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■第一章 那月(17)&彰久(28)ふたりは仲良し

 若いうちの苦労は買ってでもしろ、なんて、よく聞く言葉ではあるけれど。

 売り買い可能なものならば、誰か本当に買ってくれやしないものか……と、つい真剣に考え込んでしまう、永原那月は十七歳のちびっこ女子高校生である。

 実際売りに出したいのは、自分のではなく姉の苦労だ。そのお金で少しでも家の借金が返済できれば、一石二鳥で一挙両得。

「フリマとかに出せないかなあ……」

 呟くと、ハイ・バリトンの笑い声が響いて青空に吸い込まれた。

「そりゃいいや。燕沢スーパーの屋上で、千榛が仏頂面して『しなくていいはずの苦労』を売るわけね。ダンボール二十箱くらいはありそうだな。実に壮観だ」

「壮観っていうか悲壮感っていうか」

「巧いこと言うねえ」

 燕沢町住宅街に向かってのびる、田んぼの中の一本道。天気、秋晴れ。風速ゼロ。

 のどかな排気音を響かせて、二人乗りの真っ赤な改造スクーターが走る。

 運転者は西条彰久。自称・証券界の赤い彗星☆ ……なのだが今日の彼は残念ながら、いつもに比べて赤さが足りない。鮮やかな色のスクーターとジェットヘルメット以外、スーツもシャツもネクタイも靴も、グレーが基調の実にノーマル。いっそスタイリッシュといっていいほどすっきりとした色彩でまとめられている。おかげで、元々上背があって見栄えのいい彰久が、どこのモデルか俳優か並みの色男に見えて、背景の田畑と激しく噛み合っていないのだった。

「アキ兄ちゃんって本当はかっこいいよね」

「あ? なに、聞こえなかった」

「まともなかっこして黙ってればね」

 ぽそりと零して、こそり溜息。

 いいんだけどね、変な格好でいてくれたほうが、変な虫も寄ってこないし。

 スクーターは現在、自転車ちょい増し程度のおっとり速度でのんびり走行中である。運転者いわく「俺の危険な相棒は通常の三倍速だぜシャー!」とのことだが、那月が記憶する限り、二人乗り時に決して彼はシャー!なスピードなど出さない。しっかり被らされたフルフェイス・へルメットにしてもだが、さりげなく紳士である。

 さて、そのさりげない彰久であるが、なにゆえ現在、生来のカラーリング・スタイルを変更しているのかといえば、別段、人生を客観的に見つめ直す気になったわけではない。本日午後、那月の通う県立高校で催された進路相談の三者面談に参加したからである。

 ……本来出席すべき実姉・千榛の替え玉として。

 那月の担任教師は、教え子の保護者情報を「母は他界・父は蒸発して兄弟と二人暮し」としか認識していなかったがため、この企てにまんまと騙されまくってくれた。彰久の営業スマイルも絶好調で、わずか数十分の面談終盤頃には、女教師の目の中には恋の天使が遊び、気はそぞろ。調子にのった替え玉が、

「ネット株、始めてみませんか。口座の開き方からご指導しますよ」

 などと不自然な勧誘をおっぱじめたのに、不審にも思わなかったようだ。なんで潰れかけの町工場社長がそんなもの人に勧めるか。



 善良な教師を騙すのに成功し、詐欺師を乗せたスクーターはのろのろ進み行く。道端でコスモスが揺れている。

 ふいに、彰久が声を張り上げた。

「那月を待ってる間にさあ?」

「うん?」

「あれ読んでたわけ、廊下にズラーっと貼られてたやつ。『出すことのない手紙』?」

「あー、あれねー」

 彰久が言うのは、おそらく、生徒会主催のクラス持ち回り企画だ。

「恥ずかしいよね、高校生にもなってあんな作文みたいなの」

「いや、なかなか興味深かったぞ? くっだんない愚痴と甘酸っぱい告白と萌え語りに混じって、お前の文章にはなかなかファッキンでロックなソウルを感じたよ」

「そう? 意味わかんないけどありがとう」

「お前は昔っからクリエイティブな才能にあふれてるよな。俺、あの曲まだ歌えるし」

「あの曲って」

「♪月曜日ぃー月面基地建設うー♪」

 ザザッとイナゴが飛び立ったのは幻影だ。しかしまったく唐突に田んぼの中心で繰り広げられるリサイタル、その歌声の清清しき伸びやかさよ。

 えぇえ? と那月が声をひっくり返らせていると、彰久は得意げにますますもって朗々と声を張り上げはじめた。

「♪火曜は火星の溶鉱炉おおお、水曜水星パイプの工事~♪」

「アキ兄ちゃん、恥ずかしい、ストップ、ちょっと、やめてっ」

「♪そおおさ宇宙にはばたくアナザーディメンショオオン、ナガハラーナガハラーぼくらのナガハラ製作所おおお♪」

「やだやだやだってば本気で!」

 彰久の祖母は燕沢町のマリア・カラスを自称するオペラ歌手である。自称癖と張りのある馬鹿でか声はおそらく正統的遺伝だ。那月がじたばたすると、おかえしとばかりに彰久も背を揺すって応戦してきた。鈍足運行中とはいえ、普通に危ない。

「二番行くぞっ! ♪木曜日ぃーなにか削るぜ木星でぇえ……おおおっと」

 後ろから思いきり耳を引っ張られ、彰久はやっと歌を中断した。

 スクーターがふらふら蛇行する。

「なんだなんだバイク・ジャックか? 運転手に暴行を働くな」

「同乗者に恥をかかせることを禁止する声明文を出すよ! てゆうか、なんでそんな隅から隅までちゃんと覚えてんの!?」

「や、だから俺好きなんだってこの曲。夢いっぱいじゃん。宇宙じゃん。なにを今更恥ずかしがってんですか、よく工場のみんなで歌っただろ。たぶんみんなも覚えてると思うよ、永原那月大先生、齢十歳の大傑作」

「傑作って。アナザーディメンションとか意味不明だし!」

「いやー、宇宙への野望は、おそらく永原姉妹の魂に刻まれた情報だと思うぞ。そういや、千榛も昔はアナザー少女だった」

「……そうなの?」

「今じゃすっかり生活苦に追い立てられて夢を忘れたカナリアちゃんだけどねえ」

「……そうなんだ」

 日々、油まみれの作業着姿で工場内を駆け回っている千榛である。髪だけは女性らしく長く伸ばしているが、それも実は切りに行くのが面倒なのと、冬あたたかく夏は編んであげときゃ涼しいという実用レベルの理由からである。そんな自分が脆弱な小鳥呼ばわりされたなんて知ったら、きっと彼女は憤慨するだろう、が。

 ……夢、か。そうか。

 あの姉も、昔から苦労性現実道一直線の眉間に縦皺少女だったわけではないのか。

 上を向いて吐いた溜息は、さっきの歌と一緒に秋空に吸い込まれた。

「千榛ちゃんには内緒だからね」

「なにを? バイク・ジャック未遂事件?」

「作文のこと」

「言わない。つうか、言えないでしょうよ。どこで見たんだって突っ込まれたら、俺が今日、那月の学校いったのバレちゃうじゃん」

「それもそうだね」

 そうなのだ。

 そもそも何故、替え玉なんぞ使ったか。那月的には考えた末の苦肉の策である。

 家の金銭的事情から、大学進学はしないと決めたが、おそらく姉は反対する。いや、正面からはっきり反対されるならまだいいのだが、那月の予想ではおそらくこうだ。

「進路相談に千榛ちゃんなんか呼んでみなよ。あの人、まるで首絞められたみたいな青黒い顔して脂汗じっとりかきまくってさ、私の話なんかろくに聞きもしないで、コソコソどっかにお金借りにいっちゃうよ」

「まあ、そうだな。たぶん今浮かんでる俺とお前の脳内映像には、数ミリのズレもないだろう」

「そしてその夜、机の上には札束がどーん」

「『那月。今まで黙っていたが、実はうちにはこれだけお金があるんだ! お前は安心して大学に行け!』」

「でもそのお金は所詮見せ金だから、利子がつかないうちに返しに行くわけだよね」

「ばればれだぜ、千榛。あ、でもあいつ、債務整理中だから大金は借りられないだろう。きっと、お前の目を盗んでこっそり偽の札束を作るんだな。一番上と下だけ本物なやつ」

「間は新聞紙? 千榛ちゃん……そんなことまでして……」

「お前のためを思っての愚挙だ。そう責めてやるな」

「そんな惨めな千榛ちゃんの姿は見たくないよね、アキ兄ちゃん?」

 以上。一昨日、この件について彰久と話しあった妄想的記録である。


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