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先輩、私にだけ心の音がダダ漏れです。  作者: 如月白華


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境界を越えて

 土曜日の朝。


 白嶺の寮の玄関に集まった五人は、スマホに表示された地図を片手に歩き出した。


 今日の空は高く澄んでいて、絶好の散歩日和だ。しかし、目的地へ近づくにつれ、そののどかな空気は徐々に異質なものへと変貌していった。


 白嶺と彩苑を結ぶ一本道。


 視線の先。彩苑側のそのアスファルトには、ペンキで描かれた極彩色の幾何学模様が延々と続き、ガードレールにはニットで編まれた奇妙なカバーが被せられている。


 道端には、錆びた鉄パイプを溶接して作った巨大な恐竜のようなオブジェや、鏡の破片を張り合わせた不気味なトーテムポールが、何の説明もなく並んでいた。


「……信じられん」


 先頭を歩いていた御鏡聖良が、足を止めて呻いた。


 彼女は、電柱に巻き付けられた毒々しい色のリボンを指差し、心底軽蔑したように吐き捨てる。


「ここは公道だぞ。私有地ではない。……あのようなゴミを撒き散らして、恥ずかしいとは思わんのか」


「まあまあ。あれも彼らにとっては『表現』の一つらしいわよ」


 和泉純が苦笑しながらなだめるが、聖良の表情は険しいままだ。


「表現なら何をしても許されると思ったら大間違いだ。美観を損ね、通行の妨げになりかねない。……これは自由ではない。ただの『無秩序』だ」


「厳しいわね。でも、一理あるわ」


 西園寺瑠璃もまた、複雑そうな顔でオブジェを見上げた。


「わたくしも、この美的感覚には共感できないわ。……美しさとは、整えられた調和の中にこそ宿ると思うわ」


「あら。私は嫌いじゃないわよ、こういう乱暴なのも」


 純は、道端の落書き――誰かが描いたであろう、笑った猫の絵――を見て、ふふっと笑った。


「白嶺にはないエネルギーだわ。私たちは常に最適を目指しているけれど、ここでは『衝動』が優先される。……整えられた庭園も美しいけれど、原生林には原生林の生命力があるものよ」


「……原生林なら、人が住む場所と隔離すべきだ」


 聖良は一歩も引かない。


「……環境は人を作る。こんな景色を見て育った人間が、まともな規律を持てるとは思えん」


 聖良の言葉は辛辣だったが、光莉はその横顔を見ながら、不思議と嫌な感じはしなかった。


 彼女は単に意地悪で言っているわけではない。この島の品位、そしてそこに通う生徒たちが守られるべき環境について、誰よりも真剣に考えているのだ。


(……聖良先輩は、やっぱり『守る人』なんだな)


 光莉は、聖良の背中に少しだけ親近感を覚えながら、その後に続いた。



 やがて、一行は彩苑藝術学院の正門をくぐり抜けた。


 その瞬間、光莉たちは音と色の洪水に飲み込まれた。


「……、すごいです」


 すずが、眼鏡をずり上げながら小さく悲鳴を上げる。


 広大なキャンパスは、まさにカオスだった。


 芝生の上では、巨大な布に向かってバケツでペンキをぶちまけている集団がいる。中庭の噴水では、水着姿の生徒たちがびしょ濡れになりながらダンスを踊っている。


 あちこちから、ロック、ジャズ、電子音が入り混じって聞こえてくる。


「動物園か?」


 聖良が呆然と立ち尽くす。


 五人がキョロキョロと視線を泳がせながら、メインの校舎へと続く並木道を歩いていると。


「――じゅーんちゃーん!!」


 頭上から、弾むような声が降ってきた。


 光莉たちが見上げると、校舎の二階テラスの手すりに、一人の少女が立っていた。


 彼女は満面の笑みで手を振ると、なんとそのまま手すりを蹴った。


「……っ!?」


 聖良が息を呑むより早く、少女は軽やかに宙を舞い、猫のように音もなく五人の目の前に着地した。


 ふわり、とパーカーの裾が舞う。


「えへへ、着地成功!」


 少女は顔を上げると、そのままバネのように跳ねて純に飛びついた。


「わぁっ! 会いたかったよぉ、純ちゃーん!」


「……美月。危ないわよ」


 純が苦笑しながら、子犬のようにじゃれついてくる少女を受け止める。そこにいたのは、愛くるしいマスコットのような少女だった。


 ショートカットの髪は、鮮やかなピンクに染められている。瞳も髪と同じ。コンタクトを入れているのだろう。大きな桃色をしている。


 そして服装は――制服の原型を留めていなかった。


 袖がだぼだぼのパーカーは、指先まですっぽりと覆い隠す。胸元にはクマや星の可愛いワッペンが大量についていて、歩くたびに鈴のような音がどこかから鳴る。


「待ちきれなかったんだもん! 純ちゃん、また痩せたんじゃない? ちゃんとご飯食べてる? 心配だからアタシのおやつ分けてあげる!」


 少女は、パーカーのポケットからキャンディを取り出し、純の口元に突き出した。


「ほら、あーん!」


「……お気持ちだけ頂くわ。紹介するわね、みんな」


 純はやれやれと首を振り、みんなに向き直った。


「彩苑芸術学院・執行委員長の赤木美月あかぎみつきよ。……見ての通り、少々子供っぽいけれど」


「純ちゃんとは同じ歳でしょ!」


 美月は頬をぷくっと膨らませて抗議した。その仕草があまりにも可愛らしく、光莉は思わず「かわいい……」と呟いてしまった。


「ん? キミ、今かわいいって言った?」


 美月の耳がピクリと反応し、パッと光莉の方を向いた。


「えへへ、ありがとー! キミも可愛いね! ……あ、そのイヤリング、星? きらきらしてて素敵!」


「あ、ありがとうございます……」


 隠していたつもりのイヤリングを抑えながら、相槌を打つ。

 美月は無邪気に笑い、次に瑠璃を見た。


「あなたは西園寺瑠璃でしょ。聞いてた通り、ピカピカの宝石みたい!」


「……ええと、ありがとう」


 瑠璃がたじろぎながら笑う。


 そして最後に、美月の視線は聖良へと向けられた。


 彼女はピタリと動きを止め、聖良の前に立つと、首をコテンと傾げた。


「……ねえねえ」


 美月は、聖良を見上げて不思議そうに瞬きをした。


「あと純ちゃんから聞いていたメンバーで言うと、キミは御鏡聖良ちゃん?」


「……ちゃん付けはよせ」


 聖良は冷ややかに見下ろした。


「赤木美月。……貴様、委員長の立場にありながら、その服装は何だ。嘆かわしい」


 聖良の言葉は鋭利な刃物のようだった。


 しかし、美月はキョトンとして、自分のパーカーの袖をパタパタさせた。


「えー? これ、可愛いでしょ? アタシが自分でデコったんだよ!」


「そういう問題ではない。……TPOというものを知らんのか。トップに立つ者がそのようなだらしない格好で、示しがつくと思っているのか」


 聖良の説教に対し、美月は困ったような顔をした。


 そして、聖良の制服のリボンに、袖に隠れた手を伸ばした。


「……触るな」


 聖良が払いのけようとするより早く、美月はそのリボンをちょんちょんと突いた。


「……だってさぁ」


 美月は、無垢な瞳で聖良を見上げた。


「聖良ちゃん、なんか苦しそうだよ? そんなにギュッて縛ってたら、中身が潰れちゃうよ?」


「……なんだと?」


「もっと緩めればいいのにー。……ほら、アタシみたいにダボッとしたほうが、心がフワフワして気持ちいいよ?」


 美月はクルクルと回ってみせた。


「着たいものを着て、笑いたい時に笑う! ……それが一番ハッピーじゃん?」


 悪気など微塵もない。ただ、聖良に教えてあげているだけといった声色。

 それが聖良にとっては、どんな悪口よりも理解不能で、苛立ちを募らせるものだった。


「……貴様、私を愚弄しているのか」


「してないよ? 仲良くしたいだけだもん!」


 美月は笑い、ポケットから別のキャンディを取り出した。


「ほら、聖良ちゃんにもあげる! 糖分摂ってリラックスしなよ!」


「……いらん!!」


 聖良の怒鳴り声が響き渡る。


 しかし、美月は「えー、美味しいのにぃ」と不思議そうに首をかしげるだけだった。

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