砕けた正しさ
演説会の会場となった大講堂は、全校生徒の熱気で充満していた。
照明が落ち、スポットライトがステージ中央を照らし出す。
「――では、最初の登壇者です。西園寺瑠璃・小林光莉ペア」
司会のアナウンスと共に、拍手が巻き起こる。
瑠璃は、立ち上がった。その横顔には、緊張の色は微塵もない。
「行きましょう、光莉」
差し出された手を取る。
瑠璃の手は温かかった。震えてもいない。
大丈夫だ。きっと先輩は、うまくやってくれる。
光莉はそう自分に言い聞かせ、共に壇上へと上がった。
マイクの前に立つ瑠璃。
数百人の視線が集まる中、彼女は凛とした声を響かせた。
「ごきげんよう、皆様。……本日は、わたくしが考案した『学園祭改革案』について提案させていただきます」
滑り出しは完璧だった。
美しい声色、堂々とした態度。会場の生徒たちも、最初は静かに耳を傾けていた。
しかし、瑠璃が具体的なプラン――規律、効率、安全性といった「正しさ」を語り始めた途端、会場の空気が少しずつ、確実に変質していくのを光莉は肌で感じていた。
シン、と静まり返っている。
けれどそれは、聞き入っている静けさではない。
興味を失い、心が離れていく……冷たい沈黙だ。
客席の暗がりで、スマホの画面がいくつも光り始める。あくびを噛み殺す生徒、隣の子と視線を合わせて肩をすくめる生徒。
瑠璃の言葉は、あまりにも整然としすぎていて、彼女たちの関心をひいていなかった。
まるで、退屈な校長先生の話を聞かされているような、義務的な空気が会場を支配していく。
不意に、光莉の耳に音が飛び込んできた。
ガラスを爪で引っ掻くような、不快な高周波。
隣を見る。瑠璃の表情は変わっていない。依然として胸を張り、堂々と話している。
けれど、マイクを握る指の関節は白く、演台の上がる足には微かな力みが見えた。
(先輩も、気づいてる)
反応が悪いことに。自分の言葉が、誰の心にも刺さっていないことに。
それでも彼女は止まれない。「正しさ」を信じて突き進むしかない。
その悲痛な叫びが、ノイズとなって光莉の鼓膜を叩く。
「……概要は以上です。続いて、パートナーの小林より補足説明を行います」
瑠璃が一歩下がり、光莉に視線を送った。
予定通りの順番だ。ここで光莉が、瑠璃の案のメリットを生徒視点で語ることになっていた。
「……は、はい」
光莉はマイクの前に立った。
数百の視線が、値踏みするように光莉に集まる。
空気が、重い。冷え切った会場の熱を、私の言葉だけで温め直さなければならない。
震える声を押し殺し、平坦なトーンで……。
「えっと……西園寺先輩の案は、一見すると少し窮屈に感じるかもしれません。でも、これは昨年の混乱とアンケートによる不満を改善したプランで……」
必死に言葉を紡ぐ。
あの部屋で見た、瑠璃の誠実さ。不器用な優しさ。それを伝えたかった。
けれど、焦れば焦るほど言葉は空回りし、ただの「優等生の言い訳」のように響いてしまう。
(……届かない)
誰も頷いてくれない。誰も笑ってくれない。
光莉の言葉は、冷たい壁に弾き返され、空虚に消えていった。
「……以上です」
逃げるように演説を終えると、会場からはパラパラと礼儀だけの拍手が起きた。
それはブーイングよりも残酷な、「無関心」の音だった。
二人は無言で壇上を降りた。
袖に引っ込む際、入れ違いに次のペアがやってくる。
九条ねねと、常盤奏だ。
すれ違いざま、ねねと目が合った。
ねねは何も言わなかった。
ただ、ゆったりとした足取りで、光莉たちの横を通り過ぎていった。
その横顔には、慈愛のような、あるいは憐れみのような、柔らかな微笑みが浮かんでいた。
隣を歩く奏もまた、静かに前だけを見据えている。
言葉など必要ないのだ。
これから起こる「結果」が、すべてを物語るのだから。
*
「みなさぁーん、こんにちはぁ!」
ねねがマイクの前に立ち、一声発した。
たったそれだけで、会場の凍りついた空気が一気に解凍された。
ねねは、難しい言葉を使わなかった。
ただ、楽しそうに、今年の学園祭で実現したい「夢」を語った。
少し無茶で、でもワクワクするような提案。
彼女が笑顔を振りまくたびに、客席から笑い声が起きる。
先ほどまでの「冷たい沈黙」が嘘のように、会場全体が熱を帯びていく。
そして、その熱狂が暴走しないよう、後半では奏が静かに補足を入れる。
簡潔で的確なデータの提示。それが、ねねの夢物語に「実現性」という翼を与えていた。
感情を揺さぶる魔女と、それを支える冷徹な頭脳。
完璧なペアだった。
歓声が上がる。
熱狂。興奮。共感。
そこには、瑠璃が信じていた正しさの論理は存在せず、ただ、「楽しそう」「この人たちについていきたい」という感情の波だけ。
その圧倒的な光景を、舞台袖で見つめながら。
光莉の耳には、隣に立ち尽くす瑠璃の心が、音を立ててひび割れていく音がはっきりと聞こえていた。
――パリン。
それは、決定的な敗北の音だった。




