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先輩、私にだけ心の音がダダ漏れです。  作者: 如月白華


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砂嵐の記憶

 バサバサと、白い書類が床に散らばる音が、部屋の空気を裂いた。

 その乾いた音の余韻が消えると、執行委員会室には、息をするのもためらわれるような重たい沈黙が澱んだ。


「……あ」


 瑠璃の唇が、音もなく動く。 足元に散らばった紙片。けれど彼女は、それを拾うことすら忘れ、立ち尽くしていた。 その視線は、ソファに座る人物――月城花音に縫い付けられている。


 花音もまた、動けずにいた。 逃げるように帰ろうとしていた足が、床に張り付いたように止まっている。 西日が、二人の間に長い影を落としていた。


「……拾うわ」


 凍りついた時間を溶かすように、純が静かに立ち上がり、瑠璃の足元へ歩み寄った。 その動作で、ようやく光莉も我に返る。


「あ、わ、私も手伝います……!」


 光莉が慌てて駆け寄り、床の書類をかき集める。 頭上で瑠璃が小さく息を呑む音が聞こえた。


「……久しぶりね、瑠璃ちゃん」


 花音の声だった。それは、触れれば壊れてしまいそうなほど繊細で、震えていた。


「……ええ。ご無沙汰しております、花音先輩」


 瑠璃の声は低く、抑揚が削ぎ落とされていた。

 怒っているわけではない。拒絶しているわけでもない。  ただ、どう接していいかわからない――迷子のような響きが混じっていた。



 とりあえず座りましょう、という純の提案で、奇妙なお茶会が始まった。

 しかし、応接セットの革張りソファは二人掛けだ。右手に花音と麻衣。左手に瑠璃と純。席が足りない。


「あ、私はこれで大丈夫です……」


 光莉は部屋の隅にあったパイプ椅子を引っ張り出した。キィ、と金属が擦れる音が、静かな部屋に響く。

 光莉はテーブルの短辺、「お誕生日席」の位置にちょこんと腰を下ろした。


 その位置は、瑠璃と花音、二人の横顔を同時に見ることができる場所であり――同時に、二人の間に流れる濃密な過去の空気からは、一人だけ弾き出された「部外者」の席のようにも感じられた。


 紅茶の湯気だけが、ゆらゆらと立ち上っている。二人とも口をつけようとしない。

 窓の外は刻一刻と茜色を濃くし、部屋の中の影を黒く塗りつぶしていく。


(……息が詰まりそう)


 光莉は膝の上で拳を握りしめた。

 この沈黙は、瑠璃が冷たいからではない。花音が弱いからでもない。お互いに相手を想うあまり、踏み込み方を忘れてしまった二人の優しさだ。


 誰かが、この澱んだ空気をかき混ぜなければならない。たとえそれが、波風を立てることになったとしても。


「……あの」


 光莉の声に、全員の視線が集まる。光莉は、瑠璃と花音を交互に見つめ、意を決して口を開いた。


「お二人の選挙の、『試練』って……どんなものだったんですか?」


 純から「指示が届かなかった」とは聞いていた。けれど、具体的に何があったのか。どんな景色の中で、二人は手を離してしまったのか。

 それを知りたかった。


 問いかけられた瑠璃は、わずかに目を伏せた。沈黙。やがて、花音がカップの縁を指でなぞりながら、ポツリと呟いた。


「……『探索』よ」


 花音の瞳が、ここではない遠い場所――二年前の記憶を映し出すように揺れた。


「島内に隠された、たった4枚の『チケット』を探し出すこと。……ヒントは、地図と、無線機だけ」


 花音の語り口は、淡々としていた。


「私たちは、効率を優先したわ。瑠璃ちゃんが西のエリア、私が東のエリア。……離れた場所にいても、無線機さえあれば繋がっていられる。お互いの情報を合わせれば、誰よりも早くチケットを見つけられるはずだった」


 それは、合理的な作戦のはずだった。


「でも……それは、『罠』だったの」


 花音の手が、喉元を押さえるように動く。


「夕暮れ時……太陽が水平線に沈んだ、その瞬間だったわ」


 ザザッ、と。花音の言葉に合わせて、光莉の耳奥に幻聴のようなノイズが走った気がした。


「無線機から、ひどい砂嵐の音が聞こえてきたの。……ジャミングよ。運営は、一番焦りが生まれる日没に合わせて、強制的にすべてのペアの通信を分断したの」


 薄暗い森の中。迫りくる夜の気配。

 頼みの綱だったパートナーの声が、無機質なノイズにかき消される恐怖。


「『瑠璃ちゃん? ねえ、聞こえる?』……何度呼びかけても、返ってくるのはザザっという音だけ」


 花音の呼吸が浅くなる。


「その時、試されていたのね。……声が届かなくても相手を信じて進む『強さ』があるか。それとも、判断で状況を打開する『知性』があるか」


 そのどちらも、当時の花音は持っていなかった。


「……私は、動けなかった」


 絞り出すような声だった。


「怖かったの。……瑠璃ちゃんの指示が聞こえなくなった瞬間、自分が何をすればいいのか、わからなくなってしまった。判断を間違えて足を引っ張ったらどうしよう、勝手に動いて入れ違いになったらどうしようって……」


 彼女を縛り付けたのは、信頼ではなく「依存」という鎖だった。瑠璃なら正解を知っているはず。瑠璃が指示してくれるはず。

 そうやって思考を預けていた油断が、最悪のタイミングで首を絞めた。


「日が暮れて、真っ暗になって……タイムアップのサイレンが鳴るまで、私はその場にうずくまって、壊れた無線機を握りしめていることしかできなかった」


 花音の頬を、一筋の涙が伝い落ちる。それは、二年越しに流れる、後悔の雫。


「スタート地点に戻った時……そこには、もう瑠璃ちゃんがいたわ」


 花音は、目の前に座る瑠璃を見つめた。その視線は、懺悔するように濡れていた。


「あの子は、通信が切れた時点で私の弱さを予測して……合流するためにスタート地点にすぐに戻ってきてくれていた。……それなのに私は、ただ震えていただけ。先輩なのに、年下の瑠璃ちゃんに守られることしかできなかった」


 花音は両手で顔を覆い、嗚咽を漏らした。静まり返った部屋に、押し殺した泣き声が響く。


 光莉は、瑠璃を見た。瑠璃は、表情を消したまま、じっと自分の膝を見つめていた。その横顔は、彫像のように美しく――そして、ひどく孤独に見えた。

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