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渡りに舟

「すまないね、いろり。また店が潰れた」

「またですか」

「またなんだよなあ……」


 私はがっくりとうな垂れた。いい加減日当たりのいい家に引っ越したい。

 そうは言っても、出すものが出せないのでどうしようもなかった。


****


 既に文明開化と呼ばれる明治に入ってから、数年経っている。

 大都会には瓦斯灯が建ち並び、夜になっても明るいのだとか、鉄道のおかげでどこにでも行けるようになったとか。大金持ちだったら鉄の車を乗り回せるようになったとか噂を聞いているが、この下町ではそんな話は無縁だった。

 ごみごみとした北側の狭い長屋で、皆で井戸で顔を洗い、銭湯で風呂を借り、煎餅布団で寝る。それが中村家なかむらけの生活であった。

 元々長屋で暮らす人々は貧乏だが、とりわけ中村家は夫婦と年頃の娘の三人家族なのだから、その貧乏っぷりは深刻だった。


「まあ、お父さん。また店が潰れたの。折角軌道に乗ったのに」

「あっはっはっは。そうなんだよなあ。うちの店がよその大店と商売内容が被ったって、それはもうとっちめられてねえ……うちの店子がどうにかそちらの大店に引き取ってもらえてよかったよ。本当に」

「それはよかった」


 明治の世に入って、雑穀米と漬物で生活する中村家。着物は古着屋で買ってきたものをいつまでもいつまでも着ているため、すっかりと薄くなってしまっている。


「これだけ貧乏なのに、私たち飢えないから、そこは便利ね」

「そうだろそうだろ。ご先祖様のおかげだなあ」

「いや、それもどうなのよ。誰にも言えないわ、うちが貧乏な原因が、先祖に貧乏神がいるからだなんて」


 貧乏神。家に取り憑いたら、その家をたちどころに傾けてしまうと言われているそれ。

 どうもお人好しの先祖は、行く場所がなかった貧乏神にご飯をあげたらそのまんまいつかれてしまい、結婚してしまったらしい。最初から最後まで訳がわからないが。

 そのせいか、中村家は本来だったらそこそこ身分のある旗本だったらしいが、幕末の頃にはすっかりと落ちぶれてしまい、借金に喘ぎながら生活して、とうとう御家人株を売っ払ってしまい、見事武士の格すら消失。起業をする才能はあれども、その事業が長続きすることはなく、どんどん失敗していくという負の連鎖を続けていた。

 しかし不思議なことに。これだけ貧乏になったら消えていく縁が、何故か消えないのが我が家のおかしなところであった。

 普通に代々嫁入り婿入りで子孫が途切れることがない。事業を失敗して借金で喘いでいても、何故かなんとかなる。

 その上。どれだけ貧乏をこじらせていても、貧乏で一番怖い病気というものにちっともかからない変な体質を持っていた。


「普通、これだけ健康だったら、文句はないとは思うけど。健康だとお腹が空くのよ」


 年頃の娘が、雑穀米一杯と漬物一枚だけで足りるはずもなく、常にお腹を空かせていた。

 世の中にはおしゃれな食べ物がたくさんあるという。

 ビスケット、チョコレート、キャンディー、パン。長屋ではなかなか食べられないものだ。大きな店に行かないと買えないらしいそれは、私が仕事に行くと耳にする食べ物であった。

 夕食が終わった私は、明かりを落とすとそのまま眠りについた。明日はたくさん仕事があるのだから、頑張らないといけないと、そう思いながら。

 貧乏神の子孫だからって、泣き寝入りする気はない。私は心身共に頑丈なのだから。


****


 私が働きに出ていたのは、華族邸の女中だった。

 華族の家の家事全般が主な仕事だったのだけれど、いくら人手があるとはいえど、それはそれは大変な仕事だ。

 洋風に立てられた家の窓掃除は、手がひび割れてもしないと怒られる。床掃除はもっと大変だ。ここの家の当主の洋風贔屓のおかげで、全員土足で家を出入りしているのだから、毎日雑巾拭きをしないと足跡が残ったままなのだから。

 本来ならば住み込みの仕事なのだけれど、それを勘弁してもらえたのは、ひとえにここが父の知り合いの家だからである。

 お父さん、すぐ事業失敗する割には友達が多いから……住み込みにしないのだって、私に嫁入りの話が来たらすぐ嫁げるようにだもんね……。

 仕事自体はきつくてつらいが、それでもやりがいはある。

 掃除をしながら庭木を見るのは楽しいし、華族邸に出入りする人々を眺めるのは面白い。この家のお嬢様たちがなにかやっているのを遠巻きにみる分には邪魔にならないのだから、掃除と洗濯をして腰と手を痛めながらも、それを眺めるのが常だった。

 そんなある日、華族邸に風変わりな人がやってきた。

 この洋風贔屓の当主にしては客人が珍しく、狩衣に烏帽子を被った、ちょうど神社の宮司のような格好の人だったのである。

 昨今は神仏分離のおかげで寺社仏閣も大変らしく、近所の神社の氏神の名前が変わった。氏子に寄付でも頼みに来たんだろうか。そう思いながら、窓の縁を拭いていた中、その初老の人は驚いたように私を見てきたのである。

 当主は「どうなさいましたか?」と尋ねると、狩衣の人は私のほうを気にしながら言う。


「……あの、彼女は?」

「ああ、知人の娘さんですよ。うちの女中をしてくれています」

「……もしかして、彼女は中村家の……?」

「はい」


 初老の男性はなにか言いたげにしたあと、そのまんま当主と一緒にどこかに言ってしまった。

 私は「はい?」と首を捻りながらその様子を見送った。

 事業失敗続きの中村家が、まさか神社の宮司にまで知られているなんて思いもしなかった。


(お父さん、私全然知らない人にまで知られてたわ。これが原因で嫁入りの話が来なくならないといいけれど)


 ところが、思いもよらぬ話が舞い込んでくるのだが、暢気者の私はそんなこと気付きもしなかったのである。

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