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先輩、私にだけ心の音がダダ漏れです。  作者: 如月白華


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過去の影、今の光

 純の問いかけが、静寂に溶けていく。


「……」


 光莉は、唇を噛み締めたまま、言葉を発することができなかった。

 迷っているわけではない。答えは心の中にありすぎるほどある。

 けれど、それを口にする資格が、今の自分にあるのだろうか。

 演説会。光莉は力になれなかった。凍りつく空気を変えることも、瑠璃の心を温めることもできなかった。ただ隣で、彼女が傷つく音を聞いていただけ。

 そんな無力な自分が、「隣にいたい」なんて言えるはずがない。


 光莉の沈黙を、純はどう受け取ったのか。

 彼女はふぅ、とため息をつくと、カップを置いて窓の外を見た。


「……私はね。あの子の隣には、立てないのよ」


 ぽつりと、独り言のように純が言った。


「それは、ペアとして、ですか」


 光莉が問うと、純は寂しげに微笑んだ。


「ええ。私たちはルール上、ペアを組めない」


 純は、自身の黒髪を指で梳いた。


「でも私は誓ったの。あの子を合同生徒会選挙でまた輝かせると……」



 あの時、1年生だった私は選挙戦に挑み――そして、序盤であっけなく西園寺瑠璃に敗北した。

 完敗だった。容姿、知性、人を惹きつけるカリスマ性。

 私を負かした彼女は、誰よりも強く、輝いて見えた。私は悔しさよりも先に、その圧倒的な輝きに魅入られてしまった一人に過ぎなかった。


 けれど、最終局面。 彼女は敗れた。

 完璧すぎた彼女についていけなくなったパートナーとの連携が崩れ、共倒れになった。


 周囲の反応は残酷だった。

『西園寺さんも期待外れね』『独りよがりだわ』

 さっきまで彼女をちやほやしていた有象無象たちが、掌を返したように失望し、離れていった。

 学園内でも、彼女は腫れ物扱いされ、心ない噂や嘲笑がその背中に突き刺さるようになった。


 それでも、彼女は気高く振る舞っていた。

 誰の前でも弱音を吐かず、完璧な「西園寺瑠璃」を演じ続けていた。

 ……私は信じていた。私を負かした相手は、こんなところで終わる人間ではないと。

 だから私は、遠くから彼女を見つめ続けていた。


 そんなある日の放課後。

 私は、彼女が一人で校門を出ていくのを見かけ、吸い寄せられるように後を追った。

 彼女がたどり着いたのは、学園から外れた、海沿いの寂れた公園だった。

 人気のない、夕暮れの場所。


 そこで、彼女はベンチに崩れ落ちた。

 周囲に誰もいないことを確認すると、うずくまり、声を押し殺して泣き始めた。

 寮でも、学園でも、どこにも居場所がなかった彼女が、ようやく見つけた「弱さを吐き出せる場所」。


 その震える背中を見た時、私は思ったの。

 ――ああ、なんて綺麗なんだろう、と。


 誰もが彼女を見捨てた中で、たった一人、孤独に耐え、泥まみれになっても輝きを失うまいと足掻くその姿。

 傷つき、血を流しながらも気高くあろうとするその背中に、私は――。


 ふらっと近づいた私は、足元の小枝を踏んでしまった。

 パキリ、と乾いた音が響く。


「……ッ!」


 瑠璃が弾かれたように顔を上げた。

 涙で濡れた顔。充血した目。

 私と目が合うと、彼女は絶望的な表情で笑った。


「……和泉、さん」


 自嘲気味な声。


「見られてしまったわね。無様でしょう。敗北者がひとり、こんなところで」


 彼女は、世界中のすべてが敵だと思っているような目つきで私を睨んだ。

 その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが弾けた。


 私は迷わず彼女に歩み寄り、その冷え切った手を強く掴んだ。


「……なっ」


「ふざけるな!」


 私は叫んでいた。


「私を負かしたあなたが、自分を卑下するのか。馬鹿にするのもいい加減にしろ!」


「……え?」


「私はあなたに負けたんだ。私が認めた『西園寺瑠璃』は、こんな一度の敗北くらいで、怯えて終わるような女じゃない!」


 瑠璃は呆然としていた。

 まさか、かつてのライバルから、こんな言葉を浴びせられるとは思っていなかったのか。


 私は、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめて宣言した。


「私たちには、まだ2年後があるじゃないか」


「2年……後……?」


「そうよ。……あなたは必ず返り咲く。あなたの実力なら、次は絶対に勝てる」


 私は、掴んだ手にさらに力を込めた。


「そのための『道』は……私が作ってやる」


 瑠璃の瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。

 それは絶望の涙ではなく、初めて「味方」を得た安堵の涙だった。


 あの日、あの夕暮れの海辺で。

 私と彼女の共犯関係は始まったんだ。



 純は、ゆっくりと瞬きをして、意識を現実に戻した。

 目の前には、不安そうに自分を見つめる小林光莉がいる。

 この子には、言えない。

 私が瑠璃に執着するのは、彼女の「弱さ」と「強さ」の両方に、魂ごと奪われてしまったからだなんて。


「……あの子はね、泥まみれになっても、決して折れないの」


 純は、あくまで冷静に、光莉に告げた。


「私はその精神性に……、敬意を抱いている。だからこそ、私はあの子の『影』として、舞台を整える役を選んだのよ」


 純の視線が、光莉に戻る。

 その瞳には、託す者としての厳しい光が宿っていた。


「でも、今のあの子に必要なのは、道を作る影じゃない。……暗闇の中で、あの子の手を握り返してくれる『光』よ」


 純の手が伸びて、光莉の手の甲に触れた。


「今の、一歩引いてしまった私にはできないから。……でも、あなたは違う」


 純は、光莉の瞳を真っ直ぐに射抜いた。


「あなたは、あの子の弱さも、脆さも知った上で……それでも『放っておけない』と言ってくれた。……あの子の『孤独』を終わらせられるのは、隣を行くあなたしかいないのよ」


 光莉の心臓がドクンと跳ねた。純の言葉の裏にある、語られなかった重たい想いまではわからない。

 けれど、この人が「自分の立場」を捨ててまで瑠璃を守ろうとしてきた覚悟だけは、痛いほど伝わってきた。

 

 自分が無力だとか、資格がないとか、そんな言い訳はもうできない。

 この人が、あえて一歩引いて託してくれた場所を、私が埋めなければ嘘になる。


「……やっぱり、私行きます」


 光莉は顔を上げた。

 迷いは消え失せていた。


「……私が、瑠璃先輩を一人にはさせません」


 光莉は、純の手を握り返した。


「瑠璃先輩の居場所を教えてください」


 純は一瞬驚いたように目を見開き、それから……心底安心したように、美しく微笑んだ。


「……ありがとう。本当にあの子のペアが光莉さん。あなたでよかった」


 純は、窓の外、夕暮れのほうを指さした。


「あの子は、海辺の公園にいるはず。……このあたりにはあそこしか一人になれる場所がないから」


「ありがとうございます!」


 光莉は立ち上がり、深く一礼すると、部屋を飛び出した。

 バタン、と扉が閉まる音。


 残された純は、冷めた紅茶を一口飲み、誰もいない部屋で天井を見上げた。

 胸の奥で燻る、甘く苦い感情を飲み下すように。


「……行ってらっしゃい。私には居られない場所に」


 その言葉は、少しの嫉妬と小さな感謝に満ちていた。

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