第八章・4
「あー、ところでその、那月の進学問題と関係あるようなないような話なんだけどさ」
思う存分へらへらした後、彰久はゴソゴソとポケットを探りながらそう言って、ひょいと千榛に何か投げた。
片手でキャッチ、手を開くと小さな鍵。
「……なんだこれ」
「たぶん、コインロッカーの鍵」
「どこの?」
「分かんないんだよね、それが。こないだお前が二代目の服ひんむいたときにポケットからコロッと出てきて。どーせあの人の持ち物なんてロクなもんじゃないだろーと思って、俺のスクーターの合鍵とすり替えといたんだけど」
ふーん。と、千榛は興味なさげだが、那月は鍵に飛びついた。
小汚い鍵が、キラキラ輝いて見える。
「これ、もしかしたらお父さんが盗んだお金入れたロッカーのじゃないの?」
「かもしれないねー」
「かもしれないって! 駅前周辺のロッカー片っ端からあたってみれば!」
「見つかるかもねー」
こんなのあるなら先に言ってよ、楽しく千榛ちゃん襲ってないでさ! と叫びかけた那月の視界から鍵が消えた。
姉が手を握り締めて事務所を飛び出す。
「駅前、行ってくる」
「今から?」
「コインロッカーの管理会社は24時間体制だ。自社の鍵なら見りゃわかんだろ」
「俺も行くー」
「私も」
「劇団二人は来んな、ウザい」
出鼻に千榛は誰かとぶつかりかけたらしく、わあ、とか、おお、とか声が聞こえた。
静かになったと思ったら、戸村がひょいと顔を出す。
さすがに今は走っていないが、脇にだらりと市川を抱えていた。
「こんばんはっス。あのー、社長えらく急いでましたけど、どうしたんっすか」
「あー……」
漫才師二人、顔を見合せ、彰久が。
「今ね、エッチな事件があって興奮したみたいよ。そこらへん一週してくるんじゃないかな。青いねアイツも」
エッチ……と、戸村はアルコールで赤い顔をさらに耳まで赤らめる。彼もまたずいぶんと純情だ。
戸村は市川を、二階の寝室まで運んでくれた。未成年に飲ませちゃダメだよー、と那月に言われて慌ててもいたが、聞けばビール一杯で寝てしまったらしい。
疲れてたんだね。
疲れてたんっすね。
二人して頷きあいながら、帰りしな、戸村はハタと思い出したように言った。
「そーいや、菅さんが。今日の昼ごろにまた二代目らしき人物を見たってんですよ」
「……」
「作業場の入り口脇をウロウロしてたらしいっす。菅さんに気付いて逃げてったそうですけど。なにしに来たんっすかねえ」
「……鍵、探してたのかな、お父さん」
戸村が帰るのを見送り、ドアを閉め、大きく溜息をついた。
入り口脇ならきっとそうだ。いろいろな場所の鍵がまとめて下げられている。
「なんか、可哀想になってきた……けど、そうとばっかりも言ってられないか。心を鬼にして、とりあえず明日は台所の鍵を付け替えないとね」
事務所の時計がポーンと鳴り響き、びっくりして時間を見ると、いつのまにそんなに時間がたったのか、日付が変わっている。おやま、と彰久が肩をすくめた。
「ナガハラ祭りもとうとう六日めに突入ときたか」
「もう終わり、後は片付けだけ。……って思いたいなあ」
「いやあ、どうかね。あのひとがまた鍵探しに忍び込んでくんじゃないの? そうだ! トラップしかけて捕まえようよ」
アキにーちゃん、なんでそんな目が輝いてるの。私もう疲れたよ……と訴える気力が那月には既にない。
「こういうのどうかね。ロッカーから金を回収したらさ、代わりにそこに子供銀行券か葉っぱのお金を入れておくんだよ。そんで、さりげなーくその鍵を二代目の目につくところに置いて、盗ませる」
ロッカーあけた時の激しくガックリした顔が見たい!
「つうかそうだ、ニセ札作ろう。俺の写真と合成しよっかな。那月、パソコン貸して!」
真夜中だというのに彰久にはいきなりスイッチが入り、ついには自分顔ニセ札作りの構えである。
「あ! ていうか、さっきの写メとかいいかも、俺と千榛がチューしてる奴!」
「や・め・て!」
疲れてはいたが、そこだけはきっちり叫んだ。彰久はロクに考えもせず思いつきだけで行動している。いつものことだが。
「♪土曜は土木の帝王に~♪」
「近所迷惑だから歌もダメ」
「天地創造6日め。神は言われた。私たちの形に、私たちにかたどって人を造ろう。ナガハラ製作所祭り6日め。俺は言った。俺の形に、俺をかたどってニセ札を作ろう! じゃじゃーん」
まずい。
千榛ちゃん早く帰ってきて、私にこの人は止められません。
それどころか、なんだか見てたら楽しくなってきて、今にもフラフラニセ札作りを手伝ってしまいそうです、すっごくバカバカしい無駄手間のはずなのに。
「そうだ……拓人さんに電話しなきゃ」
「らららーぼくらのー」
「歌ダメだって言ってるのに。口にガムテープはるよ!」
彰久の声は小さくなった。
電話をするため社員名簿を探してみたが、見つからない。
悦子さんがどこかにしまっちゃったかな……市川さん起きてたら携帯貸してもらおう、と二階に上がっていけば、ちょうどさっきの歌声にでも起こされたのか、市川は寝とぼけた顔で片足抱えてぼんやりしていた。
「大丈夫? 水もってこようか」
「いらね……つか、ここ……」
「事務所の二階。わかる? もしかして記憶飛んだ?」
「あー……いや、ワカル……」
「お疲れ様。大活躍だったね、今日」
立てた方の膝に額を押し付け、市川はなにか口の中でブツブツ言ってから、なんでアンタいんの、社長は? と聞いてきた。
「社長は一身上の都合で出かけた。私は、そうだごめん、おうちの電話番号教えて欲しいんだけど」
「なんかあった……?」
「あった。後で話すよ。凄いね、お兄さん。名探偵だ」
「……名探偵でもニートじゃな」
「だけどほんとに凄かったんだよ。推理小説に出てくる人みたい」
市川はウトウトしていた。
「……コレ使っていいから……」
「ありがと。貸してもらうね」
携帯を手から取り落とし、彼はストンと再び眠ってしまう。
寝ていると本当に観音様そっくりで、なんだか拝みたくなった。
下の階では彰久が旧約聖書を唱えているし、神様がいっぱいでなんだか賑やかしい。
市川家の番号は「タク」で登録されていた。自宅のタクか、オタクのタクか、拓人のタクか、その全部か。
電話に出た拓人に、推理が当たっていたこと、お金は取り戻せるかもしれないこと、遅くなったので今日は戻らないことなどを告げ、最後に聞いてみた。
「もしかして拓人さんは、ミステリー作家を目指してるんですか?」
あれれ、あっという間にバレちゃったね。
電話の向こうで名探偵は笑って、実はもう学生時代にデビューして二冊ほど出版はしてるんだ。よく、作家なら尚更、社会に出たほうがとも言われるんだけどね……と。
「けど、僕が書いてるのはそういう社会派作品じゃなくて、ロジックだけを綿密に積み上げて作る巨大なパズルのような文章だからね。時間もかかるし、閉じこもって集中して仕上げたいんだ」
もちろん、そうやって世界を構築しているうちに、愛する妻たちのいる世界へとたどり着くのが最終目標だけどね。
そう締めくくって、電話は切れた。
那月はほうっと溜息をつく。そうしているうち、下の階では、人力ステレオがじわじわとボリュームを上げていく気配。
いろんな、変わった人が、いるよねホント。たくさんいる。
でも歌は近所迷惑だから止めないと。
那月が事務所に降りると、怒られることを察したのか、赤いステレオはボリュームを急に下げ、鼻歌に切り替えた。
そして、ちょうどいいタイミングで電話が鳴った。
受話器をとると、公衆電話のブザー音。
繁華街独特のざわめきと、姉の、嬉しいのだか怒ってるのだか、疲れているのか興奮気味か、いろいろ混ぜ込んだような声が聞こえた。
「……あった、見つけた。まったく、なんて奴だ。なんてこった。万歳、ふざけんな!」
《終》




