開戦
学内予選の結果が発表された翌日。
執行委員会室には、いつもの三人の姿があった。
大型モニターには、最終確定した予選通過ペアが表示されている。
1位:九条ねね・常盤奏ペア
2位:西園寺瑠璃・小林光莉ペア
得票数の差は小さかったが、それでも二位。
けれど、部屋の空気に悲壮感はない。
「……二位、か」
瑠璃は、モニターの数字を見つめ、ふっと息を吐いた。
その横顔には、以前のような脆さはなく、憑き物が落ちたような清々しさがあった。
「完敗ね。……認めざるを得ないわ」
「あら、悔しくないの?」
純がデスクから尋ねると、瑠璃はカップを置いて、好戦的に笑ってみせた。
「まさか。……昨日は眠れなかったわよ」
瑠璃は、隣にいる光莉を見た。
その視線には、確かな信頼の色がある。
「でも、不思議と絶望はしていないの。……二位でも通過ということは、まだ『次』があるということでしょう? 追われる立場より、食らいつく挑戦者の立場で挑めるなんて、ゾクゾクするじゃない」
「……先輩」
光莉は、胸が温かくなるのを感じた。
今の彼女は、泥臭く這い上がろうとする「挑戦者」の目をしていた。
「いい顔になったわね」
純もまた、満足そうに目を細めた。
「では、切り替えましょう。……今日はこれから、予選を通過した他の二組もここに呼んであるわ」
「え?」
「執行委員会の役目として、今後の『選挙』の流れを説明するためにね。……ほら、来たわよ」
純が扉の方へ顎をしゃくった瞬間。
ノックもなしに、扉が軽やかに開かれた。
「失礼しまぁーす。……あらぁ、みなさんお揃いで」
甘い香水の香りとともに現れたのは、九条ねねと、その腕に捕獲されたように抱えられている常盤奏だ。
ねねは、光莉たちを見ると、奏の腕に頬をすり寄せながら優雅に微笑んだ。
「ごきげんよう、西園寺さん。……昨日の今日で、もっと落ち込んでいるかと思ったけれど……意外と元気そうで安心したわぁ」
言葉の端々に、「勝者の余裕」という名の棘がある。
ねねは奏に体重を預けきっている。奏は少し鬱陶しそうに眉を寄せているが、振り払おうとはせず、黙ってねねを支えていた。
その姿は、まるで気まぐれな猫と、それに従う忠実な飼い主のようだ。
「奏ちゃん、そこの椅子引いてぇ」
「……はい」
奏が無言で椅子を引き、ねねが満足げに座る。
瑠璃は眉一つ動かさず、堂々とねねを見据えた。
「ごきげんよう、九条さん。常盤さんも。……お気遣い感謝するわ。おかげさまで、いい『勉強』をさせてもらったもの」
「あら、強がりがお上手」
「本心よ。……次は、その余裕ごと食らい尽くしてあげるから、覚悟していらっしゃい」
バチバチ、と視線の間で火花が散る。
光莉が、その一触即発の空気に息を呑んでいると。
純が、ふと扉の方へ鋭い視線を向けた。
「……さて。もう一組も到着したようね」
かつ、かつ、かつ。
廊下から聞こえてきたのは、軍隊の行進のように規則正しく、重たい足音だった。
ねねの時のように軽やかではない。
威圧的で、底冷えするような気配。
バンッ。
扉が、短く、無機質に開かれた。
「失礼する」
低い、硬質な声。
入ってきた人物を見た瞬間、室内の温度が数度下がった気がした。
そこに立っていたのは、長身の女子生徒だった。
切り揃えられた黒髪のボブカット。制服の着こなしは針金が入っているかのように隙がなく、左腕には『風紀』と書かれた腕章が巻かれている。
その瞳は、感情を一切映さない、研ぎ澄まされた刃のような色をしていた。
その後ろには、対照的に小柄な一年生が一人、付き従っていた。
眼鏡をかけ、長い髪をきっちりと三つ編みにした、いかにも真面目そうな少女だ。彼女は大きなファイルを胸に抱き、緊張した面持ちで直立している。
「……遅いわよ、御鏡」
純が咎めるように言うと、彼女表情を変えずに一礼した。
「失礼。校内巡回中に違反者を見つけたため、指導していた」
彼女は、瑠璃とねねを一瞥した。
その視線には、敵意というよりも、「だらしないものを見る」ような潔癖な色が宿っていた。
「……ふん。『宝石』と『道化師』か。……こんな軟弱な連中と同じ席に着くとはな」
「あらぁ、道化師って私のこと? それ褒められてる?」
「……何か言いたげね」
ねねと瑠璃が同時に反応する。
彼女は、フンと鼻を鳴らし、ソファの一番端に腰を下ろした。
「御鏡さん」
瑠璃が、不審そうに眉をひそめた。
「あなたたち、先日の合同演説会は辞退していたわね? それどころか、ポスターも貼らず……一体どうやって三位に入ったのかしら」
彼女たちは表立った選挙活動を一切していなかった。
光莉も、リストに名前があることすら忘れていたくらいだ。
それなのに、蓋を開ければ組織的な票を集め、予選を突破している。
問われた彼女は、冷ややかな笑みを浮かべた。
「……そんなくだらないパフォーマンスが必要か?」
「なんですって?」
「我々は風紀委員だ。校則違反者の弱みを握り、あるいは各活動の可否権限を持つ我々に逆らえばどうなるか……賢い生徒ならわかるはずだ」
光莉は息を呑んだ。
つまり、圧力で票を強制的に集めたのだ。
「勘違いするな。我々はここに……勝つために来た」
彼女は、拳を握りしめた。
「この学園、ひいてはこの島の風紀は乱れすぎている。我々が生徒会の中枢に入り、絶対的な『正義』を執行する。その力を手に入れるためなら、どんな手段も厭わない」
彼女にとって、勝利は目的ではなく、正義を執行するための「手段」なのだ。
その揺るぎない信念は、ある意味で瑠璃以上に純粋で、恐ろしかった。
「自己紹介がまだだったな」
彼女は立ち上がり、背筋を伸ばした。
「風紀委員長、3年。御鏡聖良だ」
続いて、後ろに控えていた一年生が、ビクッと震えて前に出た。
「……い、一年、風紀委員の……五十嵐すず、です」
すずは、消え入りそうな声で名乗ると、すぐに聖良の後ろに隠れるように下がった。
聖良の影に怯えているようにも見えるが、その瞳には聖良への絶対的な服従と、微かな崇拝の色が見えた。
「……役者は揃ったようね」
純が立ち上がり、三組のペアを見渡した。
光莉は、ごくりと喉を鳴らした。
この人たちの中で、戦っていかなければならない。
不安はある。けれど、隣を見れば、瑠璃が不敵に微笑んでいる。
(……負けない)
光莉は、そっと瑠璃の制服の袖を掴んだ。
今度は、私が支えるんだ。
執行委員会室に、三つの異なる「思惑」が交錯する。
合同選挙への切符を手にした少女たちの、新たな戦いが幕を開けようとしていた。




