準備、考察、準備
「クリアト様、ピガール要塞に参りましょう。準備を」
「かしこまりました。すべて整っておりま・・」
クリアト戦士長の声が途中から急速に小さくなった。魔獣を見ている。つられて私も見上げる。さっきよりも顔がこわばっているように見える。目の前にある太い腕は疎らに太い毛が生えているのだが、逆立っている。
・・ひょっとして寒いのだろうか?
「魔獣に何か着るものを用意したほうがよさそうですね・・」
クリアト様が半ば呟くように言う。ほんとうに予想外のことばかり起きるなあ。寒がりの魔獣。召喚されるのは自前の毛皮を持つ類だと思っていたから、着るものなんて考えてもいなかった。でもこの魔獣は腕足剥き出しだが服らしきものを身に纏っている。あれが普通なら熱帯に棲む魔獣なのかしら?だったらこの国の気候はつらいかも。私だってこの季節ではちょっと寒い薄手のドレスで・・・あ!!
「クリアト様、その魔獣に服を着せて!あと、何か武装を!大至急です!!私も着替えてきます!」
「! かしこまりました!!おい!誰か輜重隊に行って素材ありったけ司令部に持ってこさせろ!それと兵器廠にも行って職人引っ張ってこい!」
「動きやすい服に着替えてきますので、皆と一緒に行って支度をしてもらっていいですか?私もすぐに参りますので」
いよいよ震えてきた魔獣に話しかけて指を離す。名残惜しそうな顔をしているように見えるのは私の自惚れだろうか。まあ仲悪いとか冷え切ってるとかじゃないみたいだからいいだろう。少なくとも砦の戦いまでは一緒にいるのだし。軽く挨拶の礼をとり、踵を返して、来るときに使った馬車に向かう。物心つく前から御者をしているリオグが感極まった顔で迎えてくれた。
「お帰りなさいませ・・!!」
「ありがとうリオグ。でも時間がないわ。すぐに王宮に向かってちょうだい」
馬車の中でファルと向かい合い、どちらともなく大きく息を吐いた。
「よかったです・・・ほんとうに・・・!!」
また泣いていた。笑ってるけど。
「王都随一の占術士が振り回されっぱなしね」
「侍女の副業ですけどね」
占術士は重宝されてはいるがこの国での地位は高くない。というより地位の外の才能だ。今はファルが王宮の筆頭占術士だが、本業は侍女だ。過去には大臣が務めていたこともあれば、庭師だったこともあるという。できる人間が必要に応じてちょっと時間を作る、という程度のものだ。〈予知〉に重きを置く国もそれなりに多いが、この国のように参考程度に聞き流す国のほうが多いだろう。ファルが私に授けた予言が例外中の例外だ。歴代屈指の的中を誇る占術士が、〈贄の姫君〉を予知したのだ。あれから20年、ずっと自分を責め続けていただろうファルは、いまようやく光をみつけた気持ちなのかもしれない。根は明るいはずだが気丈さが勝っていた顔が、すこしほぐれていて、ちょっとうれしい。
「ところでファル」
「はい」
「あの魔獣なのだけど」
「・・はい」
「どう思う?」
「どうとは?」
「魔獣ではないわよね?」
「・・同感です」
「では何なのかしら?」
「・・人間・・とするしか・・」
「ん------・・」
そうとしか考えられない。知能があり、程度は低いかもだが服を着る文化もあり、しゃべることができたのだから、言葉もある可能性が高い。それはすなわち人間だ。ただ見た目があまりにもかけ離れているから、〈同族〉とは思えないし思いたくない。
「塔を出てからちょっと考えていたんです」
「?」
「私の予言を」
「・・聞かせて」
「『異界より到る者に』と出たんです」
「あ・・!」
〈召喚〉は魔獣しか呼べない、誰もがそう思い込んでいたからあれこれひっくり返って大騒ぎになったけれど、最初から示されていたのだ。『者がやってくる』と。ではやはり人間ということだ。だがしかし、うーーん・・
「・・後にしましょうか。まずは目の前の難事に立ち向かいましょう」
「かしこまりました」
いつのまにか城壁沿いの連絡路から東門を抜け、王宮の正門が近づいていた。また見ることができるとは思っていなかったので感慨深いが、でもそれどころではない。
門を抜けて館の正面に乗り付け、馬車を降りると驚愕の衛兵がドアを開け、私は走らないぎりぎりの早歩きで後宮の自室を目指す。
「姫様!?」「あぁ、姫様!!」
侍女たちも驚いている。泣いて見送った人間がほんの数時間後に帰ってくればそれはまあそうだろう。微妙に気まずいのだが、泣きはらしたような顔でまた泣きだし、更に場が混沌としてきた。でもそれどころではない。
「おかえりなさいませ。何か忘れものでも?」
「・・そう言えなくもないわね。着替えます。乗馬用の服といちばん暖かいローブを。それと、野営の準備もね。これからすぐにピガール要塞に向かいます」
「!・・かしこまりました、すぐに用意を。予言は外れたのですか?」
侍女長のリハーナがいつも通りの口調で接してきて安心するやらちょっとイラっとするやらだが、彼女も目が真っ赤なので許す。
「いいえ。ただ思っていたのとはちょっと違うみたいなの。まだ進行中よ」
侍女たちの気がいっきに引き締まった。戦時下、先王と妃が捨て身で砦にこもり、敵を待つ状況であることを全員が思い出した。きびきびとそれぞれの持ち場へ急ぐ。薄手の白の生地に、王家の色である青い糸で王家の紋と私を示す尾長鳩が刺繍された簡素な死装束から戦闘服に着替える。必要なのはこちらの服だった。
「それと兄様・・陛下にも連絡を。説明が・・」
「サリュー!」
ノックもせずに兄様が部屋に駆け込んできて、私を見るなり抱きついてきた。
「わわっ、っと。話が早くて助かります、陛下。ご説明したいことが」
「!、ああ、そうか、そうだな、聴こう。どういうことだ?」
「お召替えとご説明、どちらが優先でしょうか?」
リハーナが割り込んできたので、いったん兄様には出て行ってもらうことにした。