イメージチェンジ
日曜日。
瑠璃からで呼び出され、光莉は商業エリアのメインゲートにある時計塔の下で待っていた。
(……遅いな、先輩)
約束の時間はとっくに過ぎている。いつもなら、待ち合わせの10分前には涼しい顔で立っているはずの瑠璃が、今日はまだ姿を見せない。何かトラブルでもあったのだろうか。 光莉が心配になってスマホを取り出そうとした、その時だった。
「――っ、光莉!」
人混みをかき分けるようにして、瑠璃が現れた。
珍しく少しだけ息を切らせている。
「ごめんなさい、遅れてしまって……!」
「せ、先輩? 大丈夫ですか?」
「ええ、少し……出る直前に、服選びに手間取ってしまって」
そう言って髪を直す瑠璃を見て、光莉は目をぱちくりとさせた。今日の瑠璃は、いつもの制服や前に見た私服とも違っていた。洗いざらしの白シャツに、細身のジーンズ。飾り気のないシンプルなスタイルが、かえって彼女のスタイルの良さと、凛とした美しさを際立たせている。
(……かっこいい)
思わず見惚れてしまう光莉に、瑠璃は気まずそうに視線を逸らした。
「……行くわよ。今日は、あなたの髪型を変えるわ」
「え、髪型ですか?」
「前に言ったでしょう。いつまでもその重たい前髪では、暗い印象を与えるもの。……行きつけの店を予約してあるの」
瑠璃は光莉の手を引かず、少し早足で歩き出した。その背中からは、いつもの余裕が感じられない。どこか焦っているような、落ち着きのない足取りだった。
*
連れてこられたのは、大通りから一本入った場所にある美容室だった。瑠璃は光莉を席に座らせると、担当の美容師に少し早口でオーダーを伝えた。
「……全体的に重さをなくしたいの。初対面でも明るい感じに」
そして、一呼吸置いて付け加えた。
「あと……前髪を変えたいわね。瞳が、見える感じに。光莉、あなたからは何かないの」
「あ、えっと、おまかせします……」
すると、瑠璃は逃げるように待合のソファへと下がった。施術が始まる。ハサミの音が響く中、光莉は鏡越しにチラリと後ろを見た。瑠璃は雑誌を広げているけれど、ページをめくる手が何度も止まり、足を組み替えたり、髪を触ったりと、明らかに落ち着きがない。
(先輩、どうしたんだろう……)
一時間後。
「はい、お疲れ様。……うん、すごく似合うよ」
美容師の声で、光莉は我に返った。鏡の中には、別人のような自分がいた。重たかった黒髪は軽やかなミディアムヘアになり、短くなった前髪の隙間から、自分の瞳がはっきりと見えている。視界が広い。そして、顔周りが明るくなったことで、表情まで柔らかく見えた。
「西園寺さん、どうですか?」
美容師に促され、瑠璃がソファから立ち上がった。コツ、コツと歩み寄り、光莉の背後に立つ。
鏡越しに目が合う。瑠璃は、光莉の新しい姿をじっと見つめたまま、言葉を発しない。
その表情は読み取れず、ただ沈黙だけが落ちる。
(……似合ってないのかな)
光莉が不安になって、視線を下げかけた時だった。
「……可愛く、なったわね」
ポツリと。独り言のような小さな声が、瑠璃の唇から漏れた。
「えっ……」
光莉が顔を上げると、瑠璃はハッとして口元を押さえた。けれど、もう遅い。
鏡の中の光莉の頬が、みるみるうちに赤く染まっていく。そして、それを見た瑠璃もまた、自分の失言――あまりに素直すぎる感想を口にしてしまったことに気づき、耳まで真っ赤になって顔を背けた。
「あ、ありがとう、ございます……」
「……っ、行きましょうか」
瑠璃は会計を済ませると、逃げるように店を出ていった。
*
「……やっぱり、どこも人が多いわね」
まだ熱の残る顔で、瑠璃が言った。
お茶でもして帰りましょう、と話していたがカフェはどこも満席だった。
「これじゃ落ち着いて話もできないわ。……光莉、寮に戻りましょう。私の部屋で」
「えっ? 部屋って……」
「今後の選挙戦略について、詰めたいことがあるの。お茶でも飲みながら話しましょう」
それは完璧な建前だった。
でも、光莉は断る理由もなく、「は、はい」と頷いて、瑠璃の後ろをついていった。
*
上層階にある瑠璃の部屋は、相変わらずきれいに片付いていた。生活感の薄い、洗練された空間。
「……座ってて」
瑠璃は光莉をソファに促すと、キッチンへ向かった。やがて、カラン、と氷の涼やかな音と共に、二つのグラスが運ばれてきた。冷たいアイスティー。
瑠璃は、光莉の隣に腰を下ろした。
シーン、と静寂が満ちる。エアコンの送風音と、氷が溶けて崩れる音だけが響く。
「……えっと、選挙の話でしたよね」
光莉がおずおずと切り出す。
けれど、瑠璃はグラスを両手で包み込んだまま、俯いていた。
「……先輩?」
「あ、ええ。そうね。……公約のブラッシュアップと、広報戦略について……」
瑠璃の口調は、いつになく歯切れが悪かった。言葉が出てこないのか、あるいは何を話すべきか迷っているのか。口ごもり、視線はグラスの中の氷を彷徨っている。
(……やっぱり、おかしい)
遅刻したこと。美容室での様子。そして今、二人きりの部屋でのこの態度。
いつもの「完璧な女王」の姿はどこにもない。
光莉は、膝の上で拳を握りしめ、意を決して問いかけた。
「あの、先輩」
「……」
「今日の先輩、やっぱり……何か変です」
その言葉に、瑠璃の肩がビクリと跳ねた。恐る恐る、といった様子で顔を上げる。久しぶりに、視線が合った。至近距離で見る瑠璃の瞳は、不安げに揺れていて、どこか泣き出しそうに見えた。
けれど、その視線はすぐに逸らされてしまう。
「……変、かしら」
「はい。元気がないっていうか、上の空っていうか……」
光莉が詰め寄ると、瑠璃は諦めたように小さくため息をついた。
「……緊張、していたの」
「え? 緊張……?」
瑠璃が、蚊の鳴くような声で呟く。
「あなたと二人で会うのが……怖かったのよ」
「どうしてですか? 私たち、パートナーなのに」
「パートナーだからよ」
瑠璃は、グラスを強く握りしめた。
「……前回、あんなことをしてしまったから」
あんなこと。
その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が一変した。光莉の脳裏に、あの夕暮れの並木道の記憶が鮮烈に蘇る。額に触れる冷たい指。至近距離で見つめ合う瞳。そして、触れそうになった鼻先と、甘い熱っぽい吐息。
「っ……」
光莉の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。あれは、私の勘違いじゃなかった。先輩も、あの瞬間のことをずっと考えて、意識してくれていたのだ。
部屋の静寂が、今までとは違う色を帯び始める。甘くて、苦しくて、息が詰まるような密度。
光莉は瑠璃の横顔を見つめた。白シャツの襟から覗く首筋が、微かに赤く染まっている。
聞かなきゃいけない。ここで流してしまったら、またわからないまま感情が渦巻いてしまう。
光莉は、震える声を絞り出した。
「……先輩」
「……何」
「あの時のこと……あれは、何だったんですか?」
核心をつく問い。瑠璃が息を呑む気配がした。彼女はゆっくりと顔を上げ、濡れたような瞳で光莉を見た。
その唇が、答えを探すように震えていた。




