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先輩、私にだけ心の音がダダ漏れです。  作者: 如月白華


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持たざる者の生存戦略

 トーストの上のバターが、琥珀色の照明を受けて溶け出していた。

 けれど、光莉はどうしてもそれを口に運ぶ気になれなかった。

 目の前で微笑む九条ねねから発せられる空気が、あまりにも重く、切実だったからだ。


「……私の実家、知っているかしらぁ?」


 ねねは、溶けたバターをナイフで掬いながら、独り言のように呟いた。


「九条建設。……地方の企業よ。大きくもなければ、特別有名でもないわぁ」


 光莉は首を傾げた。西園寺家のような大財閥を想像していたから、少し拍子抜けした。

 けれど、ねねの表情は晴れない。


「でもね、古いのよぉ。『女は愛嬌、男を立てろ』『良縁を結んで家を支えろ』……そんな言葉が、未だに家訓みたいに生きているような、息の詰まる場所」


 彼女の声は甘い。けれど、そこには諦念と、微かな嫌悪が含まれていた。


「私に求められているのは、可愛らしく着飾って、ニコニコ笑って……親が決めた相手と結婚して、家に利益をもたらすことだけ。そこに私の意志なんて、少しも必要ないの」


 ねねは、自分の長い髪を指先でくるくると弄んだ。


「この学校に来たのは家の意向もあるけれど、それ以上に私が親元を離れたかったから。……でもね、すぐわかっちゃったの。このまま普通に卒業しても、結局は実家に連れ戻されるだけだって」


 ねねの瞳が、鈍く光った。

 それは、冷たい輝きだった。


「だから、私はこの島で『勝たなきゃ』いけないの」


 彼女は、身を乗り出した。


「合同生徒会に入れば、強力な推薦が、実家の手が届かないほどの『後ろ盾』が手に入る。……自分で、自分の将来のレールを敷き直すには、それしかないのよぉ」


 それが、彼女の戦う理由。

 瑠璃のような「王者の責務」ではない。

 自らの自由を勝ち取るための、必死の脱出劇。


「そのために、私は仮面を被ったわぁ」


 ねねは、自分の顔を両手で覆い、そしてパッと開いて無邪気に笑ってみせた。


「誰からも好かれて、誰からも警戒されず、無害で可愛い『九条ねね』。……道化を演じて、周りを油断させて、利用できるものは全部利用する」


 彼女の処世術。それは、持たざる者が強者に勝つための、唯一の武器。

 光莉は、その徹底した覚悟に息を呑んだ。


「……そして、私には最高のパートナーが必要だった」


 ねねの視線が、ふと遠くへ向けられる。その瞳の色が、少しだけ柔らかく変化した。


「誰とも群れず、冷たくて……一人ぼっちの天才」


「……常盤さん、ですね」


「ええ。あの子は最高よぉ。私の夢を叶えるための、最強の頭脳」


 ねねは満足そうに目を細めた。


「だから私、あの子に釣り糸を垂らしたの。あの子が一番欲しがっている『餌』をつけてねぇ」


 そう語るねねの口調は、まるで獲物を狙う狩人のようだった。

 けれど。


「……でもねぇ」


 ねねは、頬杖をついて、クスリと笑った。


「……あの子、本当に可愛いのよぉ」


「え?」


「嫌がりながらも私が渡したパンを食べてくれたり、放っておけない危うさがあったり。……なんだか、見ていて飽きないの」


 その声色には、先ほどまでの冷徹な計算高さとは違う、じっとりした湿度があった。


「最初は利用するつもりだったけれど……今は、あの子と一緒に勝ちたいって、本気で思ってるわ」


 ねねは最後の一切れのトーストを口に運ぶと、ナプキンで優雅に口元を拭った。

 そして、ふっと表情を戻し、不思議そうに瞬きをした。


「……あら、やだ」


 ねねは、自分の口元に手を当てた。


「私、どうしてこんな話をあなたにしているのかしらぁ」


 実家の事情。仮面の内側。そして奏への、自分でも整理しきれていない重たい感情。

 それは、敵であるはずの一年生に、ぺらぺらと喋っていい内容ではない。


 ねねは、じっと光莉を見つめた。

 鑑定するような、探るような視線。


「……おもしろいわね、光莉ちゃん」


「え?」


「あなた、不思議な空気を持っているわぁ」


 ねねは身を乗り出し、光莉の瞳を覗き込んだ。


「あなたが何も言わずに、ただ不安そうに、でも真っ直ぐに受け止めてくれるから。まるで深い井戸に向かって叫ぶみたいに……つい、溜め込んでいたものを吐き出したくなってしまう」


 光莉は驚いた。自分ではただ、圧倒されて黙っていただけだ。

 けれど、光莉が持つ「他人の音を敏感に察知し、否定せずに受け入れる」という性質は、孤独な人間にとって、抗いがたい引力を持っているのかもしれない。

 瑠璃が光莉を選んだ理由も、きっとそこにある。


「……やっぱり、あなたも立派な武器を持っているのかも知れないわねぇ」


 ねねは立ち上がり、伝票を手に取った。


「今日は付き合ってくれてありがとう。お代は私が払っておくわねぇ。……可愛い後輩に、秘密を喋らされちゃった『口止め料』」


 ねねは、光莉の肩にポン、と手を置いた。


「それじゃあ、また選挙で会いましょう。……お互い、負けられないものねぇ」


 ねねは、優雅に手を振ると、カランコロンとドアベルを鳴らして店を出て行った。


 光莉は、一人残された席で、冷めたコーヒーを見つめていた。

 窓の外、朝霧の中へ消えていくねねの背中。

 あんなにふわふわとした服を着ているのに、その背中には「自由」への渇望という、鋼のような芯が通っていた。


(……勝てるのかな)


 瑠璃先輩の「王道」と、九条先輩の「戦略」。

 正面からぶつかり合った時、砕けるのはどちらのガラスなのか。

 光莉は、胸の奥に刺さった小さな棘の痛みを感じながら、ただ呆然と座り込んでいた。

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