肖像
西日がアトリエの窓から差し込み、油絵具の匂いが充満する空気がオレンジ色に染まり始めた頃。終了を告げるチャイムの電子音が、気の抜けた音色で鳴り響いた。
「授業はここまで〜」
美月が伸びをしながら声を上げる。 生徒たちが一斉に作業の手を止め、あちこちから安堵の溜息と、充実した空気が漏れ出した。
「瑠璃ちゃん、見て見て! 傑作だよ!」
美月は、イーゼルからキャンバスを外し、得意げに瑠璃へと差し出した。
そこに描かれていたのは、圧倒的な「輝き」だった。 大胆な筆致で描かれた瑠璃の姿。特に長い髪の流れが強調され、光を受けて輝く様子が描かれていた。
「……あら」
瑠璃は目を丸くし、それから気恥ずかしそうに口元を手で覆った。
「ずいぶんと……美化されているのではないかしら」
「ううん、そのままだよ! 瑠璃ちゃんのキラキラしたオーラ、描いてて超楽しかった!」
美月は笑うと、そのまま光莉の方へと振り返った。
「光莉ちゃんはどう? できた?」
「えっ、あ、私は……!」
光莉は慌てて、自分のキャンバスを体で隠そうとした。 美月の絵を見た後では、自分の拙いデッサンなど見せられるものではない。
「……その、恥ずかしいので……」
「えー、見せてよー!」
美月が猫のような俊敏さで回り込み、隙をついてひょいとキャンバスを取り上げた。
「ああっ!」
「どれどれ……おぉー?」
美月が声を上げ、隣にいた瑠璃も覗き込む。
そこには、美月の絵とは対照的な世界が広がっていた。
濃淡だけで描かれた、瑠璃の姿。 輪郭線はおぼろげで、どこか頼りないけれど、その表情は――驚くほど穏やかで、柔らかかった。 鋭い煌めきではなく、日向ぼっこをしている猫のような、無防備で優しい微笑み。
「……下手くそ、です。似てなくて……」
光莉が顔を真っ赤にしてうつむくと、美月は首を横に振った。
「ううん、全然。……すごいじゃん。アタシの絵より、ずっと『優しそう』だね」
「え?」
「アタシには、こんな顔見せてくんないもん」
美月が冷やかすように笑う。 瑠璃は、無言でその絵を見つめていた。
(……わたくしは、こんな顔をしているの?)
自分では、もっと気を張って、鋭い顔をしているつもりだった。 けれど、光莉の瞳というレンズを通すと、自分はこんなにも穏やかで、幸せそうな顔をしているというのか。
「……お二人の作品、持って帰ってもいいかしら?」
瑠璃が聞くと、美月は頷いた。
「もちろん。うちに来てくれたお土産~」
「ありがとう。大切にするわ」
瑠璃の耳が、夕焼けよりも赤く染まっている。 光莉もまた、照れくさそうにはにかんだ。
*
校門までの帰り道。 美月、霧子、恵夢の三人が、見送りのために並んで歩いてくれた。
夕暮れの風が、心地よい。 行きとは違い、今は彩苑のカオスな風景も、どこか楽しく感じられた。
ふと、ポケットに手を突っ込んで歩いていた霧子が、独り言のように口を開いた。
「……正直、もっと嫌な奴らかと思ってたよ」
「え?」
「白嶺のやつらはさ。あの風紀委員?みたいにいけ好かないやつばっかりだと思ってた」
霧子は、光莉と瑠璃をチラリと流し見た。
「でも、君たちは、案外、悪くなかった。……ちゃんと彩苑に入ってくれたんだって思って」
それは、天邪鬼な霧子なりの、最大限の賛辞だった。隣にいた恵夢も、同意するように静かに微笑んでいる。
その言葉に、瑠璃と光莉は顔を見合わせ、嬉しそうに笑った。
「光栄ね。……でも」
瑠璃が、悪戯っぽく釘を刺す。
「来週、あなたたちが白嶺に来た時は……やっぱり『いけ好かない奴ら』だと、幻滅させてしまうかもしれないわ」
「その時は君たちに文句を言いに行くことにするかな」
霧子がニヤリと笑い返す。 そこには、学校や選挙のライバルと言った壁をこえた、奇妙な連帯感が生まれていた。
校門の前。 別れを告げようとしたその時、美月が何かを思いついたようにポンと手を叩いた。
「あ、そうだ! ねえ二人とも!」
「何かしら?」
美月は、楽しそうに口を開いた。
「明日はさ、お泊まりセット持ってきてよ!」
「……はい?」
「お泊まり?」
光莉と瑠璃の声が重なる。
「うん! どうせあと二日あるんだし、通うの面倒でしょ? ……せっかくだからさ、ウチの寮に泊まっていきなよ!」
「寮に……?」
「彩苑の夜は面白いよー? 昼間とはまた違った景色が見れるから!」
美月は有無を言わせぬ勢いでウインクをした。
「歓迎会もしたいしさ! ……ね、いいでしょ?」
予想外の提案。けれど、 怖いもの見たさと、好奇心がうずく。
瑠璃と光莉は、困ったように、けれど楽しげに顔を見合わせた。
「……仕方ないわね」
「ふふ、楽しみです」
彩苑での体験入学は、まだまだ波乱の予感を孕んでいた。




