一方通行
「私は、ずっと探していたのです」
恵夢の声は、淡々と、けれどどこか熱を帯びていた。
「藍染恵夢という名前。そのラベルは、どれも私を素通りしていく。服のCMに、化粧品の写真の脇に小さく添えられるだけのもの。誰も、私そのものを見ていない。私は、私という器の中に、確かな重みが欲しかった」
恵夢は、眠る霧子の髪を撫でる指先を止め、虚空を見つめた。
「あの日、霧子様に出会った時。『君じゃなきゃ、駄目だ』と。そう言って、私の肌に直接、消えない色彩を叩きつけてくれたのです」
恵夢は、自分の腕をそっと抱きしめた。
「描かれている時だけ……霧子様が私に筆を走らせる瞬間だけ、私は自分が『生きている』と感じられます。あの方の色に染まることが、私の唯一の存在証明。霧子様の作品として定義されること。それが、私がこの世界にいてもいい唯一の理由なのです」
光莉は、恵夢の言葉を黙って受け止めていた。耳に届く恵夢の音は、驚くほど澄んでいた。そこには迷いも、自分を憐れむ響きもない。ただ、絶対的な「依存」と「献身」の旋律だけが、一定のリズムを刻んでいる。
(……わかるよ。藍染さん)
光莉は、自分の胸元に手を当てた。自分もまた、瑠璃に「必要だ」と言われた時、死んでいた心がようやく呼吸を始めたのだ。誰かに見つけてもらえること、代わりの利かない存在だと定義してもらえることの救いは、痛いほど理解できた。
けれど。
(……でも、何か、違う気がする)
光莉の中に、小さな不協和音が生まれた。
今の瑠璃と光莉の関係は、互いの「弱さ」を許し合い、共に歩むための双方向の契約だ。しかし、恵夢の語るそれは、自分を徹底的に「物」として、霧子の「所有物」として差し出すことでしか成立しない、一方的な幸福に見えた。
(藍染さんは、霧子さんにとっての『最高のキャンバス』でありたい……。でも、霧子さんにとって、藍染さんは本当に『道具』でしかないのかな?)
眠り続ける霧子の寝顔を盗み見る。だらしなく、傍若無人で、天才特有の傲慢さを纏った画家の少女。彼女にとって、恵夢は本当に、色を吸い込むだけの便利な器に過ぎないのだろうか。
もし、それだけではない「何か」が霧子の中に芽生えていたとして。恵夢が、自分を「物」だと信じ込んでいる限り、その想いは永遠に交わらないのではないだろうか。
光莉の胸の奥で、正体のわからない「もやもや」とした感情が、霧のように広がっていった。




