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先輩、私にだけ心の音がダダ漏れです。  作者: 如月白華


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side:瑠璃_湯煙の向こう、名前のない熱

 3年生のフロアの大浴場。深夜に近い時刻。広々とした石造りの浴槽には、湯気が白く立ち込め、水音だけが反響していた。


 わたしは浴槽の縁に頭を預け、身体を深くお湯に沈めていた。指先で、そっと右の頬に触れる。

 そこにはまだ、幻のような熱が残っている気がした。


『……これが、私の今の気持ちです』


 脳裏に蘇るのは、光莉の潤んだ瞳と、震える声。

 そして何より――肌に押し当てられた、柔らかく湿った唇の感触。


「……っ」


 思い出しただけで、心臓が跳ねる。お湯の温度が一気に上がったような錯覚に陥り、わたしは思わず顔を半分ほどお湯に沈めた。


 光莉は、わたしを受け止めてくれた。わたしの醜い独占欲も、弱さも、すべてを「いなくならない」という言葉で肯定してくれた。その事実は、冷え切っていたわたしの心を、どんな極上の温泉よりも深く芯から温めてくれた。


 ――けれど。


(……『好き』ということでいいのかしら)


 ふと、冷静な理性が鎌首をもたげる。光莉は言った。「これが今の気持ちです」と。でも、それが何とは明言されなかった。あれは、パートナーとしての深い親愛なのか。傷ついた先輩への同情なのか。  それとも、わたしと同じように、特別な意味を持った……『恋』なのか。


「……言葉にされていない以上、確定ではないわ」


 ぷくり、とお湯の中で泡を吐く。もし、わたし一人が舞い上がって、あの子の優しさを「愛」だと勘違いしているだけだとしたら?  そんなの、あまりにも滑稽だわ。


 不安が、湯気のように心に広がりかけた、その時だった。


 カラン、と高い音が響く。誰かが浴室に入ってきたようだ。


「――あら? 西園寺さんじゃない」


 よく通る、甘い声。顔を上げると、湯煙の向こうから、一人の少女が悠然と歩いてくるところだった。


「……九条さん」


 九条ねね。学内予選一位通過のペア。タオルを手に持ち、隠すことなく堂々と歩いてくるその姿に、わたしは思わず視線を泳がせた。


 豊かな胸元に、くびれたウエスト。柔らかく女性的なライン。肌は上気して桃色に染まり、滴る水滴がその曲線をなぞり落ちていく。 ……同じ女のわたしでも、ふと目のやり場に困ってしまうほどの、圧倒的なスタイル。


「ごきげんよう。……お隣、いいかしら?」


 ねねは許可を待たずに、チャプンと音を立ててわたしの隣に腰を下ろした。


「……奇遇ね。こんな時間に」


 わたしが平静を装って挨拶を返すと、ねねは「んー」と天井を見上げた。


「ちょっと考え事をしてたら遅くなっちゃって。……ねえ、西園寺さん」


 ねねが、不意にこちらを向いた。


「あなたのところの『可愛い子ちゃん』は、元気?」


「……光莉のことかしら」


 さっきまで考えていたことがばれたのか、少し警戒してしまう。


「ええ。予選の結果が出てから、雰囲気が変わったじゃない? 何かあったのかなーって」


 共通の話題として、お互いのパートナーの話を振ってきただけらしい。

 わたしは内心ほっとしながら答える。


「……順調よ。今日は髪形も少し変えて、選挙に向けてモチベーションも高いわ」


「ふうん? まあ、大事に育ててるみたいね」


 ねねはニヤリと笑うと、お湯を手ですくって遊んだ。


「パートナーって不思議よね。最初はただの他人だったのに、気づけば生活の中心になっちゃうんだから」


「……九条さんのところも、そうなのかしら」


「もちろんよ。私なんてね、最近奏ちゃんのことしか考えてないもの」


 ねねは、とろんとした目で口元を綻ばせた。

 そこから始まったのは、一方的な「かわいがり」の報告会だった。


「この前もね、放課後に二人でカフェに行ったの。あの子、普段は無愛想でクールぶってるじゃない?」


「ええ、まあ。常盤さんは感情を表に出さないタイプに見えるわ」


「でもね、イチゴのパフェが出てきた瞬間だけ、目がキラキラするのよ。スプーンを口に運ぶたびに、小さく頬が緩んで……まるで小動物みたい」


 ねねは慈しむように目を細める。


「口の端にクリームがついても気づかないで、私が指で拭ってあげると『子供扱いしないでください』ってムッとするの。……もう、それが可愛くて! いっそ一生、私がご飯を食べさせてあげたいくらいだわ」


「そ、そう……」


「どうしてあんなに可愛いのかなぁ。ずっと撫で回していたいわ」


 ねねは、自分の二の腕を抱きしめ、うっとりと身悶えした。すでにわたしが視界に写っているのかも怪しい。

 でも、その眼差しに見えるのは微塵の迷いもない、直球の感情。


(……ちょっとうらやましいかも)


 わたしは、お湯の中で拳を握った。この人は、もう迷っていない。自分の感情に素直に行動している。言葉の定義に悩み、触れることに躊躇しているわたしとは真逆だ。


 でも。


 わたしは、自分の右頬に――光莉がキスをしてくれた場所に、もう一度触れた。


(……わたしだって、知っている)


 ねねが奏との日常を愛しているように。わたしだけが知っている、光莉がいる。前髪の奥に隠された澄んだ瞳。震えるわたしを抱きしめてくれた、力強い腕の温かさ。


 ねねの感情が、太陽のように明るく、すべてを包み込むような「陽」のものなら。 わたしたちの愛は、月夜のように静かで、二人だけの秘密めいた熱だ。その秘められた熱量は、決してこの人たちにも負けていないはずだ。


「……奏さんと仲良くやっているようですね」


 わたしが少し呆れて言うと、ねねはケラケラと笑った。


「あら、失礼。奏ちゃんのこととなるとこうなっちゃって」


 ねねはバシャリと立ち上がった。  豊かな肢体から滴るお湯が、波紋を作る。


「じゃ、お先に。これ以上話してたらのぼせちゃいそうだわ」


 意味深なウインクを残して、九条ねねは浴室を出て行った。


 再び、静寂が戻る。わたしは、大きく息を吐き、天井を見上げた。不安が消えたわけではない。

 けれど、胸の奥にある「愛おしさ」だけは、確かにお湯の温度よりも熱く、そこに存在していた。


「……好きってことで、いいわよね」


 誰に聞かせるでもなく、ポツリと呟く。その言葉は、湯気に溶けて消えたけれど、わたしの耳には、心臓の音と共に確かに刻まれた。

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