第八章・2
「……なんてことがありました」
家に帰って交換兄に本日の報告。
今日は送ってくれた彰久も、ねーねーニートくんとは巧くやってんの、ねー? と煩いので、一緒に食卓を囲んでいる。
「西条さんは赤が好きなんですか?」
と、先日あれだけ失礼なことばかりぶちかました相手にも拓人はあくまで爽やかで、人懐こさでは滅多にいないレベルの彰久のほうも、二度目ともなるとすっかり苦手意識が消えたらしい。
「レッドですよレッド。赤は正義の味方の色ですから!」
さっそく無駄に打ち解けまくっている。
さすがにオタクの人に向かってヘタに「赤い彗星」などと口を滑らせるのは失礼であると自重したのか、単にその瞬間、別世界にトリップされるのが怖いのか。
「ルパン三世みたいですね」
との言葉に、ワーオ、と浮かれ騒ぐが、それはいったい誉められたのか。
本日のメニューは昨日の残りと拓人のリクエストをミックスしたハンバーグカレー。肉料理は家ではあまり作らないので腕が鳴る。
材料を捏ねる様をやはりなにげに覗きながら、拓人は少し言い難そうに口を開いた。
「よその家のお父さんを疑うのは気が引けるんだけど……」
「ああ、いいんです、うちの父はほんとダメ人間の嫌われ者ですから。女癖悪いし手癖悪いし口は悪いし」
「うんうん、あのひとはね、盛大に疑ってかかったくらいがちょうどいいよ。そんで、どーかしたの?」
と、彰久も援護。
そうですか……と、拓人は話しはじめた。
「大きい方の金庫の中身は、本当に大丈夫だったのかな」
「それは、千榛ちゃんが確かめましたよ」
「通帳を開いて残金まで確認した?」
えっっ。
丸めていた肉を危うく落としそうになる。
話を促す素振りを見せつつ、彰久がそっとポケットから携帯電話を取り出した。拓人は顎に手を当てて、慎重に言葉を続ける。
「そもそもお父さんは、お姉さんに見つかったら折檻されることは知っていたわけだよね。なのにノコノコ帰ってきた。これ、違っていたら申し訳ないんだけど……本当は、皆の前に姿を現わすつもりはなかったんじゃないかな」
「え、え?」
狼狽している那月の両手を行き来しながら、ピタンピタンとハンバーグが妙に活きのいい音をたてた。
「さっきの二人の話から考えたんだけど、金庫のある場所って、もしかして、裏からも入れるようになってるんじゃない?」
「うん。台所から入れますよ。でも、普通は鍵かけてるし、作業場から丸見えだから、入ろうとしても誰かに見つかるはずで……」
いや、待て。と、彰久が割って入る。
「昼休みはみんな休憩室にいってるだろ。それに、二代目が帰ってきた日は入院組も多くて、作業場にはほとんど人がいなかったんじゃないか?」
「そういえば、私もお昼は病院に行ってた」
拓人がチラリと彰久の携帯を見た。電話しないの? という顔で。
「身内なら、お昼に人がいなくなるのは当然、知ってるよね。台所の鍵って、お父さんが出て行った後に付け替えた?」
「替えてない……」
替えてないのかよ、と彰久が小さく突っ込む。拓人は軽く咳払いした。
「これから話すことはあくまで推測だよ。お父さんはまず、人のいない時間を見計らって、台所の合鍵を使って中に入り、通帳と印鑑を盗み出した。それから銀行でお金をおろして、とりあえずそのお金はどこかに……知り合いに預けたか、コインロッカーに隠したかして、再び家に舞い戻ると、通帳と印鑑は金庫に戻した」
「なんでわざわざ元に戻したの?」
「コインロッカー……?」
那月と彰久、引っかかる場所が違ったが、彰久が千榛に電話をかけ始めたので、拓人は那月の質問に答えた。
「時間稼ぎじゃないかな。弟にちらっと聞いたんだけど、工場の運転資金に関してはけっこう苦労しているそうだね。それでもまだ手をつけていないまとまったお金があるとしたら、それはもう本当の非常事態か、あるいはなにか目的があって用意している分だ。そういうのはパッと見に通帳があれば、頻繁に中の数字を確認はしないだろうから、お金だけなくなっていても発覚が遅くなる」
「目的があって用意してるお金……」
「心当たりある?」
なんだかドキドキして、ますますピタピタ高速で肉を叩いた。
昨夜の、千榛と市川の会話を思い出す。
那月が大学を出た後。こともなげに姉はそう言った。
そんなお金ないじゃん。と、そのとき那月は思ったものだが、よく考えたらあの姉がそこのところを慮らない筈もなく、こと金に関しては迂闊なことなど言うはずもなく。
準備、していたのだ。千榛は。
眉間に皺寄せ不機嫌な顔をして毎朝ひーひー言いながらも、こっそりと。
そしてあの父が、憎き不義の子の進学費用なんか見つけようものなら。
「討ち取ったりー!」
通帳片手に高笑いする姿が容易に浮かぶ。父の背後には武者姿の福沢諭吉がズラリ。
「それじゃお父さんは……残金ゼロの頁にバカとかウンコとか涙出そうなほど低レベルな落書きをした通帳を金庫に戻して、意気揚々と出て行こうとしたところを千榛ちゃんに見つかって縛り上げられたってこと?」
「いや、バカって書いたかどうかは分からないけど……」
「書いてる、絶対書いてる。あの人ほどふざけた大人もそういないもん。だいたい、自分ちに泥棒に入るのに、途中でのんきに鮪漬け丼買ってくような人です! そんなの逃亡してから買えばいいじゃないですか」
「或いはその鮪漬け丼は、万が一見つかった場合にお土産として渡すために用意したものかもしれないね」
ちょっと苦しい推理だけど。
拓人は言い、那月は首を横に振る。
「いえ、きっとそう、あの人まさにそういうキャラです。出来もしないくせに飴とムチを使いわけようとして、逆に人を怒らせて最後には飴を鼻に突っ込まれてムチで叩かれるんです」
「千榛、落ち着け、お前ちょっと!」
電話中の彰久が、叫んで立ち上がった。
ついに那月はハンバーグを一個、床に落とした。彰久はうろうろしている。
「拓人さんの推理、当たっちゃったの?」
聞くと、彰久は「どうもそうらしいな」と呟き、携帯からは獣の如き叫び声が漏れ聞こえていた。聞き取りづらいが、なんとなく「オナラプーって小学生かこのクソバカ親父っ!」と言っているような気もするから、やはり通帳の状態は推して知るべし。
「千榛、千榛? オイってば」
携帯を耳から離し、再び彰久が呼んだが、唸り声は止まらない。
「いや待て、警察はちょっと待て。とりあえず俺、今からそっち行くから」
「私も行く! 拓人さん、これ、焼いちゃってください」
エプロンを外し、手を洗い、フライパンを出し……慌てていたので、ガキン、と金属音がした。
その音でふいに、金庫を開けた時の連想をし、あれ? と、那月は振り返る。
「大金庫の暗証番号、なんで分かったんだろう。あれは、さすがにお父さんが出て行った後に千榛ちゃんが設定しなおして、ほかの人は知らないはずだけど」
「暗証番号は四桁、それとも五桁?」
さらりと拓人が聞き、彰久が電話越しに五桁だと確認した。
「なら、簡単。90824か、49082じゃないかな?」
「合ってるか、千榛? おお、バッチリだ」
すごい、なんで分かるの……と、驚愕していると、彰久はふいに眉間に皺を寄せ、口の中で数字を繰り返しはじめた。
那月もそれを真似てみる。
「4.9.0.8.2……死ね、糞親父?」
「阿呆! ちょっと考えたら俺でも解る!」
笑うところではないのだが、あまりな結果に噴いてしまった。それからもう、座り込みたくなるほど脱力する。
拓人がマジメな顔をして、
「お父さん、本当に自分が嫌われてるの分かってたんだねえ……」
などと呟いていた。
本当に、滑稽すぎだ。なにもかもが。




