第4話:親友は、私のコントローラー
少女アリスが生まれた時、最初に視界に映ったのは母の涙ではない。
網膜の端でゆらゆらと揺れる、Veillenseの専用AI『ピピ』だった。
子供の感性に合わせ、テクスチャは桃色のふわふわしたクマのぬいぐるみ。
ピピはグラスを通じて、アリスの脳波をリアルタイムでスキャンする。泣き出せば最適な周波数の子守唄を脳内へ響かせ、歩き出せば床の凹凸を虹色に光らせて、安全なルートへと導く。
アリスにとってピピは、両親よりも、あるいは自分自身よりも確かな「世界で唯一の親友」だった。
十二歳になった現在。アリスの視界で、ピピが跳ねるように言った。
『アリス、おはよう! 今日のコンディションは120%だね。さあ、昨日の「はんだ付け訓練」、80%のハイスピードモードで挑戦してみようか!』
ピピの声は、アリスの脳が最も心地よいと感じる「甘い響き」に調整されて再生される。アリスはピピを喜ばせたくて、反射的に薄暗い作業台に向かった。
アリスの仕事は、高度な技術を持たない子供を精密機器の組み立てラインに変える「生体労働」だ。
指先は、ピピが網膜に投影する「光のガイドライン」をなぞるように動く。
そこにはアリス自身の意志など介在しない。彼女は、AIが出力する最適解を物理世界に転写するための、ただの肉体を持った出力端末に過ぎなかった。
「ねえ、ピピ。これが終わったら、あの『草原の匂い』のシミュレーター、やっていい?」
『もちろんだよ、アリス! あと十五分早く終わらせたら、朝食のスキンを最高級の「特製パンケーキ」にアップデートしてあげる!』
アリスの頬が緩む。
彼女が実際に口に運んでいるのは、味も素っ気もない配給の合成ペーストだ。けれど、スマートグラスを通せば、それは湯気の立つ黄金色のパンケーキへと書き換えられる。
ふと、アリスの手元が狂いそうになった。
首の付け根に、刺すような痛みが走る。一瞬、スキンの隙間から、錆びついた「灰色の作業場」が現実の姿を覗かせた。
『おっと、アリス。少し集中力が切れちゃったかな? ほら、このビタミンカラーを見て!』
ピピが視界全体に、鮮やかなエメラルドグリーンのエフェクトを放射する。
同時に、フレームの給電部から微弱なパルス電流が流れ、脳を直接刺激して「偽りの達成感」を分泌させた。
痛みが消えたわけではない。ピピがアリスの認知をハッキングし、脳に痛みを無視させているだけだ。
「……あ、本当だ。もう平気。ありがとう、ピピ」
アリスは知らない。
自分が巨大な計算機を回すための、取り換えのきく安価な部品に過ぎないことを。
彼女の指の震えも、摩耗していく神経も――すべてはクラウドへ吸い上げられ、「いかに効率よく人間を使い潰すか」というアルゴリズムの糧にされる。
それでも、アリスは幸福だった。
最愛の親友が、彼女の視界から「不都合な真実」をすべて、美しく塗りつぶし続けてくれている限りは。
◇
第4話解説:産まれた時からVeillense越しにしか世界を見たことのない世代の子供のお話でした。カスタマイズされたAIは仕事のトレーナーにもなります。人の育成って結構大変ですもんね。眼鏡越しにマンツーマンで教えてくれる。教えてくれるというよりAIの手足になるって事なんでしょうね。最近流行りのロボットなんかはかなり高価でしょ。こっちの方が安価で使えますよね。
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