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先輩、私にだけ心の音がダダ漏れです。  作者: 如月白華


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side:奏_謎の先輩

 私は、静寂を好む。


 白嶺女子高等専門学校。この閉鎖された箱庭には、常に過剰なエネルギーが渦巻いている。

 クラスメイトたちの甲高い笑い声。嫉妬、羨望、焦燥。そういった粘着質な感情が、空気中を飽和している。私はそれらを遮断し、己の思考に没頭する。誰とも群れず、誰にも依存せず、ただ一人で完結する世界。

 それこそが、私が理想としている姿だった。


 そんな日常が変わり始めたのは、ある日の夕方のことだった。


 放課後の図書館で、レポートのための資料読みを終え、寮に戻った時のことだ。

 エントランスで革靴を脱ぎ、指定された番号の靴箱を開ける。スリッパを取り出そうとした手が、ふと止まった。


 取り出そうとしたスリッパの上に、一枚の封筒が置かれていた。


「……?」


 白無地の、何の変哲もない封筒。

 糊付けもされていない簡素なものだ。私は周囲を見渡した。エントランスには数人の生徒がいるが、誰もこちらを気にしていない。


 封筒を手に取り、裏返す。差出人の名前はない。中に入っていたのは、便箋が一枚だけ。

 そこには、丸みを帯びた独特の筆跡で、こう書かれていた。


『夕食のあと、東棟の一番奥にある談話室へいらして。あなたとお話がしたいの』


 それだけ。目的も、理由も、そして誰なのかも書かれていない。


(……非合理的だ)


 私は即座に、その紙をゴミ箱へ捨てようとした。

 悪戯か。いずれにせよ、私の時間を割く価値はない。

 指定された場所は、寮生たちがほとんど使わない、一番人気の少ない談話室だ。そんな場所へ呼び出す意図も怪しい。

 無視するのが最適解だ。


 そう結論づけて、私はスリッパに足を通した。はずだった。


「…………」


 なぜだろうか。私は、その手紙を捨てることができなかった。

 制服のポケットにねじ込み、自室へと戻る間も、その紙切れの存在が、小さな棘のように意識に引っかかっていた。


 文章からは、敵意を感じなかった。かといって、好意というほど熱っぽいものでもない。

 ただ、ふわりとした「誘い」。私の完璧な日常に紛れ込んだ、正体不明の変数。


 それを解明しないまま放置することは、私の心が許さなかったのかもしれない。



 夕食後。私は、東棟の廊下を歩いていた。

 すれ違う生徒もまばらな、静かなエリア。その突き当たりにある扉の前に立つ。


(……時間の無駄なら、即座に帰ればいい)


 自分に言い訳をして、私はノックもせずに扉を開けた。


 談話室の中は、オレンジ色の光だけがほのかに灯っていた。

 ほかに窓から差し込む月明かりだけが、室内の輪郭を浮かび上がらせている。

 その窓際のソファに、人影があった。


「あらぁ。来てくれたのねぇ」


 甘く、間延びした声。

 ソファに座っていたのは、小柄な上級生だった。

 色素の薄い茶色の髪はゆるく巻かれ、全体的にマシュマロか綿菓子のような、柔らかな雰囲気を纏っている。私と違う、女性的な雰囲気。ゆったりとした姿勢を取っているせいで、その身体の柔らかさが強調されている。


「……あなたは誰ですか」


 私は入り口に立ったまま、事務的に聞いた。


「差出人のない手紙で呼び出すなんて、マナー違反では」


「ごめんなさい。私は九条ねね。3年よ。うふふ、ごめんなさいねぇ。でも、あなたと話すにはこうするしかないと思って」


 ねねは悪びれもせず、手招きをした。


「こっちへいらっしゃいよぉ。お茶でもどう?」


「結構です。用件がないなら帰ります」


「用件なら、あるわよぉ」


 ねねは、首をこてんと傾げた。

 その垂れ気味の瞳が、細められる。


「私ね、ずっと見てたのぉ。図書館で、一人で本を読んでいるあなたを」


 私は眉をひそめた。


 監視されていた? いや、そんな気配はなかったはずだ。


「新入生はみんな、誰かと群れて、キャンキャン騒いでいるのに。……あなただけは、ずっと一人で、静かで、凛としていたわぁ」


 ねねが、ソファから立ち上がる。ゆっくりと、足音もなくこちらへ近づいてくる。

 彼女からは、威圧感を感じない。ただ、すべてを吸い込むような、底知れない雰囲気が漂っている。


「私、そういう『強い子』が大好きなの」


 ねねは、私の目の前で立ち止まり、上目遣いで私を見つめた。

 その距離、わずか数センチ。甘いお菓子のような香りが鼻をくすぐる。


「常盤奏さん。……私とペアを組んでくれないかしらぁ?」


「……は?」


 私は、あまりに突拍子のない提案に、素っ頓狂な声を出してしまった


「ペア? あの生徒会選挙のですか? ……お断りします。私は、そういう権力争いには興味がありません」


「あら、そう? でも、一人でいるのは好きでしょう?」


「……ええ。だからこそ、他人と組むなんて論外です」


「うふふ。それは違うわぁ」


 ねねが、白く柔らかい指先で、私のブレザーの襟元に触れた。


「一人でいるためにこそ、力が必要なのよぉ。……この学園で、誰にも邪魔されず、誰にも文句を言わせず、完璧な『静寂』を手に入れるには……一番偉くなっちゃうのが、手っ取り早いと思わない?」


「……っ」


 私は息を呑んだ。

 その論理は、あまりにも暴論で、そして奇妙なほど私の核心を突いていた。孤高を守るための権力。静寂のための闘争。


「私と組めば、あなたはもっと自由になれるわぁ。……私が、あなたのその素敵な静けさを、守ってあげる」


 ねねの瞳の奥が、月明かりで鈍く光った気がした。

 そこには、底のない空洞が広がっている。

 この人は、何を考えている? 何が目的だ? わからない。計算できない。

 この「九条ねね」という謎を解析できずにアラートを鳴らしている。


 けれど。

 そのすべてを飲みつくす雰囲気がなぜか不快ではなかった。

 むしろ、騒がしいこの学園で、初めて出会った「静寂」に、魅入られそうになっていた。


「……メリットの提示が不十分です」


 私は、かろうじて論理の盾を構えた。


「立候補したら周囲は騒がしくなるでしょうし、負けたらデメリットは大きい。あなたが私を守れるという根拠は?」


「んー……」


 ねねは、口元に指を当てて考え込み、そして花が咲くように笑った。


「秘密ぅ。……ペアになってくれたら、教えてあげる」


 それは、甘く危険な誘惑だった。

 私はため息をついた。無視して帰るべきだった。そうすれば、私の計算通りの日常が続いただろうに。


 でも、どうやら私は、自分が思うよりもずっと、この人に興味を持ってしまったらしい。


「……話だけなら、聞きます」


 私がそう答えると、ねねは「やったぁ」と無邪気に喜び、強く、私に抱きついてきた。

 甘い匂いと、やわらかな感触。そして底の見えない瞳。

 私の静寂な日常が、この綿菓子のような先輩によって侵食され始めた瞬間だった。

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