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 第三章・2

「うわこれ、まだ貼ってあるんだ」

 事務所に入ると、彰久が呆れた声を出した。

 壁に飾られた先代社長の写真……の、斜め下に画鋲でぶらさげられている、百円ショップ入手の額縁。

 中に入っているのはマジックで書きなぐられた「マグロ漁船に乗ります。ごめんね」の文字である。ご丁寧に社印まで押してあり、これむろん、逃げた二代目社長の手になるものだ。

「当然よ。あのほにゃらら、あろうことかこれをアタシの机で書いたのよ。おまけにマジックのキャップ開けっ放しにされて、乾いてダメになっちゃったわ」

 二代目にはさんざ振り回された悦子である。迷惑にトドメを刺された日のことは、語りだしたら止まらない。

「しかも、朝いちで片付けようと思って裏返しといた書類にヘッタクソな魚の絵なんか落書きして! 最初、マグロも漢字で書こうとしたらしいのよね、辞書が机の上に出しっぱなしにしてあったわ。出したらしまえってのよ、幼児かアイツは。もし帰ってきたらこの額縁で額カチ割ってやるんだから」

 幾度となく聞かされてはいるが、改めて恐縮するその娘。

「すみません、本当に、なにからなにまでスカポンタンな父で……」

「ひゃっほう!」

 パソコンの画面に向かった彰久が、奇声をあげた。

 どしたのどしたの、と悦子と那月が駆け寄ると、証券会社の取引画面が映っている。

「え、まさか市川のバカ……」

「バカ! まさしくバカだねミラクル観音くん。さっきの那月の言い方を引用するならスカポンタンだ。前にここからアクセスしたときの履歴が消えてないうえ、IDもパスワードも、しっかり記憶させている」

 うわあ……。

 今どきなんちゅーセキュリティ意識の甘いこと。

 二人が顔を見合わせていると、コホンと彰久は咳払いした。

「んで、どうする? 見る?」

「え、なに?」

「これから俺は市川くんの取引状況を覗き見しようと思ってる。このあたりから法的にグレーゾーンに突入しつつあるわけだけど」

「見たい」

「見る」

「了解。ではここから二人とも共犯者」

 キイボード上を指が滑る。

 彰久はブツブツと、しかし使いにくい、いくら手数料が安いからってこんなサイトで窓口つくんなよ……と、ぼやいている。

 やがて、いとも簡単に市川の今日までの取引内容リストを画面に表示させた彰久は、

「ふざけんな小僧―っっ!」

 いきなり叫んで立ち上がった。

 オーマイガッ! ガッガッガッ! と、ひとり大騒ぎしながら、冷静に画面を印刷する。

「はい、これ見て那月!」

「え?」

「問題です。この生徒は、先生の教えたことを全然聞いておりません。どこが間違ってるかわかるかな?」

 渡されたリストに、ざっと目を通した。

「……先生って、アキにーちゃん市川さんにはなんにも教えてないよねえ」

 悦子に小声で同意を求めると、耳ざとい彰久は、

「門前の小僧に習わぬ経を読んでほしかったの、俺はっ!」

 仁王立ちでふんぞりかえった。

 再び、リストを見る。

「……凄い思い切った動かし方だね」

「そうね。有り金全部一点に掛けてる感じ」

「そのとおーりっ!」

 と、オーバーアクションが加速する自称先生。

「先生はいつも口をすっぱくして、リスク回避のために株は少しずつ分散して買いなさいって言ってたのに、この小僧ときたら……一度コケたらドボンだよ、これ! ふざけんな青い稲妻、こんなのデイトレーダーどころかギャンブラーとしてもヘタうってるよ!」

 まあ、ね。うん。

 言わんとしていることは分かる。

 彰久は中腰で、ガチャガチャとキイを叩いてはあちこちの画面を開き、そのたびにオーウとかアウチとかの悲鳴をあげる。興奮しているのだろうが、なにしろ見事なハイ・バリトンなのでうるさいことこのうえない。洒落じゃなく窓がぶんぶん唸っている。

「ヘイ・ユー! こんなお金の使い方するならパチンコ屋か競馬場でも行っちゃえよー」

「アキにーちゃん」

「バカバカバカ! 見てるこっちの腰がくだけるっつーの。株をなんだと思ってんのよこの小僧はよー」

「あんま大声出すと千榛ちゃんが来るよ」

「俺の神聖な狩場を……うう」

「蹴られるよ」

「だって、だってさあ」

 服の裾を引っ張られた。

「こいつ、自称・青い稲妻なんだよ? 仮にも赤い彗星のパチもんだよ? そーゆー奴にこーゆーなめくさったお金の転がし方してほしくないんだよ。なにかまかり間違ってこいつのライバルだなんて思われたら本家・赤い彗星の立場ないじゃん」

 その赤い彗星がそもそもパクリだと思うわけだが、突っ込む前に哀れっぽい目で見上げられて、可哀想になった。

「けどさ、市川さん、ほんとに凄くない? 見た感じ今まで損してないし」

「いや、これ、たいして儲かってないよ。でかい金額をやたら動かしてるだろ。これじゃ手数料もバカにならないし、たぶん税金のことも考えてないんじゃないの」

「あ」

 ほんとーにバカな子!

 彰久はおそらくそれを大声で歌い上げたかったのだろうが、また諌められると思ったのか、ふにゃっと口を曲げて、そっと言い捨てた。

「他に気付いたことないか、那月」

「ほか? んーと……」

「なんでもいいぞ」

「ほんとつまんないことでいい? 毎日何百万円も動かせるなんて、すごいお金持ちだなあって思う。私なんか通帳に二万円入ってる今が人生最大級のお金持ち状態なのに」

「……。那月、俺と援助交際するか?」

「堂々と犯罪に走らないでくれる」

 丸めたカタログで悦子が彰久の尻を叩く。

 だからなんでここの人たちって俺のケツに冷たく当たるの……と、どうやら結構痛かったらしく、彰久は本気で涙ぐんだ。

「でもそれ、アタシも思ったわ。」

「だよね。うちのお給料じゃ、貯金してもたかが知れてるし。もともと裕福なのかな」

「裕福なら就職にしたって、もっといいとこにコネがあるわよねえ」

「宝クジが当たったとか? それを元手に」

「たぶん違うな」

 よく見て、と彰久の指が紙の上をさす。

「これ、信用取引なんだよ。この明細だとわかりにくいけど」

 那月は首を傾げた。

 もう一度、リストを見返す。

「……信用取引って?」

「ものすごく簡単に言うと、借金しながら株を売り買いしてるわけ」

 ぐらっ。

 と、傾いだ視界の片隅で、小さい樋口一葉がラインダンスを踊る幻覚を見たような気が、那月は、した。思わず近くの赤いものにすがりつく。

「……アキにーちゃん……」

「ん?」

「ナゼ、人は、お金を、借りる、でしょうか。返せ、なかったら、どうする、でしょうか」

「落ち着け。とりあえずこれは、お前の借金でも千榛の借金でもないぞ」

「そ、そうデスネ。そう、だったね。……なんだか借金って聞くと、まず返さなきゃって身体が勝手に反応して……頭が真っ白に……」

 悦子がそっと目頭を押さえる。

 『借金』は永原姉妹のNGワードだ。アレルギーだ。その一言で姉は態度を極端に硬化させ、妹は呼吸困難を起こす。

 気が付くと、那月はすっかり彰久に抱きこまれて、よしよしと頭を撫でられていた。

「これ……やめさせる方法ないの?」

「ほっとけ。そのうち痛い目みるだろ」

「痛い目とか可哀想だよ」

「お前いい奴だなあ……とにかくほっとけ」

「ていうか、思いっきり痛い目みせられてるのあたしたちの方かも」

 FAXから吐き出されたばかりの用紙を見ていた悦子が、ぽつりと呟いた。

「那月ちゃん、この件、W鉄鋼に確認してくれる? あたしちょっと社長呼んでくるわ」

 手渡された用紙には、大きく納期変更の趣旨が書き込まれている。

「どした?」

 不思議そうに彰久が覗き込んでくる。

 なんだか頭が痛すぎて、那月は思い切りやけのやんぱちめいっぱいの笑顔で言った。

「えっとね、例のM工業の、今からみんなで頑張ってやっと納期ギリギリに仕上がるかなあってやつ。今度は材料のほうが入荷遅れるんだって。わーい」

「わーい……ありゃりゃ」

「なんでこんなに祟られるんだろう……アキにーちゃん、M工業ってさ、爺ちゃんの代からホントめんどくさいので有名な取引先で」

「落ち着け、大丈夫、わかってる」

「納期遅れたりミスすると損失分全額下請けに負担させたうえいつまでもネチネチそのこと言って値引きさせて」

「その辺は千榛も織り込み済みだよ。な?」

「M工業の無茶につきあって実質つぶされた会社もいっぱいあって」

「大丈夫大丈夫。橋田さんも頑張ってくれるって言ってたじゃない」

 バタン、と事務所のドアが開いた。

 さっき出て行ったはずの悦子が青い顔をして立っている。

 と、途端によろけて、床にへたり込んだ。

「……ジーザス」

 その手に握っているのは数珠に見えるが、ひょっとして根っこはクリスチャンなんでしょうかと問われる前に、悦子はぶるりと首を振った。羊……と、呟きながら。

「なんてこと……吉田悦子、一生の不覚……」

「え? なに?」

「橋田さんその他が倒れた」

 はあ?

 まとめられた「その他」の人たちには申し訳ないが、大空に橋田の笑顔が浮かんで消える幻影を見た。

 どうしたのなにがあったの……と、震える声を絞り出すと、悦子はうつろな顔をあげ、いま外じゃトイレとその周辺が屍累々地獄絵図よアーメン……と。

 そして、トドメの現実認識。

「食中毒発生、かも……」


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