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先輩、私にだけ心の声がダダ漏れです。  作者: 如月白華


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8/10

知りたいこと

 日曜日の一件以来、光莉のまとう空気は鉛のように重くなっていた。


 瑠璃からの接触は、ぱったりと途絶えた。廊下ですれ違っても、彼女は完璧な「宝石」の顔をして、光莉に目もくれず通り過ぎていく。そこには、以前のような「張り詰めた音」もない。

 ただ、完全に遮断された壁があるだけ。


(……これで、よかったんだ)


(私が「邪魔」をしなくなったから、あの人は完璧な世界に戻れた)

(私の日常にも、静けさが戻ってきた)


 なのに。


 光莉の耳は、その静けさを「空虚」だと感じていた。あの痛々しいほどの高周波が聞こえないことが、こんなにも不安だなんて。


 ある日の午後。授業でグループ作業が課された。


「席が近い人同士でペアを組んで」


 教師の指示に、光莉は顔を上げた。隣の席には、長く重い黒髪の少女が静かに座っている。

 初日に会釈を交わして以来、会話らしい会話をしたことのない相手。


(……どうしよう)


 光莉が迷っていると、向こうから口を開いた。


「よろしく」


 短く、簡潔な言葉。けれど、その声色は驚くほど澄んでいた。智香の明るさとは違う。深い森の奥にある湖のような、静かな音。そこには、周囲の生徒たちが放つ「好奇心」や「嫉妬」といったノイズが一切混じっていない。


「私は、常盤奏ときわ かなで


「あ……よろしく、お願いします。私、小林光莉、です」


 光莉が返すと、奏は切れ長の瞳をわずかに細めた。


「知ってる。あなたは、有名だもの」


 光莉は身構えた。また、詮索が始まるのかと。

 だが、奏は淡々と手元の資料を整理しながら続けた。


「いろいろ、あったみたいだけど」


 その言葉は、単なる事実の確認であり、余計な色はなかった。

 光莉は、ふっと肩の力を抜いた。この人の音は澄んでいる。


 二人は淡々と作業を進めた。

 奏は無駄口を叩かない。だが、光莉が言葉に詰まった時、絶妙なタイミングで助け舟を出してくれる。


(……やりやすい)


 波長が合う、というやつだろうか。心地よい静寂を共有できる相手。


 作業が一段落した時、奏がふと、その静寂を破った。


「……小林さんは、ペアのこと、どう考えているの」


 これまで散々投げられてきた単純な疑問。シンプルな問い。

 だが、そこにはこれまでにあった荒々しさはない。

 光莉が答えあぐねていると、奏は自分の手元を見つめたまま言った。


「……私、三年生の先輩から、ペアの打診を受けているの」


「え……?」


「その先輩は、今年の選挙に『すべてをかける』と言っている」


 奏は顔を上げ、光莉の目を静かに見つめた。


「……あの人、西園寺瑠璃も、あなたも、そうなのでしょう?」


 シン、と二人の間に音が落ちた。

 あなたも、相手の「本気」と向き合っているのでしょう、と。


 光莉は、思わず視線を逸らした。


「わ、私は……」


 違う。私は、向き合っていない。逃げたんだ。

 あの人の悲鳴のような音を聞いておきながら、それが重すぎて、耳を塞いだ。


「……私なんかじゃ、先輩の……邪魔に、なってしまうと思ってて」


 光莉は、日曜日の拒絶を思い出しながら、消え入りそうな声で答えた。

 私の存在はノイズだ。完璧な旋律を乱す、異物だ。


 それを聞いた奏は、初めて少しだけ意外そうに目を瞬かせた。


「……そう」


 彼女は何かを納得したように頷く。


「……邪魔に、ね」


 奏は、その言葉をゆっくりと反芻してから、不思議そうに首を傾げた。


「……でも、西園寺先輩は、どうして、あなたを選んだのかしらね」


 光莉は、その純粋な問いを聞いてハッとした。

 なぜ「邪魔になる」と恐れるような自分を、あの完璧な先輩が必要としたのか。

 光莉は、何も答えられなかった。それが、光莉自身が一番知りたいことだったからだ。


「――はい、そこまで」


 教師の声で、会話は途切れた。


「……ありがとう。有意義だったわ」


 奏は静かに席を立ち、去っていった。


 その背中を見送りながら、光莉の胸には、奏が残した問いかけが、波紋のように広がり続けていた。



 放課後。寮に戻る道すがら、光莉の頭の中では、奏の言葉と、日曜日の瑠璃の拒絶がリフレインしていた。


 ――『どうして、あなたを選んだのかしらね』


 ――『完璧でなければ、誰もついてこないでしょう?』


(……聞いても、答えてくれなかった)


 光莉は立ち止まる。  瑠璃に直接聞いても、彼女は「完璧」という鎧で防御してしまう。

 私が近づけば近づくほど、彼女は頑なになり、本当の音を隠してしまう。これでは、永遠に平行線だ。


(でも、わからないまま終わるのは、嫌だ)


 一度聞き取ってしまった「悲鳴」のような感情。

 それに触れた今、「何も聞こえないふり」をして安寧に逃げ込むことは、ひどく不誠実なことに思えた。


(知りたい。あの人の、ノイズの原因を。なぜ、あんなに苦しそうに完璧を演じているのか。そして、なぜ私なのか)


 本人に聞けないなら、どうすればいい?

 光莉の脳裏に、一人の人物が浮かんだ。


 執行委員会室にいる。

 瑠璃の「元ライバル」であり、彼女の弱さを誰よりも知っている人。あの、氷のような瞳。


(……和泉、委員長)


 あの人なら。瑠璃を読み解く鍵を持っているかもしれない。


 光莉は、寮への道を外れ、くるりと踵を返した。

 向かう先は、別棟。あの「執行委員会室」。


(……怖いけど)


 心臓がうるさく鳴っている。

 面倒事に自ら首を突っ込むなんてらしくない。でも、このまま「ノイズの正体」を知らないまま、後悔するよりはマシだ。


 光莉は、夕暮れの廊下を早足で歩き出した。

 今度は、誰に強制されたわけでもない。自分自身の「知りたい」という感情の音が頭の中で鳴りやまなかったのだった。

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