湯煙の向こう
夕食を終えた一行は、ねねの案内で大浴場へと足を運んだ。
浴室の扉を開けると、そこには檜の香りが充満していた。
「うわぁ……! これまた広い!」
湯気が立ち込める先には、十人は余裕で入れるであろう大きな浴槽。窓の外にはライトアップされた庭園の竹林が見える。
「極楽、極楽ぅ〜」
一番乗りで湯船に浸かった智香が、おじさんのような声を漏らして手足を伸ばした。続いて光莉と奏も、掛け湯をしてからお湯に身を沈める。
「ふぅ……。いいお湯ですね」
「……ええ。温度もちょうどいいです」
三人は肩まで浸かり、ほっと息をついた。話題は自然と、今日のハイライトへと移っていく。
「ねえねえ、光莉ちゃんたちは観覧車どうだった? 私と西園寺先輩の方は、光莉ちゃんの話で盛り上がったんだけど」
「えっ、私の!? ……うーん、こっちは」
光莉は苦笑しながら、隣の奏を見た。
「景色を見るどころじゃなかったというか……。九条先輩がずっと、奏さんにくっついてて」
「……思い出したくもありません」
奏が濡れた前髪をかき上げ、深々とため息をついた。
「あの狭いゴンドラ内で、密着率百パーセントでした。気温も湿度も上昇して、心なしか酸素が薄かったです」
「あはは! さすが九条先輩、ブレないなぁ」
智香がケラケラと笑っていると、浴室の扉がガラリと開いた。
「あらぁ、私の噂話かしら?」
九条ねねが、タオルを頭に巻いた姿で入ってきた。湯気の中、現れたその姿に、光莉は思わず息を飲んだ。
(……すごい)
制服姿でも分かってはいたけれど、こうして露わになると圧倒的だ。細いウエストから、女性らしい丸みを帯びた腰へのライン。そして何より、豊かな胸元。 同性でも見惚れてしまうほどの、完成されたプロポーション。
「うわっ! 九条先輩、スタイル良すぎじゃないですか!?」
光莉が心の中で思っていたことを、智香がそのまま大声で叫んだ。
「モデルさんみたい! くびれヤバっ! お肉どこ行ったんですか!?」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
ねねは満更でもなさそうに微笑み、チャプンと湯船に入ってきた。
「でもねぇ、肝心のこの子は全然褒めてくれないのよ」
ねねは、湯船の中でジリジリと距離を詰め、逃げようとする奏を背後から捕獲した。
「ほら奏ちゃん、智香ちゃんを見習って『綺麗ですね』くらい言えないの?」
ねねの豊かな胸が、奏の華奢な背中にむにゅりと押し付けられる。
「……暑苦しいだけです、離れてください」
「んもう、照れ屋さんなんだからぁ」
じゃれ合う二人を見て、光莉と智香は顔を見合わせて笑った。
(……ちょっとだけうらやましいかも)
光莉は、無意識のうちに視線をねねに向けていた。それは変な意味ではなく、純粋な憧れと感嘆。大人の女性としての魅力に、つい目が奪われてしまっていたのだ。
チャプ……。
いつの間にか、すぐ隣にお湯が揺れた。気配を感じて振り向くと、瑠璃が当然のように光莉の真横に座っていた。
「あ、先輩」
「……いいお湯だわ」
その距離は近い。肩と肩が触れ合うかどうかの距離感。
けれど、瑠璃の視線は光莉を見なかった。彼女の目は、光莉の視線の先にいるねねへと向けられ、そしてスッと伏せられた。
白磁のように滑らかな肌。無駄のない華奢な鎖骨のライン。 それは「宝石」と呼ぶに相応しい繊細な美しさを持っていたが、ねねのような暴力的なまでの曲線美とは対極にある。
(……あんなに、見なくてもいいじゃない)
瑠璃は、胸の奥がチクリと痛むのを感じた。光莉が悪気なく見惚れているのが分かるからこそ、余計にたちが悪い。
わたくしだって、悪くはないはずよ。そう自分に言い聞かせても、目の前の「格差」と、光莉の正直な視線が、瑠璃のプライドをささくれ立たせる。
「……」
瑠璃は何も言わなかった。ただ、不満を閉じ込めるように口元を引き結び、口の下まで隠れるくらい深くお湯に沈み込んだ。
光莉は、隣の瑠璃が急に静かになったことに気づき、「のぼせちゃったのかな?」と呑気に思っていた。気づいていない。隣にいる人が、勝手に比べて、勝手に傷つき、静かに嫉妬の炎を燃やしていることに。
湯気の向こう。瑠璃は拗ねたように視線を逸らし、一人、不機嫌に熱いお湯を堪能していた。




