秘密のお茶会
マカロンの甘い香りが、湿度の高い部屋に漂う。
窓の外は相変わらずの雨模様。和泉純は、あきれ返ったようにティーカップを置いた。
「……それにしても、いいの? 九条さん」
純の視線は、優雅に紅茶を啜るねねに向けられていた。
「試験まであと数日でしょう。あなたもここで油を売っていて。……赤点でも取ったら、それこそ元も子もないわよ」
「あらぁ、手厳しいわねぇ」
九条ねねは、ソファに深々と背を預け、猫のように目を細めた。
「学年一位と二位の天才様たちが、凡人の私の心配をしてくれるなんて。……光栄すぎて涙が出そう」
「……皮肉?」
「まさかぁ。でも、心配ご無用よ」
ねねはひらひらと手を振った。
「やるべきことはやってるわ。……奏ちゃんも言うのよ。『ねね先輩は自分の勉強をしてください』って。……ひどくない?」
「……後輩から言われるのはちょっと悔しいわkね」
純は苦笑した。あの合理主義の塊のような一年生なら、言いそうだ。
「だ・か・ら。ここに来たのよ。あっちがそっけないなら、こっちで癒やされたいじゃない?」
ねねはマカロンを一つ摘むと、視線をくるりと巡らせ、そして瑠璃の横顔で止めた。
その瞳の奥で、観察者の光が鋭く煌めく。
「……で? 西園寺さんはどうなの?」
「……何がかしら」
瑠璃は手元の書類に目を落としたまま、平然と答えた。その姿勢に崩れはない。「宝石モード」の佇まいだ。
「あなたの可愛い光莉ちゃんのことよ。……うちの奏ちゃんみたいに、『先輩は邪魔です』なんて言わないでしょう?」
「当たり前よ。光莉は……」
瑠璃は顔を上げず、ペンを走らせながら答える。
「あの子はわきまえているわ。わたくしに相応しいパートナーになるために、今、必死に勉強しているんだから」
「ふぅーん……」
ねねは、マカロンをかじりながら、さらに踏み込む。
「なんだか余裕そうねぇ。通じ合ってるというか。……そういえば、最近は随分と肌艶がいいじゃない? まるで、極上のエステにでも通ったみたい」
「……」
瑠璃の手が、一瞬だけ止まる。けれど、すぐにまた動き出した。
「選挙戦が一時休戦中だもの。睡眠時間が増えて、生活リズムが整っただけよ」
そつのない返し。だが、ねねはニヤリと口角を上げた。
「そうかしらぁ? 生活リズムが整っただけで……そんなに『甘い』雰囲気になるもの?」
「……甘い?」
「ええ。まとっている空気がよ。……トゲが抜けて、湿度が増してる」
ねねは身を乗り出した。
「ねえ、テストの後、なにか『ご褒美』とか約束してるんじゃないのぉ? 試験が終わったらデートとかぁ。……それとも、もっと進んだ約束?」
「……馬鹿なことを」
瑠璃は冷ややかに一蹴しようとした。
しかし、その視線がふと、机の上のスマホに向いた瞬間。ほんのわずか。コンマ数秒、瑠璃の瞳が緩んだのを、二人は見逃さなかった。
それは、通知ランプが点滅した瞬間だった。
瑠璃は無意識にスマホに手を伸ばし、画面を確認する。
メッセージの内容を見た瞬間、彼女がまとっていた空気が、ふわりと解けた。
口元こそ引き締めているが、その瞳は、まるで雨上がりの陽光のように柔らかい。
愛しいものを見る、無防備な眼差し。
「……」
純とねねは、顔を見合わせた。言葉はいらなかった。
(……本人は隠せているつもりでしょうけど)
純は、胸の奥がチクリと痛むのを感じた。 長年彼女の隣にいたからこそ、わかってしまう。
今のその眼差しは、どれだけ言葉で取り繕っても、理屈で武装しても、隠しようがない。
それは、恋を知った女の顔だ。そしてその感情の矛先は、自分ではない「誰か」に向けられている。
「……ふふっ」
沈黙を破ったのは、ねねの含み笑いだった。
「……何も言わなくても、十分だわ」
「……何のこと?」
瑠璃がスマホを伏せ、怪訝そうに顔を上げる。
本人は気づいていない。自分が今、どれほど無防備な幸福感を撒き散らしていたか。
「いーえ、なんでも? 西園寺さんが幸せそうで何よりって話よぉ」
ねねは満足げに伸びをした。
「マカロンより甘くて、胸焼けしそうだわぁ」
純は何も言わず、冷めた紅茶を口に含んだ。その味はいつもより少し苦かったけれど、瑠璃のあんな穏やかな顔を見られるなら、悪くはない。
雨音だけが響く執行委員会室。瑠璃の秘められた想いは、本人の意図せぬところで、静かに露呈していた。




