電子の迷宮
日差しにまだ厳しさが残る八月の後半。
試験の会場となる「天穹理数化学研究学院」の敷地に、各校の代表ペアが集結していた。
「……うわぁ。全然雰囲気が違う」
光莉は、初めて足を踏み入れる他校の様子に、キョロキョロと視線を巡らせた。
優雅な校舎が並ぶ白嶺とは違い、ここは無機質なガラスとコンクリートの建物が整然と並んでいる。行き交う生徒たちは皆、白衣を羽織り、タブレット端末を片手に早口で議論していたり、分厚い専門書を読みながらブツブツと数式を呟いていたりする。漂う空気までもが、どこか薬品と金属の匂いがするようだった。
「……よそ見をしている場合じゃないわよ、光莉」
隣を歩く瑠璃が、凛とした声で注意を促す。二人が案内されたのは、普段は体育施設として使われている巨大なアリーナだった。
しかし、今の光景はスポーツとは無縁だ。薄暗い空間には、鈍く光る銀色のカプセル――「コクーン」と呼ばれるシミュレーター装置が、墓標のように静かに並んでいた。
「――注目」
アリーナの前方にあるステージに、一人の生徒が登壇した。
白衣の襟を正し、黒縁メガネの奥から冷ややかな視線を向ける彼女は、手元のマイクを調整した。
「合同生徒会・書記、天穹学院二年の山城だ。今回の試験の立会人を務める」
山城の声は、機械音声のように抑揚が少なく、アリーナによく響いた。
「ルールは事前に通達した通りだが、改めて確認する。……今回の試験『双星の演算』は、情報の非対称性を克服するミッションだ」
彼女は背後の巨大スクリーンに図解を映し出した。
「ペアのうち一名はコクーンに搭乗し、仮想空間内の迷宮を探索する。そこには各種パズルや障害が待ち受けている」
画面が切り替わる。
「もう一名はオペレーターとして、外部の端末からその迷宮の構造、ギミックの解除方法、法則性を参照する。……ただし、互いの視覚情報は共有されない」
つまり、中にいる人間は何をすればいいか分からず、外にいる人間は中の状況が見えない。
頼りになるのは、音声通信のみ。
「制限時間内に、パートナーを最深部のゴールへ導け。……なお、今回の試験結果に基づき、下位二組のペアはその時点で脱落とする」
会場にざわめきが起こる。ここからが本当のサバイバルだ。
「それでは、各ペア、役割を決定し、コクーンへ向かえ」
*
白嶺のペアである光莉と瑠璃は、指定されたコクーンの前で向き合った。
「……予定通りでいいわね、光莉」
「はい。私が中に入ります」
事前の作戦会議で決めていた。
膨大なデータを瞬時に処理し、論理的な指示を出すのは瑠璃が得意だ。
そして、予期せぬ事態に直感で対応し、指示を実行するのは光莉が適任だろうと。
光莉はコクーンのハッチに手をかけ、緊張で生唾を飲み込んだ。
中に入れば、外の世界とは遮断される。頼れるのは耳元のインカムだけ。
「……大丈夫よ」
震える光莉の手を、瑠璃がそっと握った。そして、誰にも見えない角度で、光莉の右耳の髪を払い――あの星のイヤリングを、親指で優しく撫でた。
「っ……」
冷たい金属の感触。そして瑠璃の指の熱がそのまま伝わるかのように光莉の心に灯る。
「必ず、わたくしが正解を届けるわ。……あなたは、わたくしの声だけを信じて進めばいい」
瑠璃は光莉の耳元に顔を寄せ、祈るように囁いた。
「……頑張って、光莉」
「……はい!」
光莉は力強く頷き、コクーンの中へと身体を滑り込ませた。
排気音とともにハッチが閉じられる。完全な暗闇。そして静寂。
『システム、起動』
電子音が響き、光莉の視界が仮想世界を映していく。
青白いモニターの光が、瑠璃たちオペレーターの顔を照らし出す。
「試験、開始!」
山城の号令とともに、知性と絆を試す試練が始まった。




