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先輩、私にだけ心の音がダダ漏れです。  作者: 如月白華


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side:恵夢_純白の虚無と極彩色の熱

 私は、器だった。

 それも、とびきり高価で、壊れやすくて、中身のない空っぽの器。


「わぁ、すごい! あれが藍染恵夢?」

「雑誌で見るより顔ちっちゃい!」

「本物の天使みたい……」


 四月。彩苑学園に入学したあの日から、周囲の反応はいつも同じだった。。

 羨望の眼差し。感嘆のため息。芸能枠の推薦入学者。十年に一人の逸材と呼ばれるトップモデル候補。それが、私に貼られたラベルだった。


 でも、私自身には何もない。

 私が褒められる時、それは「私の着ている服」が素晴らしいか、「メイク」が完璧か、「カメラマンの腕」がいいかのどれかだ。

 撮影現場で飛び交う「いいよ、恵夢ちゃん!」という声は、私に向けられたものではない。私というマネキンに着せられた、クライアントの商品に向けられたものだ。


(……私じゃなくても、いいじゃない)


 鏡の中の自分を見るたび、そう思った。  整いすぎた顔も、白すぎる肌も、すべては誰かの理想を投影するためのスクリーン。そこには「藍染恵夢」という人間の意志も、感情も、体温さえも存在しない。


 だから、私はいつも寒かった。

 どんなに高級なブランドのコートを羽織っても、心臓の奥に空いた風穴から、ヒューヒューと冷たい風が吹き抜けていた。


 あの日も、そうだった。4月終わりにしては、少し汗ばむような陽気の日。

 私は教室の喧騒――「ねえ、何のコスメ使ってるの?」「インスタ見てるよ!」という空虚なノイズ――から逃げるように、校舎裏の中庭を歩いていた。


 そこで、彼女に出会った。


「……あ」


 一目で、誰だかわかった。

 彩苑にいて、この人を知らない生徒はいない。三年の真白霧子。数々のコンクールを総舐めにしている「色彩の魔術師」であり、同時に――学園一の「変人」として恐れられている先輩。


 彼女は、噂通りの姿をしていた。

 自分でザクザクと切ったような、不揃いなアッシュグレーのボブヘア。私の身体にフィットした制服とは対照的な、二回りは大きそうなぶかぶかのブレザー。

 その袖も、裾も、指先も、あらゆる色の絵具で汚れている。


「……違う。色が、死んでる」


 彼女は、自分が塗りたくった岩を見て、忌々しそうに舌打ちをした。

 岩には極彩色の絵具が厚塗りされていたが、それはただの汚れにしか見えなかった。

 関わってはいけない。本能がそう告げた。けれど、目が離せなかった。空虚なほど「真っ白」な私と、世界を汚すほど「極彩色」な彼女。

 その対比に、惹かれてしまったのかもしれない。


 ふと、彼女が振り返った。


「……!」


 心臓が跳ねた。右目が鮮烈なマゼンタ、左目が冷徹なシアン。

 カラコンだ。その人工的なオッドアイが、私の全身を――服や髪型ではなく、その内側にある「空洞」までを見透かすように射抜いた。


 彼女は筆を止め、ゆらりと立ち上がった。獲物を見つけた獣のような動きで、私との距離を詰める。


「……君」


 差し出された手は、絵具で汚れていて、ザラザラしていた。

 その手が、私の手首を掴む。火傷しそうなほど、熱い手だった。


「少し、付き合ってくれないか」


 それはお願いではなく、運命の宣告だった。

 私は拒絶することさえ忘れ、ただ頷いていた。


 連れていかれたのは、使われていない離れた美術室だった。埃と、油絵具のツンとする匂い。

 薄暗い部屋の真ん中に、私は立たされた。


「……何をするの?」


 震える声で聞くと、彼女は目を細めて笑った。


「絵を描くんだ」


「……私の、似顔絵?」


「まさか」


 彼女は鼻で笑った。そして、私に近づき、私の制服のボタンに手を掛けた。


「君『を』描くんじゃない。君『に』描きたいんだ」


 ドクン、と。心臓が大きく跳ねた。

 君に描きたい。それは、今まで何万回と言われてきた「可愛いね」や「好きだよ」という言葉よりも、遥かに熱く、暴力的な求愛の言葉として、私の脳髄に響いた。


 気がつけば、私は制服を脱ぎ捨てていた。

 羞恥心はなかった。むしろ、纏わりつく「商品としての価値」を脱ぎ捨てられることに、安堵さえしていた。


 冷たい筆先が、肌に触れる。背筋がゾクリと震える。

 次の瞬間、そこから「熱」が広がった。


「……んっ……!」


 筆が走る。色が乗る。 赤、青、黄色、緑。私の白い肌の上を、冷たい絵具と、彼女の熱い指先が交互に滑っていく。

 くすぐったさと、痛みにも似た快楽。そのオッドアイが、私の鎖骨を、胸元を、お腹を、舐めるように這い回る。

 ただの塗料が、私の体温で温められ、汗と混じり合い、ヌルリと溶けていく。

 今まで「空っぽ」だった私の輪郭が、色によって埋められていく感覚。

 私はマネキンじゃない。私は、今、生きている。

 呼吸が荒くなり、肌が火照り、視界が揺れる。


「……できた」


 どれくらいの時間が経ったのか。彼女の声で、私は現実に戻された。彼女は、部屋の隅にあった姿見を私の前に持ってきた。


「見てごらん。……これが、君だ」


 鏡の中の自分を見て、私は息を飲んだ。

 そこには、いつもの「美しい藍染恵夢」はいなかった。

 全身に混沌とした幾何学模様を刻まれ、髪は乱れ、瞳は潤み、肌は紅潮し、汗と絵具にまみれた……何か。


 人間ですらないように見える。けれど、それは。


(……綺麗)


 初めて、自分をそう思った。誰かのためのものから、世界に一つだけの作品に生まれ変わった瞬間。

 この色は、私にしか出せない。このキャンバスは、私だけのものだ。


 私には、価値がある。中身のない空洞に、彼女が魂を注ぎ込んでくれた。


「……ぁ、う……」


 熱いものが、目から溢れ出した。

 涙が頬を伝い、顔に描かれた青い絵具と混ざり合い、マーブル模様を描いて顎から滴り落ちる。

 せっかくの作品が汚れてしまう。そう思ったけれど、止められなかった。


 その、涙と絵具が混ざってマーブル模様になる様を見て。彼女は、恍惚とした表情で呟いた。


「……君がいい」


 その言葉が、私の全てを縛り付けた。


「あの死んだような岩じゃない。……揺らぎ、熱を持ち、泣き、色を吸い込む。君こそが、僕の探していたキャンバスだ」


 彼女の汚れた指が、私の涙を拭う。


「……君じゃなきゃ、駄目だ」


 その時、胸に去来した確信。

 私は、この人のためなら、何にだってなれる。例えそれが、世間から見れば狂った関係だとしても。

 この極彩色の熱だけが、私の凍えた心を溶かしてくれる唯一の救いなのだから。


 私は、鏡の中の自分――霧子様の作品に向かって、幸せそうに微笑んだ。

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