音の大冒険
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
家に眠っている楽器となると、今のところはこんな感じかな。
リコーダーに鍵盤ハーモニカ、それにカスタネット……うーん、いかにも最低限の音楽教育しか受けていません、というメッセージがひしひしと。
楽器て、本格的にやろうとすると、ものすごくお金がかかるらしいじゃん。吹奏楽部に入った友達の受け売りなんだけどさ。
大枚はたいて手に入れたもんだから、おいそれと扱うわけにもいかない。
それなりの値が張るっていうのは、同時に買った人の緊張の糸を張りなおす意味合いもあるんじゃないかな。さしたる役目も果たせないうちに壊しちゃったら、大損害だし。
音楽の歴史は生活の歴史といわれる。
今ほど獣から身を守るすべが限られる古代においては、大きな音をもって退かせるのが有効な手段のひとつだったろう。心身を守る術として、音の紡ぎ方が洗練されていったのは想像に難くない。
音楽は何も公演といった、公の機会ばかりに出番を求められない。ひっそりとした「私演」の機会はすぐそばにあるもの。
公演に劣らない力を持ち、そして目にできる機会も多いとは限らないもの。
僕の以前の話なんだけど、聞いてみないかい?
目覚めに、何かしらの音を鳴らすというのは、古典的な手法だと思う。
目覚まし時計のお世話になる人は多いだろうし、小鳥のさえずり、鶏の鳴き声で目を覚ますとかはお約束の演出といえる。
僕の家の場合は、ピアノの音色だった。
当時、一緒に暮らしていた姉が音楽好きでね。僕より早く目覚めては、家の一階にあるアップライトピアノを演奏する日がほとんどだった。
音感があるんだと、自負してやまない姉。実際、一度聞いただけのCMソングとかを即興で演奏してみせたから、伊達ではないのだろう。元より楽曲にも興味があったようだから、ピアノ演奏は趣味のようなものだったのだと思う。
気分によって弾くものは変える、とのこと。
僕の知っている最近の曲から、家に楽譜があっただろうクラシックまで幅広くこなすんだけど、ときたま意味不明な音を奏でるときがある。
単に僕がご存じないというわけじゃない。メロディというより、音の羅列。でたらめにキーボードで文字打つような感じさ。
音こそいかにも作業しているが、パソコンのディスプレイに映し出されるのは、意味不明な文章だろう? あれの音バージョンだと思ってもらうといい。
聴覚は確かに音をとらえるけれど、脳はその意味を十分に咀嚼し、飲み込む力が不足している。整った雑音ともいうべき、不可思議なボイスの海がそこにある。
でたらめに弾いているなら、こうはいかない。
姉の奏でる音には、素人目ならぬ素人耳にも分かる抑揚があった。音と音の境目に間を置くことだってある。やたらめったらの乱打じゃないんだ。
ひとつ屋根の下で暮らしていれば、それらを何度も耳にする。人の好みに理由なんてないかもしれないが、僕の方で気になってね。
ついにある朝、僕はくだんの音が聞こえてくるのを確かめるや、飛び起きてピアノの元へ向かったんだ。
今はほぼ倉庫と化した書斎の一角。
そこに置かれたアップライトピアノは、祖母の代からここにあるとの話だ。近所迷惑になることに配慮して、屋根の部分は久しく開いてはいないようだけどね。
上部にはテーブルクロスのような生地が敷かれ、メトロノームとかどこかの音楽グループのサインが入った色紙などが飾ってある。
脇には新旧様々な譜面を中に携えた戸棚。そのガラス戸からのぞく背表紙だけで、どれほどの手あかがにじんだか、一目瞭然なものも多い。
そのピアノの鍵盤の前に、姉が座っている。寝間着姿のまま、髪もロクにとかすことなくあちこちに寝ぐせをくっつけていた。
そのことも、訪れた弟のことも気にする様子はなく、姉は演奏を続けている。
いや、こうして間近に聞くと、やはり「演じて」いるのだろうか。
ダンパーペダルをふんだんに使い、伸ばした音そのままに新たな展開を重ねていく。
ひとしきり響かせた後に、姉はようやく息をついて手を止めながら、ようやく僕の存在を認めた。
「ちょうどいいところに来た。これお願い」
人の事情を聞かないマイペースさはいつものことだけど、僕が押し付けられたのはトライアングルとバチ。
よく手入れされているらしく、その銀色の肌には、のぞき込む僕の顔がうっすら映し出されるほどだ。
「これから『音の大冒険』するから。ちょうど大変なところなんだよ。手を貸して」
わけがわからないが、姉いわく、自分がときどき意味の分からない演奏をしたのは、この『音の大冒険』のためだとか。
僕たちが地球という地面に、足をつけることで生活しているように、音の大冒険の主人公は「音」を足場にしている。
そいつをどう奏でるかが、現実の地形と同じく起伏となりカーブになり、橋となるだろう、と。
「当然、それらが乱れたら現実で生じる災害と似たようなもんよ。だから整った調子でお願いしたいわけ。そこで……」
姉が言いかけたところで、家全体にとどろくほどの音が頭上から襲った。
雷じゃない。飛行機のエンジン音の方が近い。
けれども、音は急に現れたんだ。飛行機のそれだったら、遠くから近づき、また遠のいていくまで長鳴りしていくはず。
それが、先ほどまでいなかった空間にいきなり現れ、いなくなったように、音は短く響いたのちにすっかり消えてしまう。
「……と、もう来ちゃった。じゃあ、あたしががんがん「道」作るから、あんたはトライアングルお願い。叩くときは「今!」というから、とちらないでよ」
言うや早いが、同音連打。
中指、人差し指、親指と滑らかに指を変えながら、鍵盤とハンマーが上がりきる絶妙なタイミングで、駆け足のように音が走っていく。
そう、駆け足だ。
間近で音を聞いているゆえか、寝床で聞くよりもよっぽどイメージが湧く。
いま、姉のいう主人公は気力にあふれ、前へ駆け出しているんだ。そこへ追い付くべく、姉は音を次々に打ち出している。
同音の連打は平地の再現。オクターブが変わればそれが斜面の入り口だ。そのいずれの音も下手に途切れさせまいと、ペダルはまた酷使の道をたどる。
そうこうしているうちに、姉がときおり「今!」と叫ぶ。僕がトライアングルを打ち鳴らすときは、姉の演奏もストップする。
金属製の長鳴りは、ゆるやかな波となって書斎の空間へしばし漂っていく。目を閉じれば、やわらかくそよぐ川面の姿が浮かぶかのような響きだった。
そうか、いまは主人公が泳ぐのだ。
それが大海原か近所の川か、それともちょっとした池なのかは分からない。
そのくぐる水を突っ切ろうとするのを、波穏やかにしてサポートしていくんだ。
トライアングルが波紋なら、姉のピアノは水の流れ。連打を終えたピアノの鍵盤は、今はのびのびと音を広げながら、ときおりアルペジオを織り交ぜる。
高き音より低き音へ。いま主人公は高きより落ちる水に乗って、一段と深みへ至ったのだろう。
120秒前後で主人公はもう2度は水をくぐっただろうか。
岸へ上がり、森を歩き、ときに立ち止まっては切り株へ腰かけ、鳥のさえずりか、いずこからか聞こえてくる羊飼いのホルンか、あるいは遠き王宮よりのトランペットに耳を傾ける。
姉の顔にはもういくつも玉のような汗が浮かび、それら主人公の道程をピアノひとつでもって整えていたんだ。力の入れようが並じゃない。
大変なところというのも、でたらめではないか……と感心しかけたところで、部屋の外から声がする。
母親だった。朝ご飯ができたことを伝える言葉だったが、そいつがちょうど姉の「今!」と重なり、わずかに僕はタイミングを損なう。
「今!」と、もう一度姉が語気を強めていうが、今度はそいつがトライアングルの響きに重なり、初動の震えをかき消してしまった。
次の瞬間。階上から重苦しく壊れる音と一緒に、バケツの中身をひっくり返したような水音が続いた。
つい顔をあげたとき、この書斎の天井の一か所に真新しい水のシミがじわじわ広がっていくのが、目に映ったんだ。
姉はまた、始まりと同じような同音連打に切り替え。
それをじょじょに弱く、ゆるやかに変化させながらフェードアウトさせる。予定と違うが、冒険は無理やり中断させたという。主人公も何とか軟着陸させた格好だと。
このとき、少し前には母親とおぼしき足音が二階へ駆けあがってしまっている。演奏を中断した僕たちも、それを追いかける形になった。
書斎の真上にある子供部屋。そこの屋根の一部が割れて空がのぞくとともに、部屋全体がとっぷりと、くるぶしまで隠れるほど冠水している。
晴れの続いた陽気だった。これが雨水だとしてもおかしなことだけど、水たちは嗅いですぐ分かる磯の香りに満ち、味もまた顔をしかめたくなる塩味に満ちていた。
知る限り、近いものは海水だ。海より何十キロも離れているのに、降ってわいた海水だ。
家族総出で水を掻きだすことになったが、僕と姉には分かっている。
音を失った主人公の、泳いでいる海の「底」が抜けて、もろともにここへ落ちてきたんだ。
それを姉がぐんぐん音を束ねて盛り返し、空のかなたへ押し返した。いまごろ姉の語る主人公は、押し上げられた先でもって休息をとっているんだろう。
大冒険はそれから2か月に及び、あの旅の調べを姉が紡ぐことはなくなった。僕の手伝いももう、必要としなかった。
でもそれは終わりじゃない。主人公はここではない遠くへ、出かけていっただけなんだ。
いずれまた戻ってくるときがあるか分からない。そのときにまた、歩むべき道を整えられるといいのだけど、と話していたっけ。




