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突然の嫁入り

 その日もどうにか仕事を終え、へろへろで家路に着く。

 長屋まで歩くには距離がかかるが、それでも歩けないことはないので頑張って歩く。今日も洗い物多数で、私の爪先は割れ、指も掌もボロボロだったが、吹き抜ける風だけが心地いい。


「はあ……せめてお父さんの次の事業が上手く行ったらいいのだけれど」


 私はそうのんびりと言う。というより、行ってくれないと困る。

 あまりにも貧乏な中村家、あまりに貧乏が過ぎて娘を嫁に出せるほどの結納金も用意できなかった。

 そこまで結婚願望がある訳でもないけれど、あまりに貧乏な我が家からひとり抜ければ少しは食費が浮くのではないかという親切心があった。

 私自身の働きでは、長屋の家賃の支払いが精一杯で、結納金まで貯まらない。夕餉のための湯気がもうもうと立ち昇るのを眺めながら、やっとこさ辿り着いた長屋へと帰る。


「ただいま戻りました……」

「い、いろり……!!」


 途端に母が飛び込んできた。母は本当に珍しく頬を紅潮させ、目を爛々と輝かせている。それに私は目をパチリとさせた。


「なに?」

「あなたに! 縁談が届いたのよ!」

「……縁談? どうして……というかどうやって? 私が嫁入りって無理じゃない?」

「それがねえ! 向こうの好意で、持参金タダでぜひとも嫁に来て欲しいって! すごいじゃない!」

「え、ええ……?」


 それにはさすがに困惑した。

 そんな貧乏な中村家にとって都合のいい婚姻が存在するとは思えなかったのだ。

 父は貧乏でも全く気にする人ではないし、母もそれに慣れっこになっているが。兄は中村家のあまりにもの貧乏に嫌気が差して、ある日を境に家出して帰ってこなくなってしまった。既に兄の顔を忘れかけている。

 世の中金が全てではないとは言うが、金がないからと足下を見る人がいくらでもいることくらいは、そこまで長い人生歩んでいる訳じゃない私であっても想像ができる。


「それ、騙されてない?」


 当然ながら口にしてしまった。そう言った途端に、「そうね!」と母に爆笑されてしまった。


「あなただったらそう言うと思ったわ。でもねえ。お父さんの知人から来た縁談だから、そこまで問題ないと思うわ」

「いや、たしかにお父さん、貧乏でも何故か人間関係の運だけは妙にいい人だけれど」

「うん、そうだよ。お父さんもまさかこんな良縁来るとは思ってなかったんだけど」


 そう言いながらガラリと戸を開けて、父は帰ってきた。土産になにか持って帰ってきたと思ったら、貴重なチョコレートだったことに、私はぎょっと目を開く。


「チョコレート……どうしたの、これ」

「先方が娘さんにどうぞと。向こうからも切実な嫁取りだから、いろりが文句ないのだったら受けようかと思っているけれど」


 母の料理を手伝いながら、いきなりやってきた縁談に困り果てる。毎年晴れ着を買って、それを着潰しながら生活している。そんな貧乏な家が切実な嫁取りで私を選ぶというのが、意味がわからな過ぎるのだった。

 汁物と雑穀米と漬物。あとチョコレートを三等分して今晩の食事になった。正直職場の昼ご飯のほうがよっぽどまともなものを食べているが、貧乏だから仕方ないと諦めている。

 汁物と雑穀米を食べながら、いろりは尋ねた。


「それで……向こうの切実な嫁取りって?」

「なんでもねえ、鎮目しずめさんのところに嫁に来られる人がほとんどいないって」

「鎮目って……鎮目!? 有名風水師一族の!?」


 思わず叫んだら喉に汁物の浮き実が貼り付き、息ができなくなる。私が目を白黒させている中、父はコリコリと漬物を囓りながら続けた。


「そう、鎮目さん家。あそこには一度うちの家の貧乏神の血をなんとかできないかと聞いたんだけどねえ。『風水じゃ無理』って言われちゃったよ。はっはっはっはっは……」

「それ笑い事なんですか……お兄ちゃん出てったっきり戻ってこないし」

「あの子も中村家の子だから、命だけは無事なはずだよ。話を戻すけど、あの風水家も結婚の条件が合わずに、破談がずっと続いていてねえ。次期当主の婚姻がまとまらず、どうしたものかと思っていたら、ちょうど当主がいろりを見つけてねえ……」


 そういえば。掃除中に出会った狩衣の人を思い出した。


(……あの人、まさか鎮目家の今の当主さん? そんな人に私、粗相を……あれ、でもそこで私のなにを見て、嫁取りの話を持ち込んできたんだ?)


「事情はわかりましたけど……でも鎮目家の嫁入りに私が行って大丈夫なんですかね。私、長屋暮らし以外知りませんし、風水師の妻ってものをなにすればいいのかなんて、わからないんですけど……」


 そもそもずっと働いていた私が、花嫁修業なんてしている訳がなく。

 せいぜい母にならって料理と、仕事上掃除だけはよくできるくらいだ。いわゆる格式高い生活というものを、私はなにひとつ知らない。

 それに対して父はきっぱりと言う。


「むしろそのままでいいから、すぐ来てくれと」

「マジですか。私、いきなり嫁入りして、姑にいびられるとかしません?」

「それは大丈夫かと」


 釈然としないが、父の知人の知人からの打診ということは、中村家が貧乏なこと、結納金が支払えないことは知っているはずだろう。

 そもそも貧乏神の子孫だと知っているはずの鎮目家が何故名指しで打診なのかさっぱりわからないけれど。

 私は母を思った。

 貧乏が過ぎて、働きに行っている父と私に食事を優先的に分け与えて、母の口にはなかなかおかずが入らない。それに申し訳ない。


「……私ひとり分の食事が浮くようになるなら、それで」


 こうして、なんの用意もできないまま、着の身着のままで嫁入りが決まってしまったのだった。

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