課されたハードル
穏やかな日常は形を変えて続いていくものらしい。
瑠璃の部屋での一件から数日後。光莉と瑠璃は、再び執行委員会室に呼び出されていた。
「さて」
和泉純は、デスクに広げられた資料を指差した。
そこには、『合同生徒会役員選挙 予選規定』という文字が並んでいる。
「合同生徒会から、今年度の選挙ルールの通達が来た。今回は、まず各校内での予選が行われることになる」
「予選、ですか?」
光莉が聞き返すと、純は静かに頷いた。
「神輝島には四つの学園があるけれど、本選に進めるのは各校から3組。まずは学内でその枠を勝ち取らなければならない」
純がモニターにスライドを表示させる。そこには『選抜基準』として二つの項目が示されていた。
学内生徒からの【支持投票数】
学内トラブル解決による【貢献ポイント】
「ルールは至ってシンプルよ。生徒一人一票を持つ支持票を集めること。そして、委員会や直接寄せられる依頼を解決してポイントを稼ぐこと。この二つの合計値で三組が決まる」
純の説明を聞いて、光莉は軽くめまいを覚えた。
貢献ポイントはまだわかる。仕事をして成果を出せばいいのだから。
問題は、一つ目だ。
支持票。つまり、人気投票のようなものだ。
目立つことが嫌いで、これまで影のように生きてきた自分に、赤の他人から支持される要素などあるわけがない。
「……支持なんて得られるんでしょうか」
思わず、弱気な本音がこぼれた。
「私なんて、クラスでも目立たない存在ですし……知名度なんて皆無です。私のせいで、先輩の足枷になってしまうんじゃ……」
うなだれる光莉の隣で、コトリとカップを置く音がした。
瑠璃は呆れたように、けれど冷静に光莉を見た。
「光莉。何を心配しているって?」
「え、だって……」
「知名度や支持なんて、勝手についてくるわ」
瑠璃は、落ち着いた口調で言った。
それは虚勢でもなければ、驕りでもない。
「わたくしは過去の生徒会選挙出場者で、執行委員。この学園にこれまでも尽くしてきてる。生徒たちがそれを見ていないはずがない。支持については、心配してないわ」
彼女にとって「支持されること」は、これまでの積み重ねに対する正当な対価なのだ。
「それに、そのわたくしが実力を認めて選んだパートナーであるあなただって支持されない理由がない」
瑠璃は光莉の手を取り、当然のように強く握った。
「胸を張りなさい。あなたは『西園寺瑠璃のペア』として恥じない存在なのだから」
その言葉は頼もしかった。
けれど同時に、光莉の胸に重くのしかかった。
先輩は、自らの輝きで道を作ってきた人だ。だから自信がある。
でも、その隣にいるだけの私に、みんなは価値を見出してくれるのだろうか。
純は、そんな二人の様子を黙って見つめる。
予選開始は、来週の月曜日。
猶予はほとんど残されていなかった。
*
翌日の昼休み。
光莉は、教室の机に突っ伏していた。
深いため息が漏れる。周りの楽しげなランチタイムの喧騒が、今は遠い世界の出来事のようだった。
頭の中を回るのは「支持票」の三文字ばかり。
(瑠璃先輩はあんな風に言ってくれたけど……)
現実は甘くない。
今朝だって、廊下ですれ違った生徒に「あの子が西園寺様のペア? 地味じゃない?」と囁かれたばかりだ。
トラブル解決の仕事なら、先輩の指示に従って必死に動けばいい。でも、「好かれること」や「名前を知ってもらうこと」は、努力だけでどうにかなるものなのだろうか。
「おーい、光莉ちゃん。死んでるよ?」
頭上から、明るい声が降ってきた。
のろのろと顔を上げると、遠山智香が心配そうに覗き込んでいる。手には購買のパンが握られていた。
「……智香ちゃん。……私、もうだめかも」
「えっ、何? まさか瑠璃先輩と喧嘩した?」
「違うよ……選挙のこと」
光莉は、体を起こして、昨日聞いたルールのことをポツリポツリと話した。
全校生徒からの投票が必要なこと。でも自分には知名度も人望もなく、どう動けばいいのかわからないこと。
「ふーん、なるほどねぇ」
智香は腕組みをして、うんうんと頷いた。
そして、太陽のような笑顔を見せた。
「なんだ、そんなこと。任せてよ!」
「……え?」
光莉は目を瞬かせた。
「私、手伝うよ! 光莉ちゃんの『マネージャー』、やってあげる!」
「ま、マネージャーって……」
光莉は困惑した。
「智香ちゃんは関係ないのに。それに余計な仕事が増えて、いいことないよ」
「メリットとかそういうのじゃないし。友達じゃん」
智香は光莉の背中を軽く叩いた。痛くはないけれど、その感触が少しだけ沈んだ心を浮上させる。
「それにね、光莉ちゃんは自分は地味だとか思ってるかもしれないけどさ」
智香は、少しだけ真面目な顔になって、光莉の目を見た。
「私、知ってるよ。光莉ちゃんが瑠璃先輩のこと、一生懸命支えようとしてるの。……そういう『いいところ』、みんなに知ってほしいんだよね」
「智香ちゃん……」
「私、これでも顔広いのよ。バスケ部にも手芸部にも知り合いいるし、購買のおばちゃんとも仲良しだし。私が光莉ちゃんのマネージャーになって、みんなに宣伝してあげる!」
智香は胸を張り、ウインクしてみせた。
「だからさ。……一人で悩んでないで、私を頼ってよ」
その根拠のない自信と、底抜けの明るさが、今の光莉には眩しかった。
瑠璃の圧倒的な実力とは違う。冷えた体を温めてくれる、陽だまりのような暖かさ。
一人で抱え込んでいた不安が、ふっと軽くなるのを感じた。
「……ありがとう」
光莉の口元に、久しぶりに自然な笑みが戻った。
「お願い、してもいい?」
「もちのろん! さあ、善は急げだよ! 作戦会議しよ!」
智香が椅子を引き寄せ、身を乗り出してくる。
静かに暮らしたかったはずの光莉の日常に、また一つ、賑やかな予定が書き込まれた。
けれど、それは決して悪い気分ではなかった。




