第10話:光の防腐剤 ――アーキテクトの肖像
レオンはタブレットの上で、細い線を引いた。
「プロンプト:質感を『天上の雲』に。ソフトフォーカス上書き……よし」
粗いポリエステルの布地が、滑らかなシルクへと書き換わっていく。
彼の職業は、スキン・デザイナー。
物理的な世界の醜さを、デジタルな光の膜で防腐処理する「世界の修復師」だ。
「レオンさん、今日の私、ちょっと解像度高すぎませんか?」
モデルの少女が不満げに言った。
彼女の素顔には、昨夜の深酒による隈や、小さなニキビ跡がある。
だがレオンは、ため息をつきながら「嘘」を重ねていく。
「解像度を下げて、発光粒子を足したよ。これで君は、毛穴一つない女神だ」
モデルは満足げに笑った。
彼女が無欠の存在へ近づくほど、レオンは黒いディスプレイに映る自分の疲れた顔を直視できなくなった。
そこへ、VIP顧客から緊急の通信が入った。
重鎮の息子だ。十歳にも満たない少年は、最高級のスマートグラスを装着し、日常を「神話の世界」のようなスキンで彩って生きている。
「もっと、完全に(パーフェクトに)してほしいんだ」
少年の声は、無邪気ゆえの残酷さに満ちていた。
「母さんが笑うとき、目尻に『変な線』が出るんだ。壊れてるみたいで、怖いよ」
レオンの喉が引き攣った。
目尻の線。長い年月をかけて刻まれた笑いの痕跡。
だが、この「上書きされた世界」で育った子供にとって、それは「故障」でしかなかった。
「……どれだけ笑っても、綺麗なままでいさせて」
レオンは震える指で、禁忌とされる『表情筋の動的固定』のコードを打ち込んだ。
数分後、少年の母親は、どんなに笑っても、泣いても、一切の亀裂が入らない「完璧な聖母」へと書き換えられた。
それは確かに美しかった。そして、凍りつくほどに不気味だった。
「……完成です。もう二度と、彼女の顔が『壊れる』ことはありません」
レオンはタブレットを置き、自分の掌を見た。
中指には、ペンだこができている。
スタジオの隅に放置された、本物の、古びた綿布の切れ端に触れてみる。
「……ああ、ガサガサする」
指先に伝わる不快な抵抗。
冷たく、湿った、重い感触。
だがその「醜い手触り」だけが、彼がまだ偽りの神になりきれていない唯一の証拠だった。
夜、レオンは自分の掌を頬に当てた。
冷たい水の感触が、皮膚に深く刻まれている。
掌の温度は、確かにそこにあった。
だがその温もりが告げるのは、安堵ではない。
人々の「生の痕跡」を凍らせるたびに、自分自身の魂もまた、光の膜に包まれて硬直していくという、静かな恐怖だった。
第10話解説:ここではスキン・デザイナーという新たなお仕事の話とグラスがもたらした新たな社会問題を扱いました。




