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 第五章・2

 気が付くとスクーターに乗っていて、人間ステレオは調子よくガンガン鳴っていた。

 素晴らしく伸びやかな良い声で、彼が歌っているのがプッチーニでもヴェルディでもなく、キン肉マンの替え歌でどうも「金欠マン」というタイトルであるらしいことに気付いたときには脱力しまくってスクーターから転げ落ちそうになったが、恥ずかしいからやめてくれという気力も既にない。

 約360万円の借金……

 を、とりあえず野口英世に換算してみると3600人だなあと、あんまり意味のないことを考える。と同時に、懐かしい映画の画面が脳裏に浮かんだ。モンゴルかどこかの大草原。だらだらと駆け抜ける3600人の野口英世。

「あー懐にー金がなーけーればー♪ ……あのさー、那月」

「……なに?」

「お前的に今の俺って、ものっすごい悪人に見えてるかもしれなくて、まあ、なんていうかそれはいろいろとあれだ、金に対する立ち位置の違いとかに起因するわけで、実際、言い訳する気はないんだけどさ」

 その全てが言い訳のような気もするが、そこに突っ込むのはあまりに無粋だ。

「俺のこと、嫌いになんないでね?」

「なんないよ」

「おお、即答」

「……嫌い、とか、さあ」

 ありえないから。

 と、果たしてどう伝えればいいものか。

 赤い背中に少し体を寄せるようにしてみたところでなんだか無性に気恥ずかしくなり、ひとりで微妙にくっついたり離れたりを繰りかえしていると、スクーターはパチンコ屋の前で止まった。

「あれ、市川さんとこ行くんじゃないの?」

「ツワモノドモがユメのアト、でしょ」

 自動ドアが開くと、音がわっと襲い掛かってくる。耳がおかしくなりそうだ。

 ぽかんとしていると、彰久が首を傾げて、

「ああ……そっか、だめじゃん。未成年は外で待ってなさい」

 と言ったようだがよく聞き取れない。

 頷いて、あたりを見回す。

 今時のアミューズメント施設はどこも禁煙という印象を持っていたが、田舎の古式ゆかしいパチンコ店は、そうでもないようだ。煙がもうもうと立ち込めて目にしみる。臭いもきつい。

 彰久の赤いスーツは店内の毒々しい色彩と妙に馴染んでいた。突然ジャラジャラと音がしてびくついたが、そもそも騒音が騒音に相殺されている。さっきの音はどこからしたのか、もうよく分からない。

 なるほど、現実逃避の場所としては最適かもしれない。この、外界との隔たりよう。

 工場で、やはり騒音に囲まれてじっと大きな板が削られてゆく様を見つめているときのような、妙な。吸い込まれるような感覚に似ている。ただ、ここでは何も生まれないが。

「こーら、店出てろって言っただろ」

 ぽん、と両肩を叩かれた。

 胸をはる彰久の後ろで、市川が青白い顔をして俯いていた。



「つうか俺、好調っすよ! なに言いがかりつけてんすか!」

 どこに移動するのかと思ったら、パチンコ屋の裏だ。

 日陰で薄暗く、おあつらえ向きにゴミ袋やダンボール箱が積み上げられて、彰久はいつのまにかサングラスまでかけている。

 さあ盛り上がってまいりました。

「おーやおや、そんな余裕かましてていいの、市川ちゃーん? 明日には追証の取立てが来ちゃうんじゃないのかなー?」

 詰め寄りながら、傍にあったゴミ袋を蹴る。シュレッダーされた紙でぱんぱんの袋は、ぽおんと弧を描いてべしゃりと落ちた。

 ガラの悪い役、ハマりすぎ……

 那月がぽやっとしていると、人が来ないか見張ってろ、とドスのきいた声で指示された。本気なのだか単にそういうシチュエーションに酔っているのか。いまひとつ伺い知れないが、やたら楽しそうなのだけは確かだ。

 とりあえず、那月はふらふらしてみた。

 チンピラ風のつもりだが、傍目には、所在無いペンギンのように見えたかもしれない。 ふぁーっははは、と笑い声が響く。

「こっちはCIA並みの情報網をもってるんだぜ。E社株は残念だったなあ?」

 CIA並みもなにも情報漏えいの大元は本人のパスワード管理ミスなわけだが、そうと知らない市川は顔色を変えた。

「な……なんのことっすか……まさか」

「普通はビギナーズラックってもんがあるはずだけどな。株始めて数ヶ月であんなもん掴んじゃうんじゃあ、君、これっぽっちも才能ない。才能ないっつか、いっそ呪われてる」

「……呪われ……」

「そんで? お金返すアテはあんのかな? とりあえず、借りたものは返さないとさ。なんだったら、おにーさんがいい儲け口を紹介してあげてもいいんだけど」

「あの女、俺に呪いをかけたのか!」

 突然の咆哮に彰久も那月も虚を突かれた。

「ひっかかるの、そこ?」

 叫んだ男はそのままどこかに駆け出そうとしたが、あっさりと彰久に首根っこを捕まれる。スピード感だけはあったのだが、どうやら目の錯覚だったらしい。

 漂っていた那月を、市川は指差した。

「お前ら全員グルなんだな!?」

「え? うん」

 つい正直に答えてから、考えなおす。

「でも、呪いはかけてないよ?」

 てゆうか、呪いとか信じる人だったんだ……。

 ぽかんとしていると、市川は騒いだ。さらに騒いだ。

「ばっくれんじゃねえよ、呪いじゃなかったらなんであんな意味わかんねー株が爆上げすんだよ、ありえねーよ! 離せ、あの魔女ぶっ殺してやる!」

「有り得ないのは君のものの考え方だ」

 と、彰久が言った。そのとおりである。市川は暴れている。首根っこ掴まれたまま。

「市川くん、ちょっとね、落ち着けっての。悦子さんもたかが400万どうこうのトラブルになんか巻き込まれたくないだろうし」

「じゃなくてアキにーちゃん、悦子さんは無関係ってちゃんと言わないと」

「無関係なわけねえだろ、悪魔め! 俺の金返せ!」

 市川、暴れる。無駄に暴れる。

 ひょろりとした腕が無造作に振り回されたが、彰久に襟首を捕らえられているので、勢いで赤くなったり青くなったり。文字通り、自分で自分の首を絞めている。

 呪いで株価操作できたら凄いなあ、と那月はしみじみ考えた。

 インサイダー取引を通り越して、デビルサイダー取引……魂を担保にいくらまでお金貸してくれるんだろ……

「あのさ。とりあえず、話を本筋に戻そうと思うんだよね」

 言うなり彰久は手を放し、勢い込んでつんのめった市川の腹に拳を叩き込んだ。

 ふいをくらったひょろ長い身体は、いとも容易くふっ飛ぶと、ダンボール箱の山に突っ込んだ。そのうえ空箱が崩れてくる。

 市川はすっかりダンボールに埋もれた。



「……暴力はあんまりよくないよ」

 半端な言い方で制しつつ、那月は市川の発掘作業に向かった。

 彰久は不満げな鼻歌を唸らせる。

「どうかねえ。女性に対して、たとえ冗談でも『殺す』とかは言っちゃいけないと思うんだよね、俺は」

 箱の山は沈黙中。ぴくりともガサリともしない。どういうことか。

「市川さん大丈夫?  意識ある?」

 幸か不幸か、箱はすべて空のようだ。組み立てられたものだけでなく折りたたまれた状態のものまで崩れて広がってしまったせいで、那月は市川の埋没地区にたどり着く前に、見事に滑ってべしゃりと転んだ。

 みっともないのでさっさと起き上がりたいのだが、足をとられてうまくいかない。あれあれあれ、と、焦れば焦るほど、氷山を腹で滑るペンギンのごとく。

「なにやってんの、那月」

 彰久が呆れた声を出したそのとき、ニュッと、箱の山から細い腕が突き出された。続いて、細目の観音顔が。

 あっと思った那月の頭を、腕は抱え込むように引き寄せた。ギラリと光ったのは、おそらくは荷解き用のカッターの刃。

「いいかっ、こいつの命が惜しかったら、現金でよんひゃ…っ」

 彰久の飛び蹴りが、間髪いれずに市川の顔面にヒットした。その流れのまま、脚は、落ちたカッターをも蹴りあげる。

 一発で、市川は伸びた。すべてがほとんど瞬間芸だった。

 那月は再びダンボールの上をずるずるっとすべり、べしゃりとコケた。そのあとまた、足をとられてワタワタしつつも、なんとか地面を見つけて立ち上がる。

 それから、失神中の市川を丁寧に丸めてダンボールにのせた。

 一連の動きを見ていた彰久が、呆れたような溜息をつく。

「なに変にいい笑顔浮かべてんだよ。怪我はないか?」

「へーきだよ。や、なんかひと仕事終えたって気持ちになっちゃって、つい……それにしても、テンパッてるとはいえ、この期に及んでほんと根性くさってるねー市川さん」

「お前は、なんつうか、根性腐ったやつ慣れしすぎだと思うよ」

「あれ、あの車」

 駐車場に、見慣れた社名入りのワゴン車が入ってくる。

 作業着姿の戸村が降りて、しばらく辺りを見回した後、手を振ってこちらに小走りに来た。道路沿いを走っていて赤い改造スクーターが目に入ったらしい。

 散乱するダンボールとぼろぼろの市川。向けられた不審の視線に、彰久は朗らかな大声で言い訳をした。

「いやあ、ちょっとこの周辺、磁場が狂っててね! 凄いねぇ超自然って!」

「顔に……靴の跡が……」

「おおいなる存在からのメッセージだな、解読の必要ありだ。いや、世にも奇妙なムーだねほんと」

 察したのかそうでもないのか、戸村はそれ以上は突っ込んでこなかった。

 那月が提案する。

「そうだ、せっかく車もきたし、場所移動しようよ。市川さんの家とか…」

 戸村は一瞬、渋い顔をした。

「だったらやっぱり、顔の靴跡は消したほうがいいですね。このままだと、同居人の方になにか言われるでしょう」

「おおなに、同棲しちゃってんだコイツ?」

 彰久が目を輝かせる。いかにもつまらなそうに戸村は応えた。

「お兄さんと二人暮らしっす」

「……なんだ」

 観音の兄貴なら、大仏か。

 んだよ、せめてお姉さんなら期待できたのになー天女顔。

 彰久がぶつくさ言うのは右から左に流し、那月は聞いた

「お兄さんならまだ仕事から帰らないんじゃない? とりあえず、おうちで顔、洗わせてもらったら」

「それが、無職でずっと家にいるそうです」

「……ってことは」

 突然、彰久が嬉しそうに振り返った。

 なんとなくだが、千榛の長年の苦労というのが垣間見えたような気が、那月はした。

「キン欠マンの家にニートくんがいるわけだ!」

 見てぇぇそれすげー見たい、屁のつっぱりはいらんですよ!

 浮かれた叫びは小学生男子そのものだ。

 頭痛がする。

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