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■第二章 町工場の仲間たち

 バイパス沿い、沼あり田んぼあり宅地ありの半端な田舎、燕沢団地。

 その外れあたりにぽつんとたっている町工場、ナガハラ製作所は、今年で創業四十九年の老舗である。

 従業員数32名。パートの事務員以外は全員正社員の技術者集団で、業界内の評価はなかなか高い。

 主に金型製品の製造と加工に携わっているが、頼まれればなんでも仕入れてなんでも弄ってなんでも造って出荷してみせる、いわば「なんでも屋」だ。

 工場の敷地内、入り口すぐのところに事務所があって、三代目社長の永原千榛と妹の那月は、ここの二階に住んでいる。もともと取り壊し予定だった住宅をリフォームしたものなので、広めの台所と風呂トイレつき、二人暮しの住環境としてはまあまあだ。


「あら、那月ちゃんお帰りー」

 事務所に戻ると、ベテランパート事務員の悦子がひとり、忙しさゆえの鬼の形相を一瞬崩して愛想のいい笑顔を見せてくれた。

 が、すぐに机の電話が鳴って豹変する。時計を見ると、既に四時をまわっていた。

 基本的に彼女は三時までの契約で、その後は那月が雑事を片付けることになっている。

 制服のまま、那月がFAXの受信口に溜まっていた注文書その他を整理していると、

「……ンの、ボケジジイがあっ!」

 受話器を叩き付け、悦子が吠えた。

「どうしたの?」

 聞くと、彼女はサンダル履きの足をぺしぺしぺしぺし踏み鳴らし、

「T建設の野田っ! あのバカ、事務員怒鳴ってボルトが削りあがるとでも思ってんのかしらねえっ!?」

「納期、遅れてるんだ?」

 答の前にサンダルが間抜けなぺしぺし音をたてる。

「そもそもウチは悪くないっ。間違った図面を送ってきたのはあっちの能ナシ営業マンなのよ。アタシは二度も確認の電話入れたんだからね、これ間違ってませんかって!」

「それでも文句言ってくるんだ」

「どころかこっちを嘘つき呼ばわりよ! あーもームカつくったら!」

 しかしなにしろ先代の頃から勤めている大ベテラン。悦子はぎゃあぎゃあ騒ぎながら、手際よく机の上を片付けている。

「呪ってやるんだから」

「呪うの?」

「呪う。我慢レベル超えたわ」

 やった、と那月は心でガッツポーズする。悦子はてきぱき帰り支度を進める。

「仮請求書、印刷してあるから悪いけど封入だけしといてくれる? じゃあね」

「待って悦子さん、肉まん食べない?」

「ごめんなさいねぇ、時間ないわ。戸村くんに持ってってあげたら? 彼、相変わらず忙しくってどこにいるかわかんないけど、那月ちゃんが呼べばスッ飛んでくるわよ」

「うん、じゃあ、そうする。お疲れ様」

「お疲れー」

 かちゃん、とタイムカードに刻印し、悦子は駆け出していった。

(久しぶりにー明日は羊ー♪)

 T建設の野田さんごめんね、と手をあわせつつ、ひっそり笑顔の那月である。

 多趣味(?)な悦子は、気が向くと人を呪う。その儀に使われるのが大量の羊肉である。

 使った肉は、呪いをかけた本人は口にしてはいけないそうなのだが、捨てるのももったいないと、翌日、動物性たんぱく欠乏気味の貧困姉妹に献上される。家事の得意な妹が、それを手早く料理し、昼の休憩室に持ってゆく。こんなヤバげな肉食ってるから貧乏神が居つくんじゃねえの? とヤジとばしながらも工員の多くがその差し入れを待っている。人を憎んで羊を憎まず。

 ……戸村さん探しにいこう。


「あっ。那月さん、お帰りなさい!」

 外に出て、駐車場を横切ったところで挨拶された。

 探すつもりでいた工程職長の戸村正樹が、螺子の入った籠を抱えて背筋を伸ばす。

 ボディビルダーのようなむっちりした身体に、短く刈り上げた髪、四角い顔。話すときは腹からはっきり声を出すので、彼といると誰もが軍隊の訓練に参加しているような気持ちになるが、よくよく顔を見ると目も鼻も口も妙にちんまりしていて可愛らしい男だ。チャーミングマンである。

「忙しそうだね」

「そっすね、これから出荷作業です!」

「肉まんあるけど、食べる時間あるかな」

 戸村は工場でおそらく最も忙しい男だ。いつも小脇になにか抱えて走り回っている。

 この体育会系につぶれ肉まんの一個や二個では申し訳ない気もするのだが、一応聞いてみると、四角い顔にパッと朱が散った。

「ありがとうございます! 那月さんにお気遣いいただけて幸せ者っす!」

「お気遣いってほどのことでもないけど」

「しかし、自分は残念ながら、先ほど遅い昼食をとったばかりのため……あのっ、那月さんさえよろしければ、その肉まんは、市川に!」

「え、市川さん?」

「はい! 彼は今、第二作業所でボルトを削っております!」

「わかった。行ってみるね」

 小さく手を振ると、戸村はますます顔を赤くして、うふっ、と笑い返してきた。キュートな男だ。それにしても、遅い昼食とやらが実際あまりに遅すぎるのが心配ではある。


 工場は夕暮れ、どんどん忙しくなる気配。中型トラックの出入りする騒音にまぎれて、金属のぶつかる音があちこちで響く。

 足元に気をつけ作業所内を歩きながら、那月は視線をめぐらせた。

 市川耕太、19歳。勤続二ヶ月……半、くらいか。

 長く勤めていた社員が急な事情でやめることになり、慌てて募集をかけたところに、かつて利用したことのある派遣会社が無理やり押し付けてきた人材だ。

 木彫りの観音をさらに無理して縦に引っ張ったような、糸目でアルカイックで細長い飄々とした外見が、小柄でも筋肉質の力持ちが多い工場では少し異彩を放っている。

 姉が言うにはどうも困った存在のようで、今時の若い者には珍しく手先がとても器用なのだが、今時の若い者らしくサボリ癖が酷い。その長所短所のどちらも突出しているので、今後の扱いを決めかねているそうだ。

 みっちり仕込んで育てるべきか、見切りをつけて辞めてもらうか。

 工程職長の戸村は、市川の器用さをかなり高く評価しているそうで、

「仕事にも人にも馴染んできたら、サボり癖もなくなりますよ。少し様子を見ませんか」

 と擁護しているらしいのだが、千榛はなにより不真面目な人間が嫌いなので、突然休んで悪びれた様子もないのを見ると速攻で叩き出したくなるらしい。

「あ……いた」

 戸村に言われた第二作業所、市川は作業台に背中をくっつけ座り込み、携帯を弄っていた。

 見るからにサボり中だが、声をかけてみる。

 反応なし。

 傍らに立って再び呼ぶ。もぞりとしたが、返事なし。ひょっとしてシカトか。

「あのー……差し入れ……」

 ガサッ、と。

 無言で袋をひったくられた。

 目線は携帯の画面に向いたままだ。

(ちょっと、どういうわけかなこの態度)

 年下だからなめられてるのかもしれない。

 まあでもそれは、仕方のないことかも。

 なんとか気をとりなおしたが、笑顔は少しひきつった。

「あのね、最初これ戸村さんに持っていったんだ。そしたら、あなたにって……でも、作業中だったら」

「とっくに終わってる」

「あぁ、そお……」

 視線を移すと、作業台の上の箱には、寸分たがわぬ見事な切り口のボルトがざっと三十本。

 凄い、本当に器用なんだこの人……と、那月は素直に感動する。

「キレイに削れてるねえ。戸村さん、市川さんのこと凄く誉めてた。器用だって」

「なにこの肉まん。潰れてっし」

「つぶれてますが何か」

 感動、台無しである。かちんときた。

 睨んでみたものの、市川は相変わらず那月からは完全に目をそらしたまま、肉まんを無造作に口に突っ込んでいた。細い目は、観音さまに似てると思ったけど即撤回、いかにヤオヨロズといったところで、こんな口の悪い神様いるものか。

「食えっけど、潰れてる」

「つぶれてるけど、食べられるよねえ?」

「アンタ、ここの社長の妹だっけ?」

「うん」

「アホみたいに不器用って聞いたけど、マジ? ぶっちゃけ笑えるし」

「………う」

 不器用、事実だ。真実である。硬いの細かいの苦手なんだよ料理だったらはっきりいって巧いよ! と主張しても鼻で笑われそうだし、これで市川も料理上手だったりしたら目も当てられない。

 拳を握り締めて那月は耐えた。

 市川は相変わらず視線も合わせない。

「まーでも良かったね、アンタが卒業する頃には就職氷河期も終わってっから。俺なんか最悪でさ。就職浪人して一年派遣でつないで、やっと入れたのがこんな汚ねー町工場ってどうよ」

「汚くないよ、掃除してるし」

「どこに目ぇついてんだよ、薄汚ねぇよ。んじゃあれだ、ショボい工場」

「しょ……しょぼくない、ニッポンの工業界を縁の下で支えて、これから羽ばた、」

「創業何年?」

「49年!」

「もう無理だろ。あと朽ちて死ぬだけっつう」

 遠くから呼ぶ声がする。

 返事もせずに市川は立ち上がり、那月などそもそもここにいやしないという無視っぷりで、ボルトの入った箱を抱えると、第二作業所を出て行った。

 こみ上げる怒りにぶるりと震える。

「う……ちゅうにはばたくーあなざーでいめんしょーん……」

 ぼっくらのナガハラ製作所おー♪

 おー。

 口の中でだけ低く歌い、ぐっと拳を握り締めた。

 無理じゃない、無理ってことない、宇宙はちょっと遠くたって、とりあえず、えーと、どっかに羽ばたくくらい、わけないよ!

(残る肉まんは二個!)

 ……って、違う、それあんま関係ないし。

 夢は大きく作業は細かく。

 ぶんぶんと那月は首を横に振った。

 そういえば、千榛ちゃんを見ないけど、どっか出かけてるのかな……ときょろきょろしていると、長いシリンダーを二人で運んでいた工員が、あっち。と目で教えてくれた。


 千榛は、戸村と話していた。

 作業着姿の巨乳とマッチョが並んでいると、なんとなく肉厚というか濃厚な雰囲気である。

 T建設と書かれた紙の貼ってある籠の数をチェックしながら、千榛が訊いた。

「M工業のアレは大丈夫か? あそこは納期絶対厳守だからな」

 端正、とよく称される彫りの深い顔の上にさらに刻まれた眉間の皺がぎっちりと深い。マリアナ海溝クラスだ。落ちたら大変なことになる。

 はい、と戸村は良く響く返事をした。

 「M工業のアレ」とか「あの変なやつ」とか最近現場で話題のソレは、まさにナガハラのような職人集団の腕の見せ所、変な加工が満載の、実に有り得ない一品である。加工前と加工済みの製品を那月も一度見比べさせてもらったが、それこそ美容整形の広告なんかメじゃないほどの別物具合だった。

 物そのものはただのバルブだが、妙な箇所を削り妙な塗装をして妙な目盛り板をつけてから出荷しなければならない。それがまたいちいち細かい作業で、なにしろ妙なものだから、手持ちの工作用機械での応用がきかず、一点ずつ手作業していくしかない、らしい。

 そんなのが百五十本。納品は一週間後。

「他社に持っていかれるよりはと注文を受けたが、まさか後付けであんな細かい指示が出てくるとは思わなかったな」

「うまい話はないもんですね」

「M工業とは先代の頃からトラブルばかりだ。無駄な手間ばかりかかって結果的にはへそ曲げられて大赤字ってケースがほとんどときてるし……」

 用せん挟を片手に訥々と語り、眉間の皺を限界に挑戦するかのように更に深くして、千榛は苦しげな溜息をついた。

「まあ、それは分かってたことだがな。しかし、前に見せてもらった作業表でもギリギリの日程だったろう。そのうえT建設のやり直しが入って、正直かなり厳しいんじゃないか?」

 うふっ。

 社長の深刻な顔に反し、戸村は思わずという様子で笑みこぼした。

「それがですね、秘密兵器が登場しまして」

「秘密兵器……?」

「社長、このごろ外回ってましたからね。実は、市川なんです」

「市川? あのサボリ魔が?」

 うふ、ふふふ。

 再び戸村は含み笑い。

 なんとなく声をかけそびれたまま、柱の影から盗み聞くような格好になっていた那月も、思わず身を乗り出した。

「あの複雑怪奇な謎加工、俺は一本40分、橋田さんでも25分はかかるじゃないっすか」

「ああ。私は一時間かかった」

「市川は、8分でやりました」

「なに?」

「冗談かと思うでしょ。マジに8分です。一日じゃ終わらないだろうと思ってとりあえず十本与えてほっといたら、二時間後には休憩室で茶飲んでました、あいつ」

「……」

「まさかと思って目の前でやらせてみたんですけどね、なんと7分32秒」

「それは…………すごいな」

 信じられないという顔で、千榛が呟いた。

 彼女の場合「市川がそんなにできる男だなんて」と「自分の周辺にそんなラッキーが舞い込むなんて」という両方に「信じられない」がかかっている。いささか複雑である。

 考えているうち、だんだん興奮してきたらしい。千榛の頬が紅潮してきた。

「なら……そうだな、余裕だな。まあ、市川のことだから、また腹痛だのなんだの言って急に休む可能性もあるが……というか、絶対に一日二日はサボるに決まってるが……それでもだ。本体は明日全部入るんだったか?」

「明日50であさってにまた50入ります」

「余裕だ……かなり……8分だもんな」

「8分っすよ。M工業関係の累積赤字、完璧に抑えられます、社長」

 ついに千榛は手で口を覆った。

 嬉しいなら素直に笑えばいいのだが、どうもそういう表情を作れないのが永原千榛という人間。おそらく、笑ったとたんに口から幸福が逃げていくとでも思っている。

 はあ、と、千榛は息を吐き出した。

「ありがとうな、戸村」

「え? 俺ですか?」

「お前の功績だよ。正直、私は市川のことは諦めてた。次、休んだらクビにしてやるくらいに考えてたんだ。お前があいつに目をかけててくれなかったら、せっかくの人材をみすみすほおり出すところだった」

 俯き気味に、目だけはやけに嬉しそうに。

 喜び慣れしれない相手にもじもじと誉められて戸村も気恥ずかしかったのだろう、パッと耳まで赤くなった。

「や、いやー、俺はただ、サボられるくらいなら、なんでもいいからやらせなきゃと思っただけですよ、社長」

「自分の仕事で忙しいのに、そうやっていろいろ気遣いしてくれるのがありがたいんだ。そうでなくても、戸村がいないとうちの工場はまわらない。感謝してる」

「え? いや、ははは」

 カンカンゴンゴン、鉄鋼を叩く音が四方から響く。作業着の二人が、ふふふへへへと照れあう姿を覗き見しつつ、祝福の鐘が鳴ってるみたいだと那月が考えていると、そこに旋盤の切削音が加わり、聴きようによってはオルガンの音……のわけはない。

 だが、那月は胸を熱く高鳴らせていた。

(さっきはヤな奴って思ったけど、救世主だったんじゃない、市川さん!!)

 すると、無愛想なイジワル顔も、やはり観音に思えてくる不思議。

そう、彼も宇宙船ナガハラ号の乗組員。いずれは共に宇宙にはばたく仲間なのだ。


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