶対、もう一度、お顔見なくちゃ!)

 

 硬く決意し、睡蓮はぐっとこぶしを握り締めた。

 

09 

「姫様? どうなされましたか。」

 

 乳母の声ではっとする。

 

「私ね、小さい頃、朱鷺様に助けていただいたことがあるの。だから、朱鷺様が優しいって知ってるわ」

「そうでしたか。そのことを殿には?」

「ううん、話してない」

 

 乳母は言いにくそうに、

 

「姫様、殿は昔のことは覚えていらっしゃらないかも知れませぬ。刻守の王は過去や人や物に心を残すことはないのです。それもすべてお役目のため…」

「ん。それでもいいのよ。朱鷺様のことは睡蓮が全部覚えておくの。だから、いいの」

「姫様…」

「小さい頃からずーっと朱鷺様を探してたの。一目でもいいかお会いしたかったの。大好きだもの。嫌いになんてなるはずないわ。……なのに、あんなこと言っちゃって、どうしよう…」

 

 しょんぼりと肩を落とした睡蓮に、

 

「大丈夫ですとも、ご心配なされますな。…ほら、泣かないで顔をあげてくださいまし」

「ん…」

 

 睡蓮が顔をあげると、障子に背の高い男の影が映っていた。

 

「あ…」

「いるのか? 開けるぞ」

 

 そっけない声は朱鷺のものだ。

 

「駄目です、ちょっと待って…」

 

 睡蓮は慌てて乳母の差し出した絹布で涙を拭った。

 

「んだよ、まだ怒ってんのかよ?」

「ちが…」

「だったらいいだろ。用があんだよ、開けるぞ」

 

 朱鷺が障子に手をかけるより早く、すばやく睡蓮の衣装を調えた乳母が障子を開けて出てくる。

 

「殿」

「小言はいらねぇ。これ拾ったからもってきただけだ」

 

 冠の紐を握ってぶんぶんと振り回す。

 乳母は軽く溜息をつき、

 

「お預かりしましょう。」

 

 朱鷺の手から冠を受け取ると、すれ違い様に、

 

「大事にして差し上げてくださいまし」

「…ふん、どいつもこいつも」

 

 乳母が下がると同時に、睡蓮が泣きながら朱鷺に抱きついた。

 

「う、うぅ、朱鷺さまぁ、ごめな、さい。睡蓮のこと、嫌いに、なら、ないで」

 

 せっかく拭った涙が再び盛り上がり、白磁の頬を次々と濡らす。

 

「だれが、んなこと…」

「朱鷺様ぁ、ふぇーん」

「ったく」

 

 謝るつもりなど最初からなかったが、先に謝られたら決まりが悪い。

 頭をかこうとして、袖がカサリと音を立てる。

 

「ああ…」

 

 朱鷺は袖から砂糖菓子を取り出し、

 

「泣くんじゃねぇよ。ほら、顔あげろ。口開けて」

「えっえっ」

 

 しゃくりあげながら顔をあげた睡蓮の口に砂糖菓子を落とす。

 ひとつ、ふたつ。

 

「……甘い」

 

 驚いたように睡蓮が小さく呟く。

 甘いものなど好まない朱鷺が砂糖菓子を持っているとは思ってもみなかった。

 ほっとするような甘味に涙がおさまる。

 

「うまいか?」

「はい」

 

 にこりと笑って睡蓮がこくんと頷く。

 

「もっと喰え」

「ううん、もう…」

 

 小さな唇に砂糖菓子を押し込む。

 

「あのなぁ。別にいつも笑ってろなんていわねぇ。気に食わないときは怒りゃいいんだよ。怒鳴ってもすねてもかまわねぇ。ただな、泣くな。泣かれたらどうしていいかわからねぇ」

「はい、朱鷺様」

 

 いつもの、満面の笑みを浮かべて睡蓮。

 

「いい子だ」

 

 甘い唇に今度は砂糖菓子の代わりに口付けを落とす。

 

「ん…」

「甘いな。ま、たまにゃいいか」

 

 そのまま、睡蓮を抱き寄せ、華奢な身体を腰を支えながら押し倒す。

 

「朱鷺様、待って…」

「待たねぇ。ここなら誰もいねぇし文句ねぇだろ。見てんのはあいつだけだ」

 

 親指で背後を示す。

 

「あ…。はい」

 

 晴れた夜空には、満月がぽかりと浮かんでいた…。


読んでいただいてありがとうございます。

今まで書いたものを順番に移行してくる予定です。

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