強欲な女王
視界が塞がれた。
奏の顔は、ねねの胸に押し付けられていた。
柔らかい。そして、温かい。甘い香りが鼻腔を満たし、トクトクと速いリズムを刻むねねの心音が、直接鼓膜に響いてくる。それはまるで、赤子が母に抱かれるような、絶対的な包容力だった。
「……九条先輩、あの」
奏は動揺を隠せず、声を上ずらせた。
「私は大丈夫です。同じようにしていただかなくても、その、私は怯えていませんし、それに……」
奏は、自分に密着するねねの身体を、やんわりと引き剥がそうとした。
「風邪がうつりますから」
論理的に正しい反論。
けれど、ねねの腕は緩むどころか、さらに強く奏を締め上げた。
「……うるさい」
「先輩、聞いてください」
「聞かない!」
ねねが叫んだ。
奏は驚いて動きを止めた。思わず見上げると、ねねと視線が交わる。その瞳は、涙で濡れていた。
「……っ」
昨夜とは違う、恐怖からではない、ねねの涙。
「……どうしてよ」
ねねの瞳から、ポロポロと雫がこぼれ落ちる。
「どうして奏ちゃんは、こんな時まで私の心配ばかりするのよ! 風邪がうつるとか、そんなのどうだっていいじゃない!」
「ですが、先輩が倒れたら選挙に差し障ります……」
「選挙なんて……」
ねねは唇をかむ。
「いえ、私は選挙に勝ちたい。それはいつだって変わらない。……でもね」
ねねの手が、奏の髪をくしゃりと撫でる。
「奏ちゃんがいなくなったら、勝ったって意味がないのよ」
「……え」
「私のことだけ考えないで。……辛い時は辛いって言いなさい。嫌なことは嫌だって言いなさいよ」
ねねの声が、また微かに震え始めた。
「私のせいで……奏ちゃんが壊れるなんて、耐えられないの」
ポツリ、と。
奏の頬に、温かい雫が落ちてきた。
「私は強欲で……、傲慢なのよ。奏ちゃん」
ねねは泣きながら、けれど毅然と宣言した。
「選挙にも勝ちたい。奏ちゃんのことも守りたい。どっちか一つなんて選べない。……両方手に入れなきゃ気が済まないの」
それは、わがままで、理不尽で……。
そして何よりも「九条ねね」らしい言葉だった。
奏は、ねねの胸に顔を埋めたまま、瞬きをした。
ああ、この人は。
なんて面倒なひとなのだろう。
全身でねねの温もりと、降り注ぐ言葉を受け止める。その重みが、今の奏には何よりも心地よかった。
「……九条先輩」
奏の声が、シャツ越しにねねの胸に響く。
「私は、無理なんてしていません。嫌なことを我慢しているわけでもありません」
「……うそつき」
「今は、本当です。……確かに最初は、強引な人だと思いました。論理も飛躍するし、ワガママだし、振り回されてばかりで」
「……悪かったわね」
「でも」
奏は、ねねのぬくもりを感じながら言葉を紡ぐ。
「先輩は私にないものを持っている。そこに惹かれて、私は隣にいると決めたんです。今は、自分の意思で先輩、あなたの隣にいます。……あなたに、寄り添いたいと思っているんです」
奏は目を閉じた。
真っ暗な世界。でも、今はそこにぬくもりと揺らぎがあった。
「先輩は、私の世界を変えてくれました。……友達との出会い、選挙の戦い、夏の旅行。昨日のことも。あなたといると、私の計算はいつも狂わされる」
奏は、見上げるとねねと視線を合わせ微笑んだ。
「でも、それが心地いいんです。……九条先輩が、私の世界を鮮やかで賑やかな物にしてくれるから」
「……かな、でちゃん……」
「だから、私は先輩に感謝しているんです。……命令されたからじゃなく、私がそうしたいから、あなたの『強欲』に付き合いたいんです」
奏の言葉に、ねねが大きく息を呑む音が聞こえた。
次の瞬間、さらに強く、押し潰されそうなほど強く抱きしめられた。




