雨音とマカロン
執行委員会室には、重く、湿った空気が沈殿していた。
「……はぁ」
何度目かわからない溜息が、カップの水面を揺らす。
西園寺瑠璃は、窓の外の雨空を恨めしげに見つめたまま、まったく仕事に手をつけていなかった。
その向かい側。和泉純は、あきれ返った様子でタブレットを操作しながら口を開いた。
「……いい加減にしなさい、瑠璃。あなたの溜息で、部屋の湿度が上がっている気がするわ」
「失礼ね。……別に、溜息なんてついていないわ」
「ついているわよ。一分間に三回のペースで。……騒音レベルよ」
純が指摘すると、瑠璃はバツが悪そうに口をつぐみ、眉間に皺を寄せた。
その指先は、スマホの画面を何度もタップしては、また閉じるという無意味な動作を繰り返している。
「……連絡がないのね、光莉さんから」
「……!」
図星を突かれ、瑠璃の肩が跳ねる。
「べ、別に待っていないわ。あの子はいま、試験勉強に集中しているんだもの。連絡なんてしてる暇があったら英単語の一つでも覚えるべきよ。……それがパートナーとしての義務だわ」
「口ではそう言いつつ、目はスマホに釘付けじゃない」
純は、やれやれと首を振った。
「自分で『それ相応の結果を出せ』と厳命しておいて、いざ構ってもらえなくなると拗ねる。……相変わらず面倒くさいわね、あなたは」
「純……!」
瑠璃が反論しようと身を乗り出した、その時だった。
コン、コン、コン。
軽やかなノックの音がして、返事も待たずに扉が開かれた。
「失礼しまぁーす。……あら、お取り込み中?」
ふわりと甘い香りが、部屋の沈んだ空気を塗り替える。
現れたのは、九条ねねだった。彼女は手元のバスケットを揺らしながら、悪戯っぽい笑みを浮かべて入室してきた。
「九条さん? ……珍しいわね、あなたがここに来るなんて」
純が眉を上げる。 普段、ねねは必要最低限の用事がなければこの部屋には近づかない。
彼女は「差し入れよぉ」と言って、バスケットから色とりどりのマカロンを取り出し、テーブルに広げた。
「なんかねぇ、ここからどんよりしたオーラが漏れてたからぁ。糖分補給が必要かなって」
ねねは、瑠璃の対面のソファに腰を下ろすと、面白そうに瑠璃の顔を覗き込んだ。
「……ふふ。やっぱり、西園寺さんも『放置』されてるのねぇ?」
「……何のことかしら」
「とぼけなくてもいいわよぉ。……うちの奏ちゃんも、最近つれないの。放課後になると『図書館に行きます』って、私を置いていっちゃうんだもの」
ねねはマカロンを一つ摘むと、唇を尖らせた。
「せっかく私が、あの二人を引き合わせたのにぃ。恩を仇で返された気分だわぁ」
その言葉に、瑠璃が反応した。
「……引き合わせた? どういうこと?」
「あら、聞いてない? 光莉ちゃんたちの勉強会、けしかけたの私よぉ」
「あなたが……?」
瑠璃の目が険しくなる。ライバルである自分のパートナーに、なぜ塩を送るような真似を。
「だってぇ、光莉ちゃん、困ってたみたいだしぃ。それに……」
ねねは、マカロンをかじり、甘美な表情で笑った。
「奏ちゃんにも、刺激が必要だと思ったの。……自分と同じ立場の子と話せば、私のありがたみがわかるかなーって」
それは、どこまでも自己中心的で、計算高い理由だった。
けれど、その底には「奏の成長」を願う、奇妙な信頼が見え隠れしている。
「……あなたらしいわね」
瑠璃は呆れたように息を吐いたが、その表情からは先ほどまでの険しい焦燥感が少し消えていた。
自分だけが置いていかれているわけではない。目の前のねねもまた、パートナーの帰りを待て余して、ここへ来たのだとわかったからだ。
「まあ、いいじゃない。……待ちぼうけ同士、お茶でもしましょうよぉ」
ねねが純に目配せをする。純は苦笑しながら、新しいティーカップを取り出した。
「……仕方ないわね。付き合ってあげるわ」
コポコポと、紅茶が注がれる音が静かに響く。
マカロンの甘い香りと、アールグレイの湯気。窓の外の雨は、まだ降り続いている。
図書館で戦う後輩たちの帰りを待ちながら、行き場のない先輩たちは、甘くて少し苦い時間を共有し始めた。




