アトリエ
「……そういえば、美月さん」
校門をくぐりながら、瑠璃が不思議そうに尋ねた。
「真白さんは、いらっしゃらないの?」
今回の交換留学は候補者同士の交流が主目的であるはずだ。
パートナーの恵夢はここにいるのに、肝心の真白霧子の姿が見当たらない。
「あー……うん」
美月はバツが悪そうに頬をかき、力なく口元を緩めた。
「霧子は、朝にめっぽう弱くて。それに、気分が乗らないとテコでも動かないっていうか……」
「……なるほど。相変わらず自由な方ね」
瑠璃は呆れるどころか、可笑しそうに目を細めた。緊張で強張っていた肩の力が抜け、いつもの余裕が戻ってきているようだった。
すると、美月の後ろに控えていた恵夢が、口を開いた。
「……申し訳ありません」
恵夢は、作り物のように整った顔を少しだけ伏せる。
「霧子様からは、伝言を預かっております。『よろしく。気が向いたら顔を出す』と」
「……ずいぶんと簡潔な挨拶ね」
「はい。……霧子様は今、夢の中で新しい色を探していらっしゃいますので」
恵夢は、それを至極当然のことのように告げた。眠りすらも創作の一部なのだと。
「ふふ、夢の中で色探し、ね」
瑠璃は面白そうに頷くと、光莉を向き直る。
「では、いきましょうか。……、お二人に案内を頼めるかしら」
*
校舎へと続く並木道は、音と色の洪水だった。
芝生でギターをかき鳴らす長髪の集団。謎の巨大なオブジェを運ぶ一団。あらゆる表現がぶつかり合う混沌とした空間が広がっている。
そこに、瑠璃と光莉、異質な二人が現れたのだ。
「ねえ、あれが白嶺の『宝石』?」
「すっげえ綺麗」
「隣の子は? ……あれが生徒会選挙のパートナー?」
突き刺さる視線。好奇心、値踏みが混じり合う。
光莉が身を縮こまらせていると、そっと瑠璃が手を握る。
「……胸を張りなさい、光莉」
瑠璃は前を向いたまま、楽しげに囁いた。
「生徒会選挙に出ている以上、こんな場面はこれからも来る。……堂々としていればいいの」
その横顔は、さっきまでの不安はどこへやら。アウェーの空気を完全に自分のものにしていた。
「さ、ここだよ」
美月が立ち止まったのは、校舎の一階にある、ペンキで汚れた両開きの扉の前だった。中からは、油絵具の特有の匂いと、活気あるざわめきが漏れ出している。
「ここが、今日から三日間、ふたりが過ごすクラスだよ」
美月が勢いよく扉を開け放つ。
*
光莉は目を瞬かせた。
白嶺の教室より広い。そして、雑然としている。壁一面に立てかけられた無数のキャンバス。床に散乱する画材。石膏像の山。制服、ツナギ、ジャージと服装もばらばらな生徒たちが、思い思いの場所に陣取って何かを作っている。
「ここは美術課程のクラス。……アトリエだね」
美月が胸を張る。
「クラスメイトは、アタシと恵夢、それから霧子。……あと、そこの変な人たち」
「変な人たちってひどくない?」
「委員長、その人達が例の白嶺からのお客さん?」
作業の手を止めた生徒たちが、興味深そうにこちらを見る。一見して、年齢層がばらばらのように見受けられた。
「……美月さん」
瑠璃が、興味深そうに教室内を見渡した。
「失礼だけれど……ここにいる生徒さんたち、学年は?」
「ああ、そうそう。言い忘れてた」
美月は歯を見せて笑った。
「彩苑のクラスの中にはね、学年での区別がないんだよ」
「……え?」
「便宜上何年生ってのはあるけれど、実力と専攻でクラスが分かれてるだけ。……だから、一年生も三年生も、天才も凡人も、同じ教室で学ぶの」
美月は、奥にある描きかけの巨大なキャンバス――おそらく霧子のものだろう――を指差した。
「年齢なんて関係ない。……いいモノを作れるヤツが、ここでは『先輩』なんだよ」
徹底した実力主義。白嶺とは、根底からシステムが違う。
「だから、瑠璃ちゃんも光莉ちゃんも、ここではただのクラスメイトってこと。敬語とかナシでいいからね」
それを聞いた瑠璃は、目を細めた。
「……なるほど。徹底した実力主義、ってことね。学校ごとにこういった特色が見られるのはおもしろいわ」
瑠璃は興味深そうにクラスを見渡す。
戸惑うどころか、そのシステムが気に入ったらしい。
「……すごい」
光莉は、部屋の熱気に圧倒されていた。キャンバスに描かれた絵は、どれも個性的で、エネルギーに満ちている。
(……私、ここで三日間過ごすんだ)
不安はある。でも、隣を見れば、瑠璃が楽しそうに笑っている。
その横顔を見ていると、なんだか自分まで高揚してくるのを感じた。
(……どんな新しい景色が、見えるんだろう)
光莉の胸の奥に、小さな期待の灯りがともる。
「よろしく頼むわね、美月さん。……それに、皆さん」
瑠璃が一礼すると、教室中から歓迎の声が上がった。
波乱含みの体験入学が、今、賑やかに幕を開けた。




