予期せぬ来訪者たち
放課後の執行委員会室。
光莉がいつものように扉を開けると、そこには見慣れない光景が広がっていた。
「あーっ! 来た来たぁ! この子が噂の『新しい子』?」
入室した瞬間、視界がふわりとした暖色系の何かに埋め尽くされた。 柔らかい感触と、少し大人びた柑橘系の香り。 ぎゅううう、と抱きしめられているのだと気づくのに、数秒のラグがあった。
「かっ、え、あ、あのっ!?」
光莉が目を白黒させていると、頭上から楽しげな声が降ってくる。
「んー、ちっちゃくて可愛い~! 瑠璃ちゃんったら、こんな小動物みたいな子を捕まえたわけ? 趣味変わった~?」
「……先輩、その辺にしてください。小林さんが酸欠になります」
聞き慣れた、少し呆れたような声がした。 デスクの純だ。彼女はこめかみを軽く押さえながら、やれやれと息を吐いた。
「ぷはっ……!」
ようやく解放された光莉がおどおどと後ずさると、そこには見知らぬ二人の上級生が立っていた。 一人は、今しがた光莉に抱きついてきた、ショートカットの活発そうな女性。 もう一人は、その後ろで微笑んでいる、ロングヘアの物静かな女性だ。二人とも、胸元のリボンの色が、見たことのない「深緑色」をしている。
「ごめんなさいね、小林さん。……紹介するわ」
純が立ち上がり、二人の横に並んだ。
「この騒がしいのが、5年生の支倉麻衣先輩。……一昨年、私とペアを組んでいた方よ」
「よろしくねぇ、光莉ちゃん! 純ちゃんがお世話になってますー」
麻衣は笑い、純の肩をバシバシと叩く。純は「叩かないでください」と嫌がりつつも、その表情はどこか緩んでいて、気心の知れた仲であることが伝わってくる。
「そして、こちらが……」
純の視線が、もう一人に移る。
「月城花音先輩。……瑠璃の、かつてのパートナーだった方」
瑠璃の、元ペア。その言葉に、光莉は思わず背筋を伸ばした。花音は、儚げな百合の花のような佇まいで、優雅に会釈をした。
「……初めまして、小林さん。お噂は聞いているわ。予選突破、おめでとう」
その声は、瑠璃とは違う種類の、繊細なガラス細工のような響きを持っていた。敵意や品定めといった嫌な感じはしない。ただ純粋な、先輩としての優しさがそこにあった。
「にしても、驚いたよー。あの瑠璃ちゃんがまた選挙に出るなんてねぇ」
麻衣が勝手知ったる様子でソファに座り込む。
「噂を聞いてさ、居ても立ってもいられなくて。……研究棟からここまで、結構歩くのにねぇ」
「研究棟……?」
光莉が首を傾げると、花音が教えてくれた。
「ご存知ないかしら? 白嶺の4年生と5年生は『専攻科』として、この敷地のずっと奥……林を抜けた先にある研究棟に通うことになるの」
花音の指先が、窓の外、鬱蒼と茂る木々の向こうを指した。
「カリキュラムも専門的になるし、生活サイクルも変わるわ。だから、こうして本校舎に来ることも、純たちに会うことも、あんまりなくなるのよね」
「……そう、なんですか」
光莉は、窓の外を見た。夕闇に沈みゆく林。その向こう側にあるという見えない校舎。
ふと、胸の奥がチクリとした。
瑠璃は今、3年生だ。 ということは、来年の春になれば、彼女は4年生になり……あの向こうへ行ってしまう。 私はまだ、2年生。この校舎に取り残される。
(……そっか。先輩とは、離れ離れになっちゃうんだ)
当たり前のように「ずっと隣にいる」と思っていた。でも、学園のシステムはそれを許さない。光莉の表情に落ちた影を、麻衣は見逃さなかった。
「……あらら? 光莉ちゃん、いま『寂しい』って顔したでしょ~?」
「えっ!? し、してません!」
「ふふ、わかりやすい。……『瑠璃ちゃんと離れ離れになるのは嫌だなぁ』って顔だったわよ?」
図星を突かれ、光莉は言葉に詰まった。けれど、花音が優しく微笑む。
「安心していいわよ、小林さん。……だからこその『選挙』なのだから」
「え?」
「もし勝って、合同生徒会役員になれば……活動拠点はあの中央塔になるわ。授業以外の時間は、毎日顔を合わせられる」
「それに、役員専用の寮もあるしね! 一緒に暮らせる特権付き!」
麻衣がウインクをする。
「一緒に……暮らす」
その甘美な響きに、光莉の耳が熱くなる。勝てば、離れなくて済む。むしろ、もっと近くにいられる。 それは、ちょっといいかもしれない。
「……頑張ります。絶対に」
光莉が無意識に拳を握りしめて宣言すると、先輩二人は顔を見合わせて、どこか眩しそうに微笑んだ。
「……いい目ね」
花音が、ポツリと漏らす。ふと、彼女の視線が扉の方へと向いた。
「……瑠璃先輩、呼びましょうか?」
光莉が気を利かせてスマホを取り出そうとすると、花音は慌てて首を振った。
「いいの、いいの。今日は小林さんと純ちゃんの顔を見に来ただけだから」
花音は、少しだけ困ったように眉を下げた。
「それに私……まだ少し、気まずいのよ」
その声のトーンが、ほんの少しだけ落ちた。
「あの時、私がもっとしっかりしていれば、あの子を勝たせてあげられたのにって……やっぱり、どこかで思ってしまうから。どんな顔で会えばいいのか、わからなくて」
過去の敗北。
それは悲劇的なトラウマというほどではないけれど、少しほろ苦くて、気恥ずかしい感情。
花音は、かつてリングがはまっていた自分の指を無意識に撫でながら、苦笑いした。
「だから、今日はこっそり帰るわ。……あの子のこと、よろしくね」
花音がソファから立ち上がろうとした、その時だった。
ガチャリ。
何の前触れもなく、扉が開かれた。
「純、明日の資料なんだけど……」
凛とした声と共に、瑠璃が現れた。彼女は書類に目を落としたまま歩き出し――ふと、部屋に漂う異質な空気と、懐かしい香りに気づいて顔を上げた。
そして。そこにいる人物たちを見て、ピタリと足を止めた。
「……え?」
瑠璃の瞳が、驚きに丸くなる。持っていた書類が、手から滑り落ちた。バサバサと白い紙が床に散らばる音が、部屋に響く。
「……花音、先輩?」
時が止まったような静寂の中、瑠璃の声だけが、ポツリと落ちた。




