特権と嫉妬
選挙戦の中盤。
執行委員会室の大型モニターには、現時点での各ペアのスコアランキングが表示されていた。
1位:西園寺瑠璃・小林光莉ペア
2位:九条ねね・常盤奏ペア
「……当然の結果ね」
瑠璃は、モニターを見上げて満足げに頷いた。
「よかったわね、さすが白嶺の宝石様」
デスクの向こうで、純がやれやれと肩をすくめた。
その顔には皮肉を言いつつも、友人の復活を喜ぶ色が滲んでいる。
執行委員会室での作戦会議は、もはや日課となっていた。純から回される案件を瑠璃たちが解決し、その結果をここで共有する。あまりにもスムーズな連携。
光莉は、ふと抱いていた疑問を口にした。
「……あの、和泉先輩」
「なに?」
「私たち、ここに入り浸ってますけど……これって、いいんでしょうか」
光莉は、純と瑠璃を交互に見た。
「和泉先輩は執行委員長ですよね。特定の候補者である私たちに、こんなに便宜を図って……依怙贔屓になりませんか?」
案件の割り振りや、作戦会議の場所提供。
どう考えても、他の候補者より有利すぎる。
しかし、純は眉一つ動かさず、涼しい顔で答えた。
「問題ないわ」
「えっ、でも……」
「小林さん。選挙とは何だと思う?」
純はペンを回し、光莉を見据えた。
「それは『力の証明』よ。個人の能力だけでなく、その人間が持つ人脈、コネクション、動かせるリソース。それら全てを含めて『実力』とみなされる」
純は、隣の瑠璃へ視線を流した。
「瑠璃には、私というコネクションがあった。そして彼女はそれを有効に活用している。それは不正ではなく、彼女がこれまでに築き上げてきた『力』よ。誰に恥じることもないわ」
「そういうことよ」
瑠璃もまた、当然という顔で同意する。
「使える手札を使わずに負けるなんて、愚か者のすることだわ。わたくしは、勝つために最善を尽くしているだけ」
二人の理屈は冷たくも真実を射ていた。
このエリート校において、人脈も実力のうち。コネクションがないなら、それを作れなかった自分が悪い。そういうシビアな論理が支配している。
「……なるほど、そういうものなんですね」
光莉は頷いた。頭では理解できた。
けれど、胸の奥には小さな棘が残った。
(……理屈では正しくても、感情は別だ)
周りの生徒たちは、この状況をどう見ているのだろう。
賞賛する声ばかりではないはずだ。「ズルい」「不公平だ」という負の感情の音は、きっと水面下で渦巻いている。
光莉は、モニターの数字を見上げた。
その輝かしい一位という数字が、少しだけ不安に揺らいで見えた。
*
翌朝。
光莉は、いつもよりずっと早く目が覚めてしまった。
まだ寮生たちが寝静まっている時間。
気分転換に、少し外の空気を吸おうと、ジャージに着替えて寮を出た。
早朝の神輝島は、霧に包まれて静寂そのものだった。
まだ冷たい海風が、少し火照った頭を冷やしてくれる。
海岸沿いの遊歩道を一人で歩く。
波の音だけが聞こえる、平和な時間。
このまま、何も考えずに歩いていたい。
そう思っていた時だった。
「……」
前方から、一人の女子生徒が歩いてきた。
すれ違いざま。
光莉は軽く会釈をしようとした。
「――調子乗ってんじゃないわよ」
吐き捨てるような、低い声。
光莉は足を止めた。相手も立ち止まる。
振り返ると、見知らぬ同級生が、こちらを睨みつけていた。
「え……?」
「西園寺様にくっついてるだけの『金魚のフン』のくせに」
その瞳には、隠そうともしない侮蔑と嫉妬が燃えていた。
「自分じゃ何もできないくせに。……西園寺様に取り入って、執行委員長にも媚びて。ズルして一位になって、楽しい?」
「……っ」
言葉の刃が突き刺さる。
けれど、それ以上に光莉を襲ったのは、彼女から発せられる「音」だった。
耳をつんざくような、鋭利な金属音。
嫉妬、憎悪、羨望。
最近、智香や瑠璃との温かい時間に守られて忘れていた、あの不快なノイズが、暴力的な質量を持って鼓膜を叩いた。
(……痛い)
光莉は思わずこめかみを押さえた。
言い返せない。「ズルじゃない」と言っても、この相手には届かない。
だって、彼女の言う通りだ。瑠璃の力を借りているだけ。
「なんとか言いなさいよ。……それとも、図星で何も言えない?」
生徒が一歩、詰め寄ってくる。
光莉が後ずさりそうになった、その時だった。
「――あらぁ。朝から随分と元気なのねぇ」
背後から、柔らかく、けれど凍てつくような声がかかった。
その場にそぐわない、場違いなほど甘い響き。
光莉と、因縁をつけてきた生徒が同時に振り返る。
朝霧の中立っていたのは、九条ねねだった。
「く、九条先輩……?」
生徒が狼狽える。
ねねは、ゆっくりと歩み寄ってきた。その足取りは軽いのに、一歩近づくごとに、場の空気が重く支配されていく。
「聞こえちゃったわぁ。『金魚のフン』ですって?」
ねねは、生徒の目の前で立ち止まり、小首をかしげた。
ニコニコと笑っている。
けれど、光莉にはその瞳の奥の「無音」が見えた。
「言葉が過ぎるんじゃないかしら。……彼女は、あの西園寺瑠璃のパートナーよ? それは西園寺瑠璃の目が節穴と言っているのと同じ」
ねねの声は、毅然としていた。
「そして西園寺瑠璃を否定するということは、その相手と競っている私も否定されているということかしらぁ」
「い、いえっ! そんなつもりじゃ……!」
生徒の顔から血の気が引いていく。
ねねの纏う、底知れないプレッシャーに圧倒され、彼女は「す、すみませんでした!」と叫ぶと、逃げるように走り去っていった。
後に残されたのは、静寂と、波の音だけ。
光莉は、まだ震えが止まらない足で立っていた。
「……あ、あの」
お礼を言わなきゃ。
そう思って顔を上げると、ねねがくるりとこちらを向いた。
「大丈夫ぅ? 光莉ちゃん」
さっきまでの威圧感は消え失せ、いつもの甘い笑顔に戻っていた。
けれど、光莉は知ってしまった。
この柔らかな人の中に、鋭い針が隠されていることを。
そして何より、敵であるはずの自分が、なぜか助けられたという事実に、光莉はただ困惑するしかなかった。




