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■第三章 とりあえず災難続き

 話を聞き終えた彰久は、それはそれは美しいハイ・バリトンで、

「マジですかー」

 と、吠えた。

「なんっだそれ。俺、千榛に恨まれちゃうじゃないの」

「うん。めちゃくちゃ恨まれてるよ」

「どう考えても、西条くんの影響だもんね」

 うひゃー参ったなあ……と目を白黒させ、那月がむいた梨に気が付き、一片口にする。

 それを合図にしたかのように、皆が梨に手を伸ばした。

「市川って、あのミラクル観音みたいな奴だっけ。慈悲深そうな顔して薄情だ。人は見かけによらないねえ」

 そうだよ、ほんと口が悪くて!

……ミラクル観音って。やっぱ似てると思ってたんだ。

「ひょっとして、こないだ木庭さんに口座の開き方を説明してたのを聞いてたのかな。あいつ、いたっけあのとき」

「こないだっていうか、アキ兄ちゃん、ここ来るといつも株の話してくじゃない。それも、すっごく楽しそうに」

 那月が首をすくめると、休憩室メンバーが次々と同意した。

「だな。お前さん見てると、つい自分も株弄ってみるかって気になっちまうんだよな」

「失敗する気がしないっていうか」

「株さえやればハッピーになれそうな錯覚を起こす。うん」

「コンサルタントとしては優秀なわけだよね、実際」

「そーいや、有閑マダム相手に『午後の優雅な証券講座』を開いて小金巻き上げてるってのは本当の話か? 赤色男」

 黙秘したいのか、彰久は、口いっぱいに梨をほおばっている。

 シャリシャリ音に満たされる休憩室。

「……アタシは」

 と、悦子が口火を切った。

「西条くんにいろいろ教えてもらってよかったわよ。株主優待で毎年お菓子をもらってるの。配当金も今のところ、銀行に預けるよりマシってくらいはもらえてるかな。自分のもってる会社の動向に注意してれば、長期保有はそんな悪いことはないと思うわ」

 うんうん、と頷く赤色。

「そういえば、木庭さんはなんで急に?」

「俺はさ、今まで趣味ってもんをもったことがないから、なんかひとつくらいやってみてもいいかなと思って。株もってたら、毎朝新聞を見るのが楽しくなりそうだしさ」

「ああ、そうねぇ。でも、敏感になりすぎて疲れることもあるかも。CMに嫌いなタレントを使われると腹がたつし。株主のアタシに断りもなくなにやってんのよ! なんて」

 そりゃたいした株主さんだな、と、笑いが起こった。

「ちょこっと株もったくらいで経営者の苦労までしょいこむんじゃ割りにあわねえなあ。俺は勘弁だ」

「いやそりゃいくらなんでも大袈裟だろ」

「けど、ヘタに売り買いしてあんまり儲けが出たら税金も申告しなくちゃならんだろ? 面倒だよ」

「そー、なんですよねぇ……」

 赤い男が、はてさて弱りましたよという顔で言い、脚を組み替えた。

「いや、そのくらいの考え方でいいと思います。ここの人たちって、その辺わざわざ言わなくても経験として知ってるっていうか……なにせこの工場、経営状態が透明すぎるくらい透明ですし。そのうえ二代目が株で大失敗してえらいめにあってんのも間近で見てるじゃないですか」

「実際えらい目にあったのは、三代目と那月ちゃんだがね」

「そうよね、二代目は借金作るだけ作って逃げちゃったんだから」

「しかも逃げたの、私の入学式の日だよ」

 そうだったそうだった! と思い出話が花開く。

 最っ低だよ二代目。

 ちゃらんぽらんを絵に描いたような人だったなあ。

 苦労ばっかかけられて、社長があんな風になるのもわかるよホント。

「……そう、お金の怖さをいやってほど知ってる人ばっかりなんで、つい安心して、楽しくね、語っちゃってたわけなんですけど」

 うーん。

 赤いのが首を捻り、つられて皆も右倣え。

「なにやってんすか?」

 大勢が首を傾げているところに戸村がやってきて、ビクリと足を止めた。

「ひょっとして、なにかの儀式っすか」

「いや、違う。君も大変だね、戸村くん」

 彰久が立ち上がり、肩を気安くぽんぽん叩くと、戸村は表情を強張らせた。もともと彼は、あまり彰久に好意的ではない。意味不明な赤さと掴みどころのなさが気に入らないし、なにより、那月が彼を見るときの全幅の信頼感であるとか、ほんのわずかだが混じる甘え。それらがなぜか、筋骨隆々の胸を締め付ける。

 戸村が憂鬱そうに赤い男を睨んでいると、当の那月が割って入った。

「座って、千村さん! 梨があるよ」

 姉から特命を言いつかった妹は、そのまま膝に乗りあがれそうな勢いで、巨体を椅子に押し付けた。椅子ごと後ろに倒れなかったのは、こうなることを予想していた赤いのが、後ろでしっかり支えていたからである。

「戸村さん、どれ剥こうか? 硬いのと柔らかいのとどっちがいい?」

「ななな那月さんっ、いっすよそんな、な、梨なんてっ」

「アキにーちゃんの差し入れだから、遠慮しないで。ね?」

「いやっ、そのっ、自分、今から市川んちに行って来ようかと……」

 どよめきが起こる。

 その内容はほぼ否定的だ。

「無駄だ、トム。素直に戻ってくるようなやつじゃないだろ」

「あんないい加減なやつのこと、諦めろや」

「そうよ、どうせ戻ってきたって一日中携帯握り締めて仕事なんかしないわよ」

 そういえば、昨日、那月が肉まんを差し入れしたときも、彼は携帯の画面を見ていた。

 みんなで戸村を引き止めていると、ああっ!と、悦子が急に大声を出した。

「思い出した。先週アイツ、黙って事務所に入ってきてさ、勝手にパソコン使おうとしたから、怒鳴ってやったのよ。そしたら、携帯をトイレに落として壊した、5分でいいから使わせろって。なんか焦ってたみたいだったから貸しちゃったけど、あれだってその、株を弄ってたわけよねえ……んもう、腹立つな!」

 だとよ。重症だ。

 戸村、いいよもうアイツのことは。

 はやす工員、落ち込む工程職長。

「けど、あいつが戻らない限り、M工業のあれは皆さんで分担しないと。……特に」

「あ、俺かあ」

 橋田が顔をくしゃりとさせて、羊肉を口にほおりこんだ。

「ま、そりゃしょうがないだろう。どのみち今までだってそーやってなんとなくこなして来たんだから」

「すみません」

「気にすんなって。肉食って頑張ればなんとかなるよ」

「はい……なっななななっ那月さんっ?」

 なんとか慰めようと、戸村の髪をくしゃくしゃとかきまわした那月なのだが、されたほうが真っ赤になってパニックを起こし始めたので、慌てて手をひっこめた。

「ごめんなさい、私、梨汁で手、汚いよね」

「ち、ちがっ、なつ、な……」

「元気出してね」

 元気の前に憤死するんじゃ……と、周囲は含み笑いしているし、当の那月は身近な大人にいつもそういう慰められ方をしているから、これが普通だと思っている。

 ふと、赤い男が呟いた。

「悦子さん、ここのパソコンって毎日ちゃんと履歴消してます?」

「え?」

「ちょっと……見せてほしいんですけど」

 いいけど、じゃあ事務所行く?

 悦子が時計を見ると、そろそろ昼休みも終わりである。


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