それは、桜の…。
02
思い出すのは、春の頃。
それは、園遊会という名の見合い…いや、露骨に言えば品評会で、しかもすっかりお膳立てのすんでいる退屈な茶番だった。
雅な桜の花の下、ずらりと並んだ名家の姫君たちを見回し、従者に耳打ちする“ふり”をすればそれで終了。
後日、白羽の矢を立てられた哀れな姫君が、朱鷺の伴侶として世界から隔離された刻守の城に送り届けられてくる。
刻守の王の花嫁になるのは大変な名誉ではあるが、幸せとは程遠い。
なにも愛さない相手の傍で孤独な一生を過ごすことになるのだから。
それゆえ、王の元に届けられるのは、権力を望む親に言い含められたか、名家の中でも力が弱く拒めなかったか…、いずれにしろ、哀れな娘であることに違いない。
無理やり出席させられた園遊会にうんざりしていた朱鷺は、早く終わらせようと、ろくに姫君たちの顔を見もせず従者を呼びつけた。
いっそ、茶番を笑い飛ばして園遊会をつぶしてしまおうかとも考えたが、寸前で諦めた。
爺から「くれぐれも」と言い含められていたし、いかに気まぐれと身勝手が信条の朱鷺であろうと、刻守の王としての務めの重要さは分かっている。
面倒は早く終わらせるに限る。
耳打ちの素振りをしようとした時、離れた場所で声が上がった。
「はーい、はいはい!」
訝しげに声の方に視線を向ける。
春霞のようなふわりとした純白の髪に萌える若葉の澄んだ瞳。
まだ幼さを残す顔立ちは将来が楽しみなもので、少し下がった目尻は瑕瑾ではなく愛嬌に見える。
顔に見覚えはないが、彼女が纏っている特徴的な衣装ですぐに分かった。
白絹に金糸をあしらった裾の長い服は季節神の眷属が好むもの。そして、細い腰に巻いた飾り紐にぐるりとぶら下がった翡翠のような輝きを放つ涙型の飾りは、貴石などではなく身につけた者に守護を与える水龍の鱗だ。
春を束ねる水神の娘…。
年の頃から考えると、末娘の睡蓮で間違いないだろう。
この神界で彼女が父たる水神に溺愛されているのを知らぬものはいない。
この場にいるのは意外だが、名家としての立場上、園遊会に娘を参加させぬわけにはいかず、渋々差し出したのだろう。
姉娘達は既に嫁いでおり、年の頃合から彼女を参加させたものの、決して選ばれたりしないように根回し済みに違いない。
彼女は、従者が何事か…。恐らく「園遊会では姫君は口を開かず、殿の思し召しに任せるのがしきたりです」などと言うのを振り払い、朱鷺に向かって元気よく手を振っている。
「そんなの、嫌! だって、このままじゃ、朱鷺様のお顔も見れないもの! 朱鷺様、こっちこっち! まだこっちは回ってきてないですよぅ!」
能面のような笑顔を貼り付けた姫君たちとまったく違う、満面の…はしたないといっていいほど無防備な笑顔。きらきらと輝く若葉の瞳に目を奪われる。
「ふ…ん」
「あ、朱鷺様! お言葉を…」
興味を覚えて、朱鷺は従者の制止も聞かずつかつかと睡蓮に歩み寄った。
「朱鷺様。私、水神の娘、睡蓮と申します」
「ああ、知ってる。なんか用か?」
「はい! 朱鷺様のお嫁さんになりたいです! お願いします!」
白磁の頬を桜と同じ色に染めて、朱鷺をまっすぐに見つめる。
「睡蓮様、なりませぬ!」
慌てて従者が止めに入る。
「殿、申し訳ございません。無礼をお許しください。ささ、しきたりどおりに…」
「やん、放して! だって黙ってたら朱鷺様に気付いていただけないんだもん! あのあの…。朱鷺様、お慕いしています。どうか傍においてくださいませ」
「初対面の相手をどうやって慕うって?」
あまりにまっすぐな様子に、思わず皮肉を口にする。
睡蓮は皮肉に気付いた様子もなくふわりと微笑み、
「違います、初対面じゃありません。季節を渡しに雷神様と一緒にうちの屋敷においでになったでしょ? その時お見かけしました」
「……」
春分の日、冬を司る雷神から春を司る水神に季節を渡す儀式が行われる。
確かに今年の儀式は水神の館で行われた。
だが、それは、季節を司る二人の神と刻守の王だけで行われる秘儀だ。
祭事の場所への出入りすら、人払いをしてから行われる。
見たというなら、どこかからこっそり覗き見していたということになる。
とんだおてんば娘だ。
それを堂々と口にする睡蓮の愚かさにも等しい無邪気さに、朱鷺は思わず喉の奥でくくっと笑った。
(こいつ、おもしれぇ)
「えっと、それに…」
一生懸命にいいつのる睡蓮の髪を、桜の花びら混じりの春風が乱す。
朱鷺は睡蓮の髪に紛れ込んだ花びらに知らず手を伸ばしかけた。
「……」
「朱鷺様?」
伸ばしかけた手を止め、じっとてのひらを見る。
誰にも情など抱くはずがない自分の、思いもかけぬ行動。
もう一度手を伸ばし、ひょいと腰を抱えて華奢な体を軽々と抱き上げる。
「きゃ」
「決めた。嫁はお前だ」
「あ…。わぁい! ありがとうございます。朱鷺様大好き」
嬉しそうに睡蓮が朱鷺の首に手を回す。
慌てたのは周囲の者たちだ。
「なりませぬ!」
「朱鷺様、しきたりをお守りくだされ」
「うるせぇよ。決めたって言ってんだろ。」
しきたりどおりに従者に名前を告げれば、睡蓮を選んだとしても、彼の元に届けられるのは違う姫君だ。
「行くぞ。つかまってろ」
「はい」
満面の笑顔を浮かべて睡蓮。
朱鷺は睡蓮を抱いたまま、ひょいと地面を蹴って飛び上がり、桜の枝を軽やかにわたって屋敷に戻った。