第一章・2
さて、田んぼを抜けて突き当たり。いまどき珍しいひなびた雑貨店の前でスクーターは停止した。彰久が振り返り、顔半分が口になったような満面の笑みを見せる。
「アイス食おう」
「えー。寒いよ」
「なに言ってんの若者。じゃあいい、お前には肉饅頭を買ってやる。ダンディな俺様はカリカリくんのイチゴトマト味ね」
「どこまでも赤にこだわるんだね」
「今日は赤みが足りなくっていまいち調子が出ないのよ」
呆れていると、両手指で忙しなくヘルメットを叩かれた。
「那月ちゃん、超能力、プリーズ」
超能力というと大袈裟だが、那月は非常にカンがいい。自分で選びとるタイプのくじなら、まず外したことがない。
アイスボックスを覗くと、季節柄、中は物悲しく陰気に凍り付いていた。カリカリ少年の笑顔もうつろ。目が死んでいる。
「……欲張り」
「今なんておっしゃいましたか貧乏人。お前のためにわざわざ仕事抜けてきてる人になんて言い草よ、嘆かわしい」
「知ってるもん。アキ兄ちゃん、今日は元々オフだよね。おととい千榛ちゃんをデートに誘ってフラれるとこ見てたんだから……たぶん、これかな」
一本選んで手渡すと、日本人離れした歓声をあげ、彰久は雑貨屋に踊り入った。そのうえ、宇宙にはばたくー、とか口ずさむのは本気でやめてほしかった。
いくつだ、あの人。
千榛ちゃんと一緒だから二十八歳です。
まさしく自問自答してヘルメットを脱ぐ。短くしている髪に冷たく吹き込む風が気持ちいい。アイス買うだけにしては遅いなと振り返れば、彰久は店の老人と大仰な身振り手振りで話し込んでいた。金融コンサルタントという仕事柄、彼はどこの誰にでもすぐ懐く。……いや、逆か。あの性格だからこそのこの職業。
はあ。と、那月は溜息をついた。
騒々しいお調子者で、明るくて楽しくて。ずっと実の兄みたいに思っている、早く本当にそうなってくれたらいいんだけれど。
「……ぼくらのナガハラ製作所おー……」
確かに歌った。工員たちの休憩室で、みんな一緒に。あのとき誰かが大声で「俺たちみんな宇宙船ナガハラ号の乗組員だな!」と、叫んだはずだが、それが誰なのかが記憶にない。彰久は覚えているだろうか。
道路向こう、稲刈りなどはとっくに済んでさっぱりしすぎの田畑をぼんやり眺めていると、やっと出てきた彰久に、ぐしゃぐしゃっと髪をかきまぜられた。驚いた。
「ほい、お待たせ。肉まん登場」
「……五つもある」
「お食べなさーい太りなさーい。どうせお前、普段は植物性タンパク質しかとってないんでしょ。現代日本人が嘆かわしいわ」
ぐ、と詰まった。だって植物性たんぱくは安いんだよ、身体にもいいし。
「食生活まで心配してくれてありがとう。でも、五つは多いよ」
「もって帰っておまえの姉貴も太らせなさーい。ま、千榛は一部の脂肪は足りてるけど」
「……う」
同じ遺伝子を持っているとはとうてい信じがたい姉の巨乳を思い描き、悲嘆に暮れつつ、一個しっかり噛み締めた。久しぶりだ、この調理済み肉の不自然な味。
アイスの袋をがさがさと開けながら、彰久はまたさっきの歌を口ずさんでいる。ちょっと睨んでみたが、動じやしない。
「この、宇宙にはばたく~ってとこ凄い好き」
「……ありがと」
「実際、羽ばたいたらいいと思うわけだよ。ナガハラの爺さんがまだ生きてたときに、よく言ってただろ」
「なんて?」
「夢は大きく」
「作業は細かく」
ぐしゃっと、また髪をかきまぜられた。
いきなりだったので驚いて咽た。どうしてか、彰久は得意げだ。
「小さくまとまるのはよしたまえ、若者」
「そうはいっても宇宙は広いよ」
「いいじゃん宇宙。飛び出してって宇宙人相手にネジを売るくらいの気概を持とう」
「そんなこと千榛ちゃんに言ったら苦―い顔されるよ? 真面目だもの」
「や、だから、あいつも根はアナザーなんだって。凄かったんだぞ、夏休みの工作とか」
「そうなの?」
「発想がどうも宇宙規模でさ。子供心に俺は、こんなすげーやつが後をつぐナガハラ製作所は、近い将来、絶対に天下をとるだろうと睨んでたもんだね」
想像しようとしてみたが、那月の脳裏に浮かぶ姉の姿は、地味にコツコツ生真面目で現実一直線。宇宙に羽ばたくというよりは、地面を掘りすすみそうなイメージである。アナザーな夏休みの工作ってなんだろう。三次元破壊爆弾でも設計したか?
「千榛ちゃんなに作ったの」
「それは言えない、バラすとMIBに始末される。なにしろ宇宙規模だから」
さも愉快そうに彰久は笑うが、本当に回避したいのは黒服の男たちに消されることではなく、作業着の巨乳美人に蹴飛ばされることであろう。了解し、那月は肩をすくめた。
「アキ兄ちゃんはいいね、いろいろ知ってて」
「伊達にオジサンじゃーないですからね」
「いいなあ。私も早く歳とりたい」
彰久はアイスをふいた。そんなに驚かなくてもいいだろうに、げっふごっふと派手に咳まで。
「若者って怖いこと言うねっ。神様がうっかりお願い聞いてくれちゃったらどうすんの」
「どうもしないよ。早く大人になって、背とかもおっきくなって、独り立ちしてお金稼ぎた……うわっ」
言葉途中でいきなり抱きつかれた。そのうえ頬まで擦り付けてくる無邪気さがちと鬱陶しい。
「やめてー那月は小さいままでいいのー」
「やだ。絶対、やだ。育つ」
ぱっと彰久は手を離し、うるうるした目で那月を覗き込んだ。
「いやよー可愛いままでいてー」
「や・あ・だ。あんまり大人の期待がすぎるとグレるよ!」
「わかった。じゃ、せいぜい動物性たんぱく質をとんなさい。肉まんもう一個ノルマ」
「……うん」
「だいたいねえ、そんな急がなくても歳とるのなんてあっという間よ。今その若さを大事にしろって、もったいない」
狭いニッポンそんなに急いでどっちらけ。
意味の通らないことを呟いて、彰久は肩をぶつけてくるのだが、17歳女子の野望なんて、28歳男性にわかるはずがないのだ。いくら昔からずっと一緒の仲良しこよしでも。
「すっげえ! 当たったし!」
彰久はアイスの棒を高く掲げ、あー間違った28歳『男子』だと、那月はモノローグを訂正した。
「お前マジでアナザー。この能力、本気で俺の第二の相棒にしたいくらいだな。将来うちの会社入るといいよ」
冗談にしても嬉しい誘いでつい頬が緩んだが、もし、彼の相棒になったら、自分も赤い服を着なければならないのだろうか?
真剣にいやだと考えている那月の傍で、彰久は、第一の相棒の発進準備を始めた。
「あれ、当たりクジ取りかえないの?」
「代えませんよ、大人だもの」
じゃあなにも当たりクジを選ばなくて良かったんじゃん、子どもの夢を無駄に奪って。と、赤いヘルメットを再びかぶりつつ。
「アキ兄ちゃんの勤め先って、高卒でも入れるの?」
「無理だな」
「じゃあダメじゃんか」
「ん? そうねー……」
二人乗りのスクーターが、再びのどかに走り出す。
田んぼを抜けて住宅地に入ると、日陰が増えて、風がますます冷たくなってきた。
「あ……トンボ」
「おー。すごいな」
見えてきた工場の壁に、何匹もの赤トンボ。夕日を受けてそこだけいやに明るく浮かび上がり、その様は血染めの十字架がたくさん並んでいるようで、どうもいささか気味が悪い。
「あのさあ。那月?」
感じ入りでもしたのか、いやにしみじみと彰久は切り出した。
「お前の気持ちも分からないじゃあないけどね。大学、行っておいた方がいいと思うよ? さっき先生も、那月なら地元の国立狙えるって言ってただろ」
「だが断る」
「こら、真剣に考えろ。金なんか、俺がいくらでも貸すってば。いわゆる出世払いってやつでさ」
「だって別に、大学いってやりたいことがあるわけじゃないし。真剣に考えてるよ、地道に公務員でも目指そうって」
「なに言ってんですかマルチな才能をお持ちの那月先生が」
「変な歌作れたって一銭にもなんないもん。せめて手先が器用だったら、頑張ってうちの工場で職人目指したんだけど」
「変な歌作れる才能をどう銭金と結びつけるか、大学いって考えてみたらどうよ?」
ああ言えばこう言う。この口から生まれたお調子者に勝てるとは思ってないけれど。
那月ちゃあーん? と、間延びした猫なで声を彰久は出した。
「以前、ウタダさんも言ってただろーよ。将来公務員なんて夢がないって」
「公務員目指すのは立派な夢だよ。工場の最終ユーザーさんも公共機関が多いしね」
「そりゃまあ。実は俺も公務員はかなりイケてると思う派なんだけど。いや、でも、それならそれで大学いって国家一種くらい狙ったっていんじゃないの。マジでさ。姉孝行と思って」
「姉孝行で借金増やしたくないよ」
まったく呆れたもんだねえ。と彰久、派手な動作で親指を下に向けた。
「だあーから、お金持ちの俺がなんとかするよって言ってんのに。お前ら姉妹、ほんと借金アレルギー」
「そだよ。借金って聞いただけでおなか壊しちゃうんだから」
工場の裏門近くで、スクーターは再び止まった。赤みを帯びてきた陽の光に、赤い相棒が溶け込んでいる。肉まんは湿って多少ひしゃげてはいたが、まだ十分に温かかった。
「今日はありがとね」
「まったくだ」
ヘルメットでへんにゃりした髪を、彰久が両手でかきまわした。
最後に指で両頬をつままれる。
「言っとくけど俺はね、特別乗務員のつもりだから」
「え?」
「宇宙船ナガハラ号の。困ったことがあったらいつでもこの危険な相棒と駆けつけるし、ガス欠起こしたらエネルギー補填だってするし、マグロ漁船が襲ってきたら追っ払う」
「……」
「だから、安心して宇宙に羽ばたきゃいいの。お前んとこの艦長にもそう伝えときなさいよ。どうもあいつは目の前に強力な半重力装置があるっていうのに、消費電力を気にしていつまでも重力と闘ってるきらいがあるね」
彰久の例えは、巧いのかそうでもないのかよく判らなかった。
ただ、ピカピカした笑顔で「また明日」と告げ、颯爽とスクーターにまたがり夕日の中に消えていく後姿はとても頼もしく……、
そう、頼もしいんだけれど……
町内中に響きわたる素晴らしい大声で、
アナザーっディメンショオオオオン♪
というのは、本気でやめてもらいたかった。