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「確か、彼らは実際にはテロルの行われる予定の場所や日時を指定しなかったと記憶していますが?」と門馬。「違いましたか?」
「ええ、その通りです」と宮路が答える。「最初に電話を掛けてきた女は、そこまで会を裏切る決心ができていなかったのかもしれません」
その答えに門馬が腕組みして呟く。
「ふうむ。その辺りが、『最初はフェアプレー』の意味でしょうか? だが、それにしてもわからないな」と門馬が首を傾げる。「宮路さん、聖紫光臨会の例では、結果的に何名が裏切りに走ったのですか?」
「男一名、女二名の計三名です」と宮路。「そして、その全員がテロルについて仄めかしただけでした」
「ということは、今回のテロル予告=仄めかしは、わたしの父親には出来たのだから息子にもそれができるだろうという挑戦ですかね?」
「さあ、そこまでは…… それに聖紫光臨会の残党が今回の事件に関わっているという確証もありません」
「まあ、それはそうですね。ですが……」
「ですが?」
「予告犯が指定した期日はわずか三日間です。だから我々には時間がありません。しかも、いまは年末です。むやみやたらと警察官を動員することも出来ないでしょう。無駄に人心に不安を煽っても仕方がない」
「それはそうでしょうが、犯罪を未然に防ぐためならば、情報発信も考えに入れておかなければ……」
「いいえ、今回の組織は、たとえテロル予告をテレビ発表したところで、計画を中止したりはしないでしょう。さらに予告犯の自信に満ちた態度からすれば、同時多発を狙っているとも考えられます。ですから……」
「ですから?」
「まず道を一本に絞りましょう。モーターショー関連で行きます!」
そして門馬は低音だが良く通る声で、もう一度対策室の各エキスパートたちに命令を告げる。
「現時点で、わたしの方から、いま以上の絞込み指示は出しません。皆さん、独自の判断で情報を入手してください。お願いしますよ」
門馬のその命令に答えて各エキスパートたちが一斉に返答し、各自の仕事に取りかかってゆく。
「国家広域安全対策室の動きはどうですか?」と配下の通信担当員に尋ねるのは、通信回線を介して広音域にイコライズされた音声だ。「わたしたちの計算通りに動いていますか?」
それに対して通信員が答える。「モーターショーに狙いを定めて情報を収集しはじめた模様ですが、そのことに関する確証はないようです」
「あはん。では勘ということですか? あるいは単なる状況判断?」
「尊士、いまのはご質問でしょうか? それとも……」
「ああ、別に答えなくて良いです。仕掛けが簡単過ぎたということかもしれませんね。それでは別の件について尋ねます。例の件=マイナス2計画は進んでいますか?」
「はい、尊士のお望みのままに……」
「それでは、マイナス1計画はどうでしょう?」
「もちろん、そちらも尊士のお望みのままに……」
「よろしい。……ですが、くれぐれも油断はしないでくださいね。敵は馬鹿ではありません。わたしたちよりは劣るかもしれませんが、国家のエリート集団です。わかっていますね」
「はい、それはもちろん」と言って、通信担当員は額に浮かんだ汗を拭く。心の中で、(どうしてこれほど緊張するのだろうか?)と自問する。
これまでに尊士の尊顔を見たものは、結社内にほとんどいない。もちろん通信担当員も、その一人だ。だが今回の計画が成功し、国家転覆の足がかりが掴めた暁には、尊士はごく一部の選ばれたものに、その正体を明かすと明言している。
早くその尊顔を拝見したいものだ、と通信担当員は願う。そのためには、わずかなミスも許されない。尊士から自分に与えられた命令を粛々と着実にこなすだけだ。
尊士はとても慎重な性格をしている、と通信担当員は回顧する。自分が現在のこの仕事に抜擢されたとき、尊士はそれまでの通信担当員の結社内外での行動を極めて正確に彼に要約し、通信担当員の肝を冷やしめている。それは、(いったい、どうやって自分の行動のすべてを監視していたのだろうか?)と通信担当員を不思議がらせ、不安がらせ、否が応でも、その神聖を認めさせる行為、行動。さらに高音域にイコライズされたその音声が、音の中に含まれる多くのノイズにも拘らず極めて鮮明に部員たちの耳に届くその不思議さに、次々と結社構成員たちの心が洗脳されてゆく。
尊士の側から見れば、それらは単に人間工学や技術的な問題に過ぎなかったが、結社構成員の側から見れば、それは尊士の神聖を高らしめる行為となり、また尊士に忠誠を誓わしめる原動力ともなっている。
その秘密のメカニズムのひとつは尊士が結社構成員に励行している行動記録(日記)であり、別のひとつは毎日必ず三十回詠唱させている呪文を記した構成員証であり、また別のひとつは音声解析専門家のアドバイスである。
結社はその構成員すべてに携帯型PCを与えて、それに日記を書くように命じているが、そのPCでは常にマイクがオンになっており、使用者の思わぬ独り言が尊士に筒抜けになるように仕組まれている。また構成員証にはICタグが埋め込まれており、それがGPSを介してターゲットに定めた構成員の位置情報を提供する。音声に関しては――光線の緑色と同じで――人間の耳にもっとも聞こえ易い周波数帯域があると言うに過ぎない。
このようにメカニズム自体は単純だったが、誰でもそれを十全に利用できるとは限らない。その意味では秘密結社「パープル・ライト」の首領=尊士は、かなり有能だったと言えるだろう。ホーリィNが増やし、そして失った――手に職があり、有能で、かつ命令服従傾向のある――元信者を必要数まで回復し、今回のテロルを計画したのだから……
ただし尊士は狂っている。偶然と必然から過去に尊士に与えられた複数の教育や治療や情報が、ゆっくりと着実に尊士を狂気に追いやったのだ。その狂気を最初に意識せずに尊士に仕掛け埋め込んだのは聖紫光臨会のホーリィNの説教だったが、それを起動させ、ついきは発動させたのは、複数の心の想いが生んだ悲しいボタンの掛け違いだと、後に判明することになる。