報告
結論から言うと出発は翌日の早朝になった。
体一つで向かうよりも、予め空荷の馬を先行させて、乗り継いだほうが速いという、戦士長の提案が採用された。村や街を結ぶ街道ではなく最短距離の軍用路を全速で走り抜ければ、3日で着くという。行商人が街道を使い、荷馬車で行けば軽く20日以上、軍用路で兵士の行軍でも通常は7日かかることを考えれば驚異的だ。さらに、魔獣の準備も思いのほか時間がかかっているという。せめて一晩くれという職人たちの要望も無理はない。
そういうわけでせっかく着替えたのだが、更に普段のドレスに着替え、兄様、いや、陛下への説明のために王宮の会議室に詰めている。追いついたルード様、モルドア様に、司令部からクリアト様も同席している。侍女長のリハーナとファルは私の後ろに控えている。
「つまりお前は」
陛下がこめかみに手を当てつつ私に問いかける
「その魔獣に生涯不離の誓約をし、魔獣もそれを受けたと、そういうことか?」
「・・ひゃい」
「・・はーーーーーーー」
兄様ならそういうリアクションになるだろうなあとは思っていた。お父様のリアクションも怖いなあ。
「ですがその生涯がどの程度のものかはわかりませんよ?あと3日かもしれませんし」
私がそういうと、兄様はさっと顔色を変えた。話の本題に入れる空気になった。
「とにかく、ピガール要塞にあの魔獣と参ります。戦い、勝利することが大前提で、そのためならなんでもする、それだけです。もともとそのつもりでしたもの。少し想像と違うだけです。考えるべきはそこだけでは?」
「サリュー・・」
兄様が切なそうな顔で私を見る。私が〈贄の姫君〉と呼ばれるようになって以降、ずっと優しい兄であったひとだ。ゆうべの別れの時の顔は死ぬまで忘れないと思っていたし、だからこそのさっきの慌てようで、今のこの顔なのだが。
「・・わかった。明日魔獣と要塞に向かえ。お前の魔力量であればクゥ・ザイダレングにも対抗できるだろうし、〈癒し手〉の能も邪魔にはなるまい。クリアト、サリューを頼む。」
「一命に代えましても」
いったん会話が途切れ、兄様がルード様とモルドア様の方に顔を向けた。
「で、結局のところ、その魔獣は何なんだ?さっぱりわからないのだが?」
「申し訳ありません、私が過去に召喚したどの魔獣とも異なりますゆえ、確かなことは言えません」
「見た目だけ聞いた話だと、 豚の魔物としか思えないが」
「いばーぶめーら?」
「陛下」
ちょっと強い目の声が背後のリハーナから飛び、兄様が慌てた顔をしている。なんだか気まずい空気を皆が出している。なに?なに?知らないの私だけ?・・訊いていい空気ではないかな。できればあの魔獣のことはすべて理解しておきたいのだが。
「ま、まあ、見た目の話はおいておこうか。モルドア、魔力がないとは?」
目が泳ぎ気味の兄様が改めてモルドア様に問いかけた。
「今回の失敗で逆に気が付いたのですが、〈使役〉の魔法を獣に放つと、自分の魔力が獣の魔力とぶつかります。そういう手ごたえがあったのです。そのぶつかった魔力を掴み取るような感触です。過去の〈使役〉ではそれを確かに感じていました。ですが、今回は何も感じませんでした。掴もうと思って手を伸ばしたのに空振りしたような、そういう感触です。つまり、魔力をもたない魔獣なのでは、と」
「・・にわかには信じられんな」
そこで戦士長が口を挟んだ
「しかしそれは今回は福音かもしれません」
「なに?」
「そういう理由で〈使役〉が効かないということは、〈支配〉も効かないのでは?」
「!!!」
皆の目が希望に輝いた。そうか、〈支配〉が効かないかもしれないのだ!
〈主君殺しの魔獣騎士〉クゥ・ザイダレング、その最も恐ろしい能力、〈支配〉の魔法。〈使役〉の上位魔法であり、獣の類にしか使えない〈使役〉と違い、人間にも通用する。通常は眼前の相手の動きを拘束する程度のものだが、桁違いの魔力でその場の人間すべてを思い通りに動かす。戦場では千人の兵の動きを止めたのだという。抵抗するにはそれなりの魔力量が必要で、それでも動きが鈍る。そのような戦士は軍団でもまれで、その者たちもクゥ・ザイダレング自身が魔槍でひとりずつ屠っていったのだという。元の主君であった草原の王も、隣国の王も、同じ手で殺されたらしい。魔獣をぶつけた国もいたのだが、その魔獣はクゥ・ザイダレングの配下の兵(もともと好意を持つ相手に〈支配〉をかけると、逆に陶酔感が得られ、動きがよくなる)が取り押さえ、その間に将も使役士も討ち取られ、軍が壊滅したらしい。その時得られた魔獣を〈支配〉し、騎獣として使っていると聞いている。
しかしその〈支配〉が効かないのならば。
「なるほど、それは期待が持てるな。よし、気合を入れなおそう」
兄様が、いや、陛下が完全に勝負の顔になった。