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 第七章・5

 また、答えにくいことを直球で聞いたものだが、市川も市川で遠慮もなく直球を返す。

「嫌いっす」

「珍しいやつだな」

 ごく当たり前のように炸裂した姉バカに、市川は顔を露骨にゆがめた。

「そうっすかね……けど、」

「ああ、説明はいらん。どうせ聞いても私には理解できないだろうし、否定するのもお前に悪いしな。ただ、ひとつ心配なんだが」

「表立って喧嘩ふっかける気はないっすよ」

 千榛は肩をすくめ、あいつに喧嘩売ったら本人ぼーっとしてる間にまず赤いのが飛んでくるぞと呟いた。それもとっくに経験済みな市川は、居心地悪そうにもぞもぞとした。

「いや、そうじゃないんだ。那月は、手先は壊滅的に不器用なんだが頭がいい。彰久もどうやら経営を教えたがってる向きがあるんで、いずれはこの工場の専務取締役あたりをやらせることになると思うんだが、そのときお前、反対派閥を作ったりするなよ?」

「はい?」

 市川のあげた声には、不可解極まりないという気持ちが込められていた。隠れて聞いていた那月も思わずかくりと首を傾げる。

 千榛だけが、まるで明日の大事な予定でも語るかのように真剣そのものの表情だった。

「あの、どんだけ先の話してんっすか社長」

「那月が大学を出た後の話だ。数年はヨソで修行してきてもらうとして、十年くらい先か? そう遠くないだろう」

 市川がふいと横を向き、声に出さずに「あ、ね、ば、か」と吐き捨てたのが、那月の位置からはよく見えた。

「つうか、俺は一年契約っす、そんなずっとここにいるわけじゃ」

「いないのか、十年後?」

「……いや、分かりませんけど」

「無理にとは言わないが」

「いてもいいんすか」

 どうも話がかみ合わないな……と、千榛は呟いた。それから通常通り、眉間の皺をひどく深くする。

「そうか、十年後にはこの工場なんかなくなると思っているんだな」

「言ってませんよ、んなこと」

「いいか、市川。このナガハラ製作所は創業四十九年、そもそも先代が高度経済成長の時代に……興味なさそうだな」

「すいません、ないっす、本気で」

「じゃあ、歴史は端折ろう。つまりだな、この工場はいずれ宇宙に羽ばたくんだ」

 市川が、遠いところを見やった。

 ゴム板の影から、那月は必死で「宇宙とか、オタクを連想させるキーワードは避けたほうがいいよ!」と念を送る。

 やがて市川はぼそりと呟いた。

「……世界、跳び越すんですか」

「ああ。世界じゃダメだ」

「なんで」

 千榛は、軽く息を吸った。

「お前、世界の重工業がどういう方向に進んでいるか知ってるか? 中国の市場への参入は、最初はたいした脅威じゃないと思われていたんだ。どう考えても技術が遅れているからな。ところが蓋をあけてみればやっぱりあの国の資源は侮れなかった。物資的にも人材的にも。しかも欧米の工場とは大きな違いが……この話にも興味なさそうだな」

「いえ、聞きます」

「なら是非、聞いてくれ。そもそも欧米の工場は歴史的に大きな問題を抱えている。なんだと思う?」

 市川は、欧米? と呟いたあと首を振った。

「あれっすか、共和党のポテト頭がヒップホップ聴いてヤクばっかりやってるから」

「共和党員が聴くのはカントリーミュージックだ。なにかいろいろ混ざってるみたいだな。とりあえず話を進めるが」

「すいません」

「欧米人は、階級意識が強い。ブルーカラーとホワイトカラーは同じ食堂で飯すら食わないらしい。モノを必要とする人間と、設計図をひく人間と、実際にモノを作る人間がそれぞれまったく口をききもしないでマトモになにか作れると思うか?」

 ブルー……ホワイト……と、市川がなんで急に歯磨き粉かトイレの洗浄剤の話になったんだろうという顔をしているので、千榛は短く、ブルーカラーが現場作業してるやつで、ホワイトカラーが事務員だ、要するに欧米の連中は働いてるもの同士の意思の疎通がないんだと説明した。

「中国も大昔はとんでもなく知識人重視の階級社会だったんだが、文化大革命ってのがあってな。簡単に言うと、頭でっかちの知識人よりも実際に働いてる奴の方が偉いってことになって、まあとにかくみんな平等に働こうってことになった」

「いい話っすね」

「……ふむ」

 千榛はどうも文化大革命について一家言あるらしく、一瞬、突っ込んで喋りたそうな表情になったが、なんとか飲み込み、思い留まった。

 工場の暗がりに膝を抱えて、そういえば千榛ちゃんって結構語りたがりの議論好きなんだよねーとひとり頷く那月である。さっきは理解しあえないと決め付けたが、ひょっとすると、どこかで何かが噛み合いさえすれば、市川兄とも意外と会話が弾むかもしれない。

 議論途中で「アニメの時間だから」と、ほっぽり出される姉とその表情まで想像したら、つい含み笑いが零れてしまった。

「……とにかく、材料もある人もいるマトモなモノを作れる素地もある……そういう化け物国が本気出してきたもんだから、世界中で価格破壊が起きている」

「それで世界はダメなんすか?」

「そう。闘うには、世界は相手が悪すぎるんだ。低価格競争じゃ絶対に負けるからな」

「だからっていきなり宇宙ってのは」

「まあ、宇宙は比喩だ。別に深海でもいいんだが、うちの社歌に『宇宙に羽ばたくアナザーカントリー』という一節が入ってるから、まあ、宇宙にしておくんだよ」

 千榛が早口にそう言って、苦笑いした。

 社歌なんてあったんすか? と市川が聞き、アナザーディメンションだよ千榛ちゃん、と那月が一生懸命に念を送る。

「ようは多少、特殊な世界を相手にするってことだな。ボルト一本に絶対に失敗が許されないとか、製作過程から関わって職人にも臨機応変の対応が求められるとか」

「あー……つまり」

 市川はガシガシと頭をかいて、それから、自分なりに納得したぞという顔で口にした。

「同じTシャツでも大量生産のやつじゃなくて、一枚二万とかする奴のほうを作ってこうって話っすね?」

「そういうことだ」

 と、答えつつ。

 その一言は、少なからず、千榛に衝撃を与えたようだった。この世には一枚二万円のTシャツというものが存在するのかと。



 ゴム板の山の間をへたへたと這って通過し、在庫品のカートが並ぶ暗い倉庫で立ち上がろうとしたら、脇腹を蹴られてまたころりと転げてしまった。

 軽くだったので痛くはなかったのだが、誰もいないと思っていたので驚いて声をあげると、

「那月か?」

 と、誰何の声は探していた父のものだ。

 また蹴られるのもイヤなので、とりあえず這い蹲ったまま離れてみる。小さい窓から差し込む淡い光だけ頼りに相手を伺っていると、なんだか猫かネズミになったような気分だ。

「お父さん、だよね?」

「……」

「あー……えっと、二代目?」

「少しは落ち込んだりしないのか、お前」

 落ち込んでないわけないでしょと、つくづく腹立たしい言い草なのだが、それにしては確かに明るい自分の声に比べて、父の声があまりに弱弱しいので可哀想になってきた。

「……ここ、ものすごく寒いね」

「お前に少しでも慈悲の心があるなら、紐をほどけ」

 よくよく見ると、さすがに服は着せてもらえたらしい。

 紐を解くために近づいたら、クワッ! と歯をむいて脅された。逃がしてほしいのかほしくないのか、どっちだ。

 しばし、睨み合い。

「……イジワルなこと言ってみていい?」

「お前は存在が底意地悪い」

「……」

「まあ、言ってみろよ」

「お父さんは……ごめん、二代目さんは、ただ事実を言っただけなのに、そのせいで私にフライパンで殴られて、千榛ちゃんに抹殺されそうになるんだね。よく考えたら、これってけっこう理不尽だ」

 向こうから自分はどの程度見えているのか、よく分からないが、這ったままもなんなので正座してみる。

「私がいなければ良かったって思う?」

「……本当に厭な奴だな」

 低く、それでも、言い聞かせるように。

「お前が母親の腹ん中にいた時からずっと思っていたよ。生まれてくるなと祈りもしたさ。三丁目の角の天満宮、ありゃダメだな、五百円もほおりこんだのにこんな切実な願いもきいちゃくれない。流産すればいい、死産ならいい、バチが当たればいい……ただのひとつもだ。妻が浮気してできた子を産むっていうんだぞ、裏切られた亭主としてはそのくらい望んだっていいだろう」

「そうだね」

 当然の権利だよね。

 それを口にはしなかった。どういう言い方をしても皮肉にしか聞こえない。足が痺れてきたので正座はやめた。抱え込むようにすると、床の冷たさが伝わってくる。

「余計なお世話だけど、呪いは失敗すると自分に返ってくるよ。それと、悦子さんに聞いたんだけど、神様と人間とでは物事の因果関係を測る尺度が違うから、あんまり叶いそうにもないお願いごとをすると、対価に、ひょいっと命を持ってかれちゃうこともあるって。今度から気をつけたほうがいいよ」

 だいたい三丁目の天満宮って、ここら辺りの子どもの遊び場じゃない。そんなとこで赤ん坊死ねって呪ったって、場違いだ。

 あんまり言いたくないけど、なんというか、何をやらせても的外れな人だなあ……と溜息をつくと、父がもぞもぞし始めた。いいからさっさと紐を外せと言いたいらしい。

 再び近寄って、月明かりで結び目を探す。

 見つけはしたもののずいぶん硬くしたようで、引っ張ったり押したり苦戦していると、そういや不器用なんだったなこの役立たず、と掠れた声のあと。

「……お前を愛せないってのは、そんなに悪いことなのか?」

「別に悪くはないんだけど、たぶん、もし、お父さんがそれでも私を愛せるような人だったら、ここを出て行かなくてもよかったんだと思うよ」

「たいそうな物言いだ。俺に聖人君子になれとでも?」

「なる必要ないし、なりたくないから出ていったんでしょ」

 我ながら厭な言い方。実際、父が気分を害したようなので、ハサミとってくるねと呟いて、一旦、その場を離れた。

 外には、大きな月が出ていた。

 大きすぎて気持ちが悪い。少し茶色がかっている。

 息を吸うと鉄の臭いがツンと喉にくる。

 息を吐いたら、肩の力がふっと抜けた。

 少し探すと、ハサミはすぐに見つかった。戻ると「遅い」と悪態をつかれたが、どう考えても早かったと思う。おそらく、なにか話したいのに、他に言うことが思いつかなかったんだろう。

 パツンパツンと間抜けな音の後、紐は簡単に落ちた。

 たぶん父はまたすぐに出て行ってしまうのだろうと思うと、なにか無性に他愛もないことを話したくなったが、いつも頭の中の大半を占めているはずのくだらない話が、こういうときに限ってなにも浮かんでこない。

 父は床に座り込んだまま、手足を伸ばしている。思い出話は楽しくないうえなにかにつけて非難めくに違いないし、いない間の苦労話はあてつけがましいし、とにかく何か言おうとグルグルしているうち、ふと、気付いた。

 ……嫌いじゃない。

 ムカつくし腹立たしいし憎たらしいけど、自分はこの人を嫌ってるわけではないらしい、と。変な感覚だけど。

「私、ひとつだけ感謝してることがあるよ」

 一呼吸置いたが、父は特に先を促すことはなく。

「お父さんは、私をそんなに憎んでたのに、暴力だけはふるったことないよね」

「お前に何かしたら工員どもから袋叩きだ」

「だけど、もっとずっと小さい頃にさ。ここ、危ないものなんかいっぱいあるじゃない。やろうと思ったら、間違っちゃったふりしてどんなだってできたよね」

 まだ床に座り込んだまま、父は顔を上げずに言った。

「……そこまで俺は悪人じゃないぞ。まあ、実行しなかっただけで、まったく考えなかったってわけじゃないがな」

「うん。だから、見逃してくれてありがとね」

 本当にイヤな奴だ、お前は。

 呪文のように呟いて、父はのっそり立ち上がった。明らかにこちらを見ないようにしながら、覚束ない足取りで作業場を出てゆく。

 もしかしたら、と思った。

 もしかしたらこの人も、言うほど血の繋がらない娘を嫌ってはいないのかもしれない。

 憎んで恨んで、死ねばいいと考えはしても。自分がそう思いたいだけかもしれないけれど。


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