表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/25

 第七章・4

「西条くん、最初はもっと回りくどいこと考えてたらしいのよ。さっき社長に派手好きって謗られて言い訳してたの聞いたんだけど、市川捕獲計画。原題エネミー・オブ・俺」

「……」

「けっこう笑えるんだわこれが。まず前日にこっそり市川の携帯に強力な磁石を近づけて壊しちゃうんですって。それからマンションが停電を起こすように細工して、近所のネットカフェは全て貸切封鎖。市川が取引できなくて駆け回っている間に勝手に……那月ちゃん?」

「……」

「永原那月!」

「……え?」

 急に呼ばれて驚いた。

 ぼんやりしてしまって、いったい自分は今、なにをと手元をみれば、どうやら同じ図面をひたすらスキャンし続けていたらしい。

「ちょっと、大丈夫?」

「あ……なにがですか?」

 悦子は大きく溜息をついた。

「心ここにあらずね。今、できそうなのって切手貼りくらいかな」

「……すみません」

 悦子が郵便用の棚を指すので、図面を片付けてノロノロとそちらに向かう。封筒の準備をしていたら、なにげなく聞かれた。

「ショックだった?」

「え?」

「ごめんね、アタシは聞こえちゃったの」

 ドサドサドサッと、手にしたぶん全てを垂直に足の上に落としてしまい、紙の束は意外と痛くて、自分の失敗ながら「有り得ない」と思う。

「聞こえたって……」

「ほんとアイツ最っ低」

「悦子さん、もしかして」

 ああ、そうだ、彼女はこの工場にもう二十年以上勤めている。

 自分が生まれる前からだ。知っていてもなんの不思議もない。

「那月ちゃん次第でアタシ、話せることは沢山あるわ。当時のことはよく知ってるから」

「私次第……」

「なにが一番ショックだった?」

 どうだろう。

 知らない時間が十七年、知ってからまだ数十分。とにかくびっくりしてしまって、なにがなんだか。

「よく……分かんない……。なんていうか、今ってずっと誰かに足つかまれて揺さぶられてるみたいな変な感じで」

「うん」

「なにがって言うなら……そだね、爺ちゃんと他人ってことと……」

 立っているのがなんだか辛くなってきて、椅子にへたり込んだ。

「それと、お父さんが……」

 嫌われていることは知っていたが、まさかあんなに嬉しそうに。

 笑って。

 そうか知らなかったのか。

 そうか俺はオマエを傷つける手段を持っていたのか。

「あんな、」

「僻んじゃってるのよ、あの男。じゃあコレは教えてあげる。迷ってたお母さんに、那月ちゃんを産むよう説得したのは先代なの」

「え」

 調子が悪くてガタガタと揺れるプリンターを手で押さえながら、悦子の表情は心なしかいつもより優しかった。

「あの頃って二代目はほとんど家になんて戻ってこなかったし、みんなね、分かってたのよ。先代もずっと申し訳ながってたの、あなたのお母さんは先代が昔お世話になった人の娘さんだったから」

「……でも」

「まあ、いくらそういう背景でも、普通は誰もそう寛容にはならないでしょうね」

 だけど普通じゃなかったの。

 みんなあなたのお母さんが好きだったし、実のお父さんのことも好きだったの。

「……信じられない?」

「なんか……変な話で……」

「変な話だらけじゃない、この工場。今更よ」

 そうかも。

 でも、変な話。

 繰り返すと悦子は、あたしゃ西条くんの赤スーツのが変だと思うわ。と呟いた。

「あ……それじゃ悦子さん、私のお父さんのことも知ってるんだ」

「知ってるけど、それはさすがに他人がうかうか喋っていいことじゃないと思うし」

 誰かに聞くか調べるとかは、よく考えて。

「とにかくね、お母さんは凄く悩んでて……倫理的なこともだけど、お金の問題もあるでしょ。だけど先代は全部、大丈夫だから安心しなさいって。孫はたくさんいたほうが賑やかで嬉しい、その子は生まれてきたら絶対にみんなから愛される子だからって」

「……爺ちゃんがいなかったら、私、今ここにいなかったんだ?」

「そういうこと。だから立派に先代の孫なのよ、アナタ」

 目の前がじわりとにじんで、こすろうと思った手を待たずに、ぽたりと零れた。

 自分のこのすぐ泣く癖はどうにかならないものだろうかと、恥ずかしくてアタフタしながら、とりあえず上を向いたら悦子が「鼻血じゃないんだから」と笑った。

「千榛ちゃんはこのこと……」

「社長はねえ、あの調子でしょ」

「……?」

「那月ちゃん風に言うなら、これも変な話かな。社長……千榛ちゃん、大喜びだったのよ。あのダメ親父が関係しない妹ができるって」

 その光景は容易に浮かぶような気がする。

 だって自分はいつも可愛がられていた、不相応だと思うくらい。

 変な話。

 不思議な話だ。

 例えば工場で、笑い声が聞こえる。

 その中心に、本来なら望まれるはずのなかった子がいる。

 みんな幸せそうだ。不思議な話だ。

 そうしてそこから少し離れた場所に、その子を真実望まなかった男がひとり立っている。

 男は呟く。どうしてなんだ、と。

 本当に、どうしてだろう。




 夕方、彰久から電話があった。

 今日も市川邸まで送るつもりだったが、仕事が忙しくて行けそうにないという。

 ここのところフラフラ抜け出してばかりいたから、さすがに本業のほうがキツいらしい。そのうえ、妙な金の遣いかたをして実は困ったことになっているんじゃないか……と、心配は声音に出たのかもしれない、彰久は急にふにゃりと口調を変えた。

「今週は盛りだくさんだったからねー。ナガハラ製作所祭りって感じ? おまえさんら年中ぴーぴー納期遅れの金ないのって騒いでるけど、まあ、それにしてもこう濃いのは春夏秋と年三回だけで十分だよね」

「三回もやっていいんだ」

「三回くらいはないと、面白くないっしょ」

「……ありがとね」

 お? 直球きたねぇ、と彰久は相変わらずふにゃふにゃした喋り口。

 さっき千榛ちゃん見てて私も言わなきゃって思ってたんだよと告げると、那月はいつも全身でありがとうオーラ出してるからいいんだよと笑う。

「千榛はそういう可愛げってもんがないからあえて心を鬼にして言わせたくなるんだけどさ。まあでも、分かってても言葉にして聞くといいもんだ。うん、いいねえ」

 妙に嬉しそうな彰久にもう一度礼を言って、受話器を置いた。

 そのあとしばらくチマチマと、明日納品するバルブにつけるタグを作っているうち、気が付けばすっかり暗くなっている。

 そうだ、今日は拓人さんにカレーとプリンを作るんだった。

 思い出し、慌てて辺りを片付け二階に上がり、紙袋に着替えをほおりこんだ。降りてきて事務所を出ると、そわりと肌が震える。かなり冷え込みが厳しい。

 昼以降、父の姿を見ていないが、さっきの恰好のまま再び柱に括られたのだとしたら、本当に凍死しかねない……と、作業所に足を踏み入れると、ぽつりぽつりと灯りがついている。まだ、作業をしている者がまばらながら居るようだ。

 タイムカードを押していない工員の顔を思い出しながら歩いていくと、近い場所でガチャガチャッと、なにか崩れ落ちるような音がした。

 伸びあがり、蛍光灯のついている台のほうを覗くと、市川が、落としてしまった目盛り板を拾っている。

 手伝いに行こうかと飛び出しかけたが、なにかに足をひっかけて、積み上げられたゴム板の山の上にすっ転んでしまった。そのまま隙間にころりと落ちてしまう。

 市川はその物音には気付かず、反対側から現れた人物の方を呼んだ。

「社長?」

「はかどってるか」

「あ、はい……大丈夫っす」

 語尾がなぜだか、弱く消える。

 膝立ちの姿勢でそっと覗くと、市川は例のバルブの加工に着手しているようだった。

 ほら。と、千榛が差し出した缶コーヒーからは目をそらす。

「監視しなくても、この期に及んで逃げたりサボッたりしないっすよ」

「逆だ。お前、少し休め。朝から根詰めすぎて、疲れてんじゃないのか?」

 はあ……と曖昧な返事をして、市川はバルブを弄っている。

「ちょっとペース落ちてんで、休んでる暇ないっす」

「社長命令だ。納品が間に合わなくなってもいいから、今は手を止めろ」

 むっつりとした表情で、市川は缶コーヒーを奪い取ると、壁際に腰を下ろした。

 千榛は組み立て途中のバルブを眺めている。市川はなんとか急いでコーヒーを飲み干そうとしているようだった。

「今日はもう止めにして、明日、一気にやったらどうだ」

「……いえ」

「仕上がりが荒くなってる。気が張って手が巧く動かないんじゃないか? そういうときに無理してやると怪我するぞ」

 千榛の手にした棒ヤスリが、かすかにカツンと音をたてる。

「明日から橋田さんも現場復帰するし。お前ばっかり頑張ることはないんだ」

「っても、俺は、これのために戻されたんっすから」

「彰久はバカ騒ぎしすぎなんだよ。あいつとは腐れ縁も二十五年めだが、常時ああで静かなところを見たことがない。あれとマジメにつきあったら疲れるだけだぞ」

「はあ。そっすね」

「……まあ、そのうち慣れるかもしれないが」

「無理っすよ」

 市川のあまりに潔い即答に、千榛は珍しく、口の端に笑む気配を漂わせた。

「どうしてもまだ作業を続けたいって言うなら、軽くストレッチでもしてからにしろ。気が張ってると怪我するってのは本当だ」

「……誰かどっか痛めたんっすか」

「私が。テンパッて安全確認を怠ったんだ。突き出てたドリルでザクッとやったんだが、結構えぐれて骨まで見えたんだぞ」

 千榛は、作業着の腕をまくってみせた。蛍光灯の下、左腕にほぼまっすぐ刻まれた二十センチほどの傷跡が照らし出される。決して新しいものではないのだが、触れたらすぐにでも血が吹き出そうな生々しさ。

「糞親父が出てった後、急に自分一人で工場背負ってるような考え違いをしてな。自分は女だが、あの役立たずの疫病神と違って現場仕事も出来るんだってとこを見せたかったし」

 のろのろと立ち上がった市川の肩を、千榛は少し強めに叩いた。実際、身体はだいぶ緊張していたようで、両方の腕が、びくりとした後だらりと下がる。

「あんときゃまったく散々だったよ。悦子さんには怒鳴られるし、那月は泣くし、彰久には殴られるし」

 ああそうだ、あいつはあれですぐ手が出るから気をつけろよ。

 千榛が言うと、市川は顔を引きつらせて、ええハイ、とだけ答えた。それはとっくに経験している。

「慌てて病院から戻ってきたら、そのとき私がやってた作業はもう全部終わってた。みんなで手分けしてやってくれたんだな。考えてみたら、先代の爺さんが作ったのは元々そういう工場だったんだ」

「……」

 ここはそういう工場だよ。

 再び軽く肩を叩いて、千榛は別の作業所の方に向かいかけた。

 が、ふいに足を止め振り返る。

 いったい何を思い出したのか、さっきまで穏やかだった表情が、急に強張っていた。

「もうひとつ。今度の件で思ったんだが」

「なんすか」

「お前、もしかして那月が嫌いなのか?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ