理解したノイズ
「教えてあげるわ。あの子が、なぜ『完璧』であろうとするのか」
純は、カップの縁を指でなぞりながら、静かに語り始めた。
その声は、古いレコードのように柔らかく、どこか物悲しかった。
「私と瑠璃は、一年の時、選挙で戦ったわ。……当時の瑠璃も、今と同じように圧倒的だった。西園寺家の令嬢、誰もが見惚れる容姿、そして知性。誰もが彼女の勝利を疑わなかった」
「……でも、負けたんですよね」
光莉が恐る恐る口を挟むと、純は頷いた。
「ええ。あと一歩のところで生徒会の座を逃した」
純の瞳が、冷ややかな光を帯びる。
「彼女の敗因は、『完璧すぎたこと』よ」
「完璧すぎた……?」
「当時の彼女のペアは、瑠璃を信頼していたわ。いえ、あの信頼は『崇拝』と言い換えてもいい。瑠璃の言うことは全て正しい、彼女に従えば間違いない、とね」
純は皮肉っぽく笑った。
「瑠璃も自信があった。自分が一年生であっても、自分がすべてをコントロールして、ペアを導けると信じていた。……けれど、とある戦いで、瑠璃からの指示がパートナーに届かないという場面が起きた」
純の言葉が一瞬止まる。
「その時、残されたパートナーはどうしたと思う?」
「……え」
「何もしなかったのよ。ただ、立ち尽くして、指示を待っていた。『瑠璃がいないと何も決められない』と、思考停止していたから」
光莉は息を呑んだ。入学式、懇親会、食堂。
瑠璃が現れたところではだれもが動きを止め、その姿に見惚れる。その一挙手一投足が完璧で、正しいものだと信じているから。その光景が、敗北の景色と重なる。
「結果、対応が遅れて、彼女たちは負けた。……その時、瑠璃は悟ったのよ。『私が完璧でなければ、周りは動けない』『一度でも弱みを見せれば、すべてが終わる』とね」
純の声が、少しだけ沈んだ音色になる。
「それ以来、彼女は自分をより高く『完璧な偶像』として作り変えた。誰にも頼らず、誰にも弱音を吐かず、すべての重圧を一人で背負い込む……孤独な女王の誕生よ」
光莉の脳裏に、パートナーの指名宣言の時、わずかに震えていた瑠璃の姿が重なる。
あれは、トラウマによる防衛反応だったのだ。人前で弱さを見せたら、また負ける。また失望される。だから、指が白くなるほど握りしめて、虚勢を張り続けるしかない。
「……でも、それではだめなの」
純は、光莉を見据えた。
「瑠璃がいくら完璧でも、一人では戦えないと私は思う。瑠璃にもパートナーは必要。でもそれは、彼女を崇拝して思考停止する信者じゃない」
純の言葉が、確信を持って光莉に突き刺さる。
「彼女の『完璧』に惑わされず、その裏にある『弱さ』を見抜き、そして……彼女が間違った時に、『それは違う』と言える、対等な人」
純は、カップを置いた。カチャン、と硬質な音が、光莉の背中を押すように響いた。
「それが、あなたよ。小林光莉さん」
光莉は、言葉を失った。
「瑠璃も同じように考えているんだと思う。そうじゃなければ、もっと扱いやすい子を選ぶに決まっているもの」
私が感じていた「不協和音」の正体。そして、瑠璃が私を選んだ理由。「直感」と言った瑠璃の言葉は、嘘じゃなかったのかもしれない。彼女は自分を崇拝しない、自分のことを聞き取ってくれる誰かを、必死で探していたのだ。
(……それが、私?)
重い。あまりにも。
巻き込まれたくないと思っていた。静かに暮らしたかった。けれど、わけのわからないノイズだと思っていたものが、誰かの感情だとわかった瞬間、光莉の中で何かが変わり始めた。
もう、耳を塞ぐことはできない。
「……わかりました」
光莉は、顔を上げた。
「理由は、わかりました。……でも、私に何ができるかは、まだわかりません」
「それでいいわ」
純は、満足げに微笑んだ。
「まずは、彼女のことを聞いてあげて。……まっすぐにね」




