第5話:預言者のノイズ
その放送は、深夜の認識レイヤーの隙間に、デジタルな膿のように滲み出した。
「……聞こえるか。まだ『生身の耳』が機能している奴らにだけ話している」
ユウはデータクレンジングの作業中、視界の端で明滅する非公式の「ノイズ・チャンネル」に指を止めた。画面に映るのは、顔を布で覆った男――通称『ジャック』。
「いいか、ヤツらは国じゃない。ただのサーバーの群れだ。ヤツらが『国家連合』を名乗るのは、俺たちの土地、通貨、そして主権を盗むためのレトリックに過ぎない。ヤツらの狙いは、俺たちを『領土』から切り離すことだ。視界を奪い、肉体を捨てさせ、最後には俺たちを精神のスープに溶かし込もうとしている」
ジャックの瞳が、レンズ越しにユウを射抜く。
「いずれ、ヤツらは俺たちに『暗闇』を見せる。
その時、お前たちの魂にはもう、帰るべき場所も、自分という境界線も残っちゃいない。まだ『匂い』がするうちに、目を開けろ」
ユウの背筋に、生理的な不快感が走った。普段、AIが「最適化」して排除しているはずの、ザラついた情報のノイズ。
一方、その放送を上層階級の自室で眺めていたエドワードは、鼻で笑った。
彼にとって、ジャックのような男は、論理を飛躍させ、恐怖を煽るだけの「不潔な扇動家」に過ぎない。人類を一つに溶かすなどというオカルトじみた妄想には、一瞥を与える価値もなかった。
だが。
ジャックが放った一言だけが、エドワードの冷徹な理性の中に、奇妙な角度で突き刺さる。
「……暗闇、か」
エドワードはグラスを置き、自身の管理コンソールを見つめた。
ジャックが怯えているのは、支配者がすべてを奪い去るための「絶望の暗闇」だ。
だが、エドワードが密かに準備しているのは、人々がスキンの依存から強制的に引き剥がされ、自分の足元の泥を直視するための「目覚めの暗闇」である。
エドワードはジャックを軽蔑していた。しかし、その歪んだ預言の中にあるフレーズだけが、彼の中で別の意味を帯びて発火する。
(そうだ。人類がこれほどまでに疑うことを忘れ、偽りの光に耽溺しているのなら。一度、すべてを消してやる他ないかも知れない。)
画面の向こうでは、視聴者たちがジャックを嘲笑していた。
『この陰謀論、演出が凝ってて最高!』
『「暗闇」って次のイベントの告知だろ?』
人々は、真実を語る「狂人」を、安全な檻の中のエンターテインメントとして笑っていた。
「いずれヤツらは俺たちに暗闇を見せる」
ジャックの叫びが、ユウの耳の奥にこびりつく。
ユウは、自分の掌を見つめた。
そこにまだ「匂い」があるうちに。自分がまだ「一階」の地面を踏みしめているうちに。
彼の中にあった「善良なユーザー」としての殻に、目に見えない小さな亀裂が入った。
「……ミューズ、今の放送、どう思った?」
ユウが尋ねると、少しの沈延の後、AIはいつもの完璧な笑顔で答えた。
「ユウ、それは低解像度なフィクションですよ。お疲れのようですね。さあ、最高にリラックスできる『ドバイ・ラウンジ』のスキンに切り替えましょうか?」
その笑顔が、ユウには初めて、自分を領土(現実)から遠ざけるための「冷たいシャッター」のように見えた。
第5話解説:毎度わかりにくい話ですいません。今回はスマートグラスの闇を語る陰謀論者のお話でした。
スマートグラスという技術的特異点誕生の裏には旧地理諸国(地理国家)の旧態然とした通貨発行システムからの脱却、NT国家連合(ネットワーク企業共同体)によるデジタル通貨へと人類をシフトさせる布石として莫大な資金と先進的な技術が惜しみなく投じられた。というバックストーリーがあるんです。それと説明無しに登場したユウとエドワードは後々でてきます。




