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先輩、私にだけ心の音がダダ漏れです。  作者: 如月白華


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たいせつなもの

 船は神輝島の港に到着し、すっかり日が落ちた島内を、五人は寮に向かって歩いていた。

 ねねや智香はまだ旅の余韻に浸り、楽しそうに話している。けれど、光莉の足取りは重かった。

 耳元には瑠璃とお揃いのイヤリングがあるはずなのに、父からのメッセージという鎖が、光莉の意識を現実へと引きずり戻していく。


(……連絡、しなきゃ。でも、なんて言われるんだろう)


 成績のことか、生徒会選挙のことか。どこまで両親には話がいっているのだろうか。

 父はいつだって、私のために「最良の選択」を用意している。

 それが正しいと分かっているからこそ、光莉は逃げ場を失うのだ。


「……光莉」


 不意に、横から声をかけられた。

 瑠璃だ。彼女は心配そうに眉を寄せ、光莉の顔を覗き込んでいる。


「顔色が悪いわよ。……船酔い?」


「あ、いえ……大丈夫です。ちょっと疲れちゃっただけで」


 光莉は精一杯の笑顔を作って誤魔化した。

 せっかくの楽しい旅行の終わりを、私の個人的な事情で台無しにしたくない。


「……そう」


 瑠璃は短く答えたが、その瞳は納得していないようだった。

 瑠璃は見透かしていた。光莉が無理をして笑っていることを。


 やがて、一行は寮の玄関に到着した。


「じゃあみんな、お疲れ様!」


「おやすみなさーい! 写真あとで送りますね!」


「……おやすみなさい」


 ねね、智香、奏がそれぞれの部屋へと散っていく。

 光莉も自分の部屋へ戻ろうと足を向けた時、瑠璃がその袖を引いた。


「……光莉。ちょっといいかしら」


「え?」


「わたくしの部屋にいらっしゃい。……話があるわ」


 それは誘いというより、決定事項のような響きだった。

 拒否権はない。光莉は、瑠璃の真剣な瞳を見て、観念したように頷いた。


(……やっぱり、バレてるか)



 西園寺瑠璃の部屋は、相変わらず整然としていた。

 けれど、以前訪れた時よりも少しだけ、温かみを感じる気がするのは光莉がこの部屋になれたせいだろうか。


「……どうぞ。カフェインレスのハーブティーよ。落ち着くわ」


 瑠璃は、湯気の立つティーカップをローテーブルに置いた。

 二人は並んでソファに腰を下ろす。透き通るような香りが、張り詰めていた光莉の神経を少しずつ解いていく。


「……ありがとう、ございます」


 一口飲むと、温かい液体が身体に染み渡った。瑠璃は自分のカップを手に持ち、静かに切り出した。


「……それで? 何があったの」


 単刀直入な問いかけ。瑠璃は、光莉の目を真っ直ぐに見据えた。


「船の中で、スマホを見てから様子がおかしかったわ。……何を見たの?」


「……」


 光莉はカップを強く握りしめた。

 言いたくない。でも、この人には嘘をつきたくない。

 隠していた右耳の髪を払い、あの星のイヤリングに触れる。

 この秘密の絆が、光莉に勇気をくれた。


「……父から、連絡があったんです」


「お父様から?」


「はい。『連絡を寄越しなさい』って。……ただそれだけのメッセージですけど」


 光莉は困ったように眉を下げた。


「私、それが憂鬱で……。父からの連絡を見ると、息苦しくなってしまうんです」


 瑠璃はカップを置き、光莉の方へ身体を向けた。


「……光莉。あなた、ご両親とは……仲が悪いわけではないのでしょう?」


 瑠璃の洞察力は鋭い。ただの不仲なら、もっと違う反応をするはずだ。

 光莉の表情にあるのは、嫌悪ではなく、諦めにも似た疲労感だから。


「……はい。仲が悪いわけじゃ、ありません。むしろ、愛されているんだと思います」


 光莉は、窓の外の暗闇を見つめた。


「私の父は優秀な経営者だと聞いています。一代で苦労して会社を成長させて。あまり家で顔を合わせることもなかったけれど……」


 ぽつりぽつりと言葉を落とす光莉を瑠璃は黙って見つめていた。


「でも顔を合わせない分、いつも私を気にかけてくれているのは知っています」


それは、間違いなく親の愛だった。けれど、その愛はあまりに重く、密度が高すぎた。


「食べるもの、着るもの、付き合う友達、そして進学先。……全部、父が『最良』と判断したものをお膳立てしてくれました。私はそれに乗っかるだけでよかった。反抗する必要もなかったんです。だって、父の言うことはいつだって論理的で、私の幸せを考えてくれているから」


 光莉は自嘲気味に笑った。


「でも、気づいたんです。……私の人生に、『私』がいないなって」


 自分で選んだことがない。自分で失敗したことがない。

 ただ、黄金で作られたレールの上を、壊れ物を運ぶように大切に運ばれているだけ。


「たまに……私は自分が何者なのか分からなくなるんです。瑠璃先輩みたいに誇りがあるわけでも、九条先輩みたいに野心があるわけでも、奏さんみたいに才能があるわけでもない。……ただの、空っぽな人形で」


 言葉にするほど、胸の奥が冷えていく気がした。

 こんな悩み、贅沢だと言われるかもしれない。

 けれど、この閉塞感は、綿で首を絞められるように、確実に光莉の心を蝕んでいたのだ。


「……皮肉なものね」


 しばらくの沈黙の後、瑠璃がふっと息を漏らした。


「……先輩?」


「あなたは愛されすぎて、窒息しそうになっている。……対して、わたしは」


 瑠璃は、美しい指先でティーカップの縁をなぞった。


「西園寺家において、個人的な幸福なんて二の次よ。求められるのは『成果』と『義務』だけ。……父は、わたくしの好物が何かなんて知らないし、興味もないわ。ただ、西園寺の娘として完璧であればそれでいい」


 瑠璃の瞳に、寂しさと、それをねじ伏せる強さが宿る。


「過干渉な父と、無関心な父。……どちらが幸せなのかしらね」


「……先輩」


「でも、一つだけ言えるわ」


 瑠璃はカップを置き、光莉の手を両手で包み込んだ。

 その手は温かく、力強かった。


「あなたはもう、空っぽの人形なんかじゃないわ」


「え……?」


「だって、選んだでしょう」


 瑠璃は、光莉の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「あなたは初めて自分の意思で、この『選挙』に、……そして、わたしの隣に立つことを選んでくれた」


 瑠璃の顔が少し近づく。


「それは、誰に言われたことでもない。小林光莉、あなた自身の選択よ」


「……っ」


 光莉の胸が詰まった。

 そうだ。あの時、あの日。私は初めて、「助けたい」と思って手を伸ばしたのだ。親の顔色も、将来のことも関係なく。


「だから、自信を持ちなさい。……あなたは今、自分の足で歩いているわ」


 瑠璃は優しく微笑み、そっと光莉の頭を撫でた。


「それに……お父様がどう言おうと、今のあなたは『わたしのもの』よ。……誰にも、指図はさせないわ」


 その言葉には、少しの独占欲と、絶対的な肯定が含まれていた。

 光莉の目から、ほろりと涙がこぼれた。重苦しかった心が、瑠璃の言葉で解き放たれていく。


「……はい。……ありがとうございます、瑠璃先輩」


 光莉は涙を拭い、笑顔を見せた。まだ、父への連絡は怖い。重荷が消えたわけではない。

 けれど、隣にはこの人がいる。それだけで、息ができる気がした。


「さあ、お茶が冷めてしまったわね。……入れ直すから、お父様への返信を済ませてしまいなさい。『夏休みは、大切な人と過ごしています』とでも、送っておけばいいわ」


「ふふ、そんなこと送ったら、父が飛んできちゃいますよ」


 二人の間に、柔らかな笑い声が戻る。

 部屋の灯りは、不安な夜を優しく照らしていた。こうして、光莉たちの夏休みは、新たな絆と共に幕を開けたのだった。

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